ニューイヤー駅伝初出場から丸10年、
次の10年に踏み出す大工チームの指揮官を直撃
重川隆廣社長インタビュー



  重川材木店がニューイヤー駅伝に初出場した2006年から、丸10年が経った。選手の大半が大工で、仕事と競技の両立の理念を掲げる異色チームである。13年、15年と直近2大会は最下位の37位に終わっているが、監督でもある重川隆廣社長は「今季はこれまでで一番強いチーム」と言い、最高順位は初出場時の31位だが、悲願の20位台に挑戦しようとしている。重川社長にニューイヤー駅伝の展望、今季のチームの特徴、ここまでの10年間のことなどを聞いた。

◆監督として、20位台を目指すレースプランをどう描いているのだろうか? 14年春に1万mに28分44秒49、マラソンに2時間13分37秒を持つ上條紀男(31)が加入した。カルクワ(24)を除く日本選手のなかでは、頭1つ抜き出た力を持つ。その上條の起用区間次第で、レースの流れが変わってくる。

重川社長 2つの選択肢があります。一番長い区間から順に強い選手を起用すれば、トータルタイムが縮まるのが理屈です。その場合は上條が4区になります。しかし前半で後れを取ってしまうと、1人旅で走る状況になりかねません。後方の順位でも、集団に入り流れに乗ることが大切です。そう考えた場合は、上條を1区か3区に置くでしょう。仮に1区が上條になったら、2区のカルクワのところで20位以内を走ることも可能です。3・4区を20位台で踏みとどまって、5〜7区は近くにいるチームと一緒に走って粘り抜き、30番を切る順位でフィニッシュしたい。上條が4区の場合は、1・3区を若手が走ることになりますが、やはり4区が終わって20番台後半には入っていたいですね。

◆上條以外の選手は、どのような状態なのだろうか。

重川社長 上條以外では木部誠人(23)の仕上がりが良いですね。11月3日の10kmロードで優勝しました。タイムは30分かかってしまいましたが、風が強くて体感温度が相当に低いコンディションでした。同じレースで2位だった三浦拓也(25)が、12月5日の日体大では29分32秒10で走り、池田圭(25)も29分27秒60と自己記録を約20秒更新しました。木部は夏場もしっかりと練習で走り込みましたから、日本人で2番手と言って良いと思います。沼田大貴(24)は北陸実業団駅伝で区間賞を取りましたが、レースになると強さを発揮しますね。前回のニューイヤー駅伝でアンカーを区間27位で走った荒井智博(25)も、夏前まで上條と良い勝負ができていました。夏の疲れが取れず、9〜10月はレースで走れていませんが、ここに来て木部、池田、三浦、沼田と同じペースで練習ができるまでに回復しています。そして岩倉駿(29)も、日体大では30分かかってしまいましたが、同様の練習ができます。上條が1つ抜けていますが、6人が29分30〜40秒のレベルです。前回、骨折で走れなかったカルクワも、今年は他チームのケニア選手との合宿で、レベルの高い練習ができました。7番目が29分40秒ですから、これまでで一番良いと言っていいでしょうね。

◆三浦と岩倉は、入社丸8年が経とうとしている。通常の実業団チームであっても、息の長い部類に入る。三浦は11月の北陸実業団駅伝1区で、YKKに続き区間2位としっかり走った。

重川社長 三浦は滋賀学園高から入社して、5000mが14分47秒でしたが、よくここまで頑張ってきました。昨年、今年と練習に対する姿勢が良くなって、結果が出始めました。昨年からフリーの日も長くジョッグするようになって、スタミナがついてきましたね。これまで8000mまでは良くても、ラスト2000mでガクンと落ちていましたが、その落ち込みがなくなって29分32秒が出ました。岩倉は三浦とは対照的に、元々スピード型の選手です。これまでは長い距離の練習が我慢できませんでしたが、今年は長い距離も他の選手と一緒に走ることができるようになりました。

◆仕事との両立が理念だが、近年は練習環境(時間)への配慮もはかっている。以前は15時上がりで16時からポイント練習をしていたが、今夏は12時上がりとし、職場(建築現場)から一度寮に戻って休息をとり、コンディションを整えて練習に臨むこととしている。

重川社長 三浦も岩倉も、仕事もできるようになってきましたよ。仕事ができるようになると走れてくるのは、普遍的な真理と言えるでしょうね。仕事ができなければ職場でストレスが溜まりますから、練習にも身が入りません。彼らも仕事ができるようになって、走力も上がってきたと思います。

自前のクロスカントリー・コースを持っているため、普段の練習でのクロスカントリーを多く行っている

◆実業団駅伝の男女の全国大会に出場している企業の社員数を調べたが、8割が1万人以上の企業で、残りの2割も数千人規模だった。そのなかで社員数60人の重川材木店が10年以上にわたって実業団駅伝の全国大会に出場するレベルを維持している。それだけでも、実業団陸上競技史の特筆事項だろう。重川社長が活動費に、私財を充てているから可能になっているところもあるが、チーム維持のためには口にできない苦労も多い。社長として、30年以上も企業経営に携わってきた経験で、選手たちの心のマネジメントをしっかりと行ってきたから可能になったのだろう。

重川社長 私自身、人が好きなので、そういった部分は苦とは思わないのです。10年続いたのは、そのとき、そのときでキーマンとなる選手に出会ってきたからですね。創部のときは萩野智久が入社して、彼の人脈で何人もの部員が集まりました。今はユニバーサルエンターテインメントでランニングコーチをしている河野孝志も、最長区間を2回走ってくれました。高橋秀昭、そして今の上條と、要となる選手たちとの出会いがあって、6回の出場ができたと思います。チームを編成してニューイヤー駅伝で戦い続けられたのは、彼らに巡り会ったからです。

◆荒井は1年前にテレビで紹介されたように、父親も大工の家庭で育った。将来、実家に帰り父と一緒に働くことを目標に頑張っている。上條は営業に、木部は設計に取り組む。技術・技能をしっかりと身に付けたいと考えている大学生や高校生選手にとって、重川材木店のように仕事と競技の両方に取り組めるチームの存在は貴重といえるだろう。その環境を構築してきた重川社長は、次の10年間に向けてどんなプランを思い描いているのだろうか。

重川社長 今は1月1日に向けてと、来年度のチーム編成を考えています。来年度は2名の新入部員が決定していますが、もう2名の応募も待っています。そして2020年の東京オリンピックを目指す志の高い選手と夢を共有し、夢に向かって取り組むことができたら最高だと思っています。

◆重川社長は15年4月に新潟県議会議員に当選した。無所属で出馬し、5期目を目指す現職と、自民党公認の新人との三つ巴の戦いを制したのである。社長業、監督業に加えて議員としても精力的に活動している。夢に向かうエネルギーは、ますます大きくなっているようだ。駅伝チームを充実させることに加え、話の端々から、東京オリンピックに向けては新しい強化スタイルも模索していることが伝わってきた。


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