堀江美里 「まだまだ夢の途中」

地味ながらマラソン界で増しつつある存在感
 堀江美里(ノーリツ)の注目度が上がっている。
 昨年の大阪国際女子は故障上がりだったこともあり、中間点ではトップから3分39秒も離されたが、その位置から追い上げての2位。昨年7月のゴールドコースト・マラソンは独走して優勝。そして今年の大阪は26kmからトップを独走したものの、36kmで重友梨佐(天満屋)に逆転されての2位だった。派手さはないものの、異なるレースパターンでもその時点の力を出し切る強さがあると、他チームの指導者からも評価されている。

寮に飾られている太田敏郎ノーリツ名誉会長の言葉の前で
 兵庫県の星陵高、武庫川女大と華やかな活躍はなかったものの、大学時代に3000mSCで10分32秒26をマークし、気がついたら実業団で走る立場になっていた。そして森岡芳彦監督と出会い、地道に練習に取り組んだことで少しずつ成長し、マラソンで日本代表を狙えるところまで来た。
 3月に取材をさせてもらう機会に恵まれたので、ここまでの競技半生を振り返ってもらった。そのなかから堀江の今につながるエピソードや考え方を、不定期連載という形で紹介していきたい。

堀江のマラソン全成績
回数 月日 大会 順位 日本人順位 記 録
1 2012 3.11 名古屋ウィメンズ 16 13 2.31.39.
2 2013 3.10 名古屋ウィメンズ 10 6 2.30.52.
3 2014 3.09 名古屋ウィメンズ 6 4 2.27.57.
4 2015 3.08 名古屋ウィメンズ dnf dnf dnf
5 2016 1.31 大阪国際女子 2 2 2.28.20.
6 2016 7.03 ゴールドコースト 1 1 2.26.41.
7 2017 1.29 大阪国際女子 2 2 2.25.44.

@“足が遅い”マラソンランナー

 堀江は3月10日に30歳となった。その日の練習日誌に「子どもの頃の夢をそのままに生きることができる人はそれほどいない。まだまだ夢の途中なので、成長し続けたい」と綴ったという。

 それを聞いて思い出したのが、2年連続2位だった大阪のレース後のコメントだ。
「私にはマラソンしかないと思って、1本1本、気持ちを込めてやってきました。“足が遅い”から競走ではいつも負けていましたが、距離が長いほど私にはチャンスが回ってきます。ハーフで負けてしまう相手でも、フルなら違う世界なんだと思えるんです。足が遅くてもマラソンならできる。それをいつか証明したいです」
 日本代表を狙うレベルにいる選手が「足が遅い」と言うのは大げさだろう、と感じたので、どんな思いでその言葉を使ったのかを質問してみた。
「小さい頃は長い距離の種目がありません。陸上やっているから足は速いでしょ、という感じでリレーに出してもらうと、先頭でバトンをもらって最後で渡す、なんてこともありました。ゴボウ抜かれ、です。中学では陸上部でしたがダッシュはもちろん、1000mでも遅い方でした。周りの子たちには10分以上も走りを見てもらう機会はありません。陸上部なのに足が遅い子、ということで有名でした」

 3000mSCでは実業団3年目の2011年に10分02秒24まで記録を縮め、日本代表にも近づいたが、5000mや1万mでは歯が立たない。自己記録は15分58秒62と32分40秒82で、日本のトップレベルとは差が大きい。
 次のような練習中のエピソードを紹介してくれた。
「私の400 mは67秒がベストなんですが、400 mを10本やったら、チームのみんなは1本は63〜64秒で行くのに、私は1本目も10本目も67秒なんです」
 ちなみに100 mのベストは、学生時代に測った16秒3だという。
 考えられない遅さだが、驚異的な持久力の持ち主ともいえる。

 そんな堀江がどうして、マラソンで代表を狙えると考えられるようになったのか。
「5000m、1万mで“足が速い人”にいくら挑戦しても厳しいのですが、ハーフマラソンになればその人たちとの距離も近くなる。距離が長くなればなるほど、“足が遅い”私にもチャンスが大きくなる。2時間22分30秒(陸連の派遣設定記録)は目標としたいタイムですが、その数字だけを聞くと、ものすごく怖いタイムです。遠い感覚しかありません。でも、1周を80秒で走ったら1kmが3分20秒、マラソンだと2時間20分44秒になります。100 mなら20秒ですから、16秒がベストの私でも4秒の余裕がある。1周80秒で走ればいいんでしょう、そう思って自分を元気づけています」

 小さい頃からマラソン選手になりたい、という夢があった。でも自分は足が遅い。ある種のコンプレックスが、堀江のなかに今も残っている。だが、自身の欠点を強烈に自覚してきたから、自分にできること(トレーニングや生活)が何かを考え続けられた。その結果2時間25分台まで達することができ、30歳となった今も夢を持ち続けられている。


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