2012/8/3 ロンドン五輪並行連載
“和製ゼレズニー”となってモスクワ世界陸上を目指す荒井
村上&ディーンとの関わりに見る日本やり投界の可能性


 恒例となっている村上幸史(スズキ浜松AC)のNTC(ナショナル・トレーニングセンター)での主要大会の直前調整合宿。これまでの合宿では円盤投の畑山茂雄(ゼンリン)や砲丸投の村川洋平(スズキ浜松AC)ら投てきのトップ選手たちが参加して、雰囲気を盛り上げてきた。
 今回は7月23日から30日まで行われ、村上とともにロンドン五輪代表となったディーン元気(早大)も加わって大いに刺激を与え合った。
 今回注目したのは79m90の五輪B標準を投げながら代表入りできなかった荒井謙(七十七銀行)である。村上は大事な合宿には必ず、荒井にも参加を依頼している。荒井と一緒に合宿をすることで、より大きな刺激を受けることができるからだ。
 その荒井の目を通して村上とディーンを描写することで、ロンドン五輪がいっそう面白くなる。という視点も含む記事ではあるが、一番の狙いは来年のモスクワ世界陸上を目指す荒井謙という選手が、どんな男なのかを知ってもらうことだ。
 下の表のように75mを超えたのは24歳のシーズンで、典型的な遅咲き選手。だが、172cmの身長で80m近くを投げるのは、日本では荒井しかいない。卓越した技術で村上を刺激し、2009年の世界陸上銅メダル獲得の陰の功労者とも言われた。ディーンとの技術的な共通点も多い。現在のやり投界を語る上で欠かせない男である。


荒井謙の年次ベストと主要大会成績
年(学年)年齢 年次ベスト 主な成績
1997(高1)16歳 41.50  
1998(高2)17歳 55.62  
1999(高3)18歳 59.86 インターハイ予選落ち(50m08)
2000(大1)19歳    
2001(大2)20歳 62.52  
2002(大3)21歳   日本インカレ4位(十種競技)
2003(大4)22歳 69.42 日本インカレ8位
日本インカレ6位(十種競技)
2004(院1)23歳 69.58 日本インカレ8位
埼玉国体6位
2005(院2)24歳 75.06 日本選手権2位
岡山国体1位
東アジア大会5位
2006(社1)25歳 73.87 日本選手権5位
2007(社2)26歳 75.67 日本選手権2位
アジア選手権6位
秋田国体2位
2008(社3)27歳 76.75 日本選手権3位
2009(社4)28歳 78.55 日本選手権6位
ベルリン世界選手権B標準突破
2010(社5)29歳 76.66 日本選手権8位
全日本実業団1位
2011(社6)30歳 78.87 日本選手権3位
アジア選手権6位
全日本実業団1位
山口国体4位
2012(社7)31歳 79.90 日本選手権4位
ロンドン五輪B標準突破

@織田記念で80mに迫るも日本選手権で敗退
 今年4月の織田記念。ディーン元気(早大)が84m28の大投てきを見せたため印象が薄れてしまったが、荒井謙(七十七銀行)も3投目に79m90(日本歴代5位)を投げ、ロンドン五輪B標準を突破した。
「1、2投目が失敗投となったためまずは75mくらいを、という気持ちで素直に投げられました。あのスピードとリズムの中では一番効率の良い投げだったと思います。確かに風も良かったのですが、あの助走スピードで79m90が投げられたということは、やってきたことが間違っていなかった。でも、狙っていたのはA標準の82mだけです。4投目以降は助走スピードを上げて行きました。理想は3投目よりも速いスピードの中で同じような大きな動きをすることでした」
 4投目は動きとしては理想に近づいていた。「最後の右、左と接地するタイミングが早くできた」ことで、左肩が開く前にブロックができた。しかし「左脚(ブロック脚)を着いたときに体とやりの穂先が戻りきらず、左半身で無理矢理止めてしまいました。スピードは出ていて腕は振ることができましたが、やりは投擲方向に真っ直ぐというよりも、やや穂先が右横向きに飛んでしまいました」
 79m13と3投目に迫る距離が出たが体への負担も大きく、左背中に違和感が出て、5投目以降は記録を伸ばせなかった。3〜4日後には右肩にも違和感が出てしまう。5月のゴールデングランプリ川崎は70m41、東日本実業団は76m02。今振り返れば、5月いっぱいは思い切った投てき練習はできない状態だった。
 日本選手権前に「痛みが気にならないくらい」までは戻ったが、日本選手権は75m64にとどまった。“2強”だけでなく新井涼平(国士大)にも敗れて4位に。競技人生の最大目標としていたロンドン五輪代表入りの夢はかなわなかった。

A合同合宿
 ロンドンを逃した荒井はまだ完全に気持ちを切り換えられていない状況ではあったが、村上がいつものように直前合宿に「来てくれないか」と声を掛けてきた。荒井は「オリンピック直前のレベルが高い状態の中で一緒にやれることが自分のためにもなり、そして日本のやり投が世界で戦うために少しでも役に立てるのなら」と快諾。7月23日からNTCで合宿に入っていた村上たちに、荒井も26日の夜から合流した。
 村上と荒井が主要大会前の合宿を一緒に行うようになったのは、2008年の北京五輪前。村上が荒井と山本一喜(モンテローザ)に声を掛けて、浜松で合宿をしてトレーニングを行なった。それ以前から冬の陸連合宿などで一緒になっていたが、打ち解けたのはその合宿から。それ以降、1年に3〜4回は合同合宿を行うようになった。
 翌2009年のベルリン世界陸上前の直前合宿にも荒井が参加。その合宿で80mを超えた村上は、世界陸上本番で銅メダルを獲得する快挙を達成した。国内でも82〜83m台を投げた試合の前には、よく一緒に合宿している。
 村上は合同合宿を行う理由を次のように話す。
「技術的にも参考になるし、高いレベルで投げ合うことができる。荒井も走ったり跳んだりする練習が好きなので、波長が合うんですよ。練習で80mを超えたのは1回だけです。あとは79mとかですが、全て彼と一緒のときですね」
 合宿にディーンが参加するようになったのは、ディーンが早大に入学した2010年から。春季グランプリ和歌山大会の調整合宿が最初だった。その後もNTCでの合宿に、授業の合間を縫って1〜2泊で参加することが多かったようだ。
「マイペースでしたね、良い意味で」と、その頃のディーンのことを荒井は振り返る。
「ここはみんなでやる部分かな、というところでも自分のやり方を変えなかったりしました。良い意味で流されない自分の芯を強く持っている選手だと思いましたね」


昨年11月の西日本カーニバル。右からディーン、荒井、村上、海老原有希。一昨年のこの大会でディーンがジュニア日本新をマークした
Bディーンの急成長
 ディーンの専任コーチである田内健二氏(今年の4月から中京大コーチ。それ以前は早大コーチ)によれば、高校時代のディーンは脚がまったく使えていなかったという。腕のしなりなどは日本人離れしたすごさがあって70m以上を投げていたが、外国人選手によく見られる、上体の力に頼った投げ方だったのだ。
 早大に進んで田内氏の指導で脚の動きを改善すると、すぐに記録が伸び始めた。合宿では短助走で75m近くを投げるようになり、7月の世界ジュニアで銀メダルを獲得(76m44)。11月の西日本カーニバルで78m57とジュニア日本新をマークした。荒井も同じ試合に出場していた。
「村上さんが78m85で優勝されたのですが、私とディーンは前半の試技で71、72mくらいで争っていました。私がポンと76m18に伸ばしたら、ディーンが直後に78m57を投げてきたんです。当時の私の自己記録が78m55だったので、2p抜かれてしまった。それをディーンが気づいて話してきたことを覚えています」
 大学2年となったディーンは5月の関東インカレで79m10、6月の日本選手権で79m20を投げたが、世界陸上テグ大会のB標準に30cm届かなかった。
「7月のアジア選手権前のNTC合宿でディーンが初めて80mを超えました。やり投は普通、練習で自己記録を超えることはないのですが、若い選手にはたまに見られる現象です。(70m57だった高校から)一気に駆け上がってきました。成長がものすごく早いなと感じていました」
 しかし、昨年のディーンはそこがピークだった。春先に痛めた左膝が悪化し、7月のユニバーシアードは73m44(12位)と振るわなかった。
 そこからの立ち直りが素晴らしかった。焦らずにじっくりと膝を治してから冬期トレーニングに入り、体力的な部分をしっかりとアップさせた。ウエイトトレーニングの重量も軒並み上がり、スナッチは「85kgで3回がぎりぎりでしたが、今は95kgで3回」だと今年の4月の時点では話していた。ケガが怖いのでマックスには挑戦しないが、ハイクリーンも10kg、ベンチプレスも10kg、トレーニングできる数字が重くなった。
 2月にはフィンランドのナショナルチームの合宿に、フィンランド、スペインと帯同した。3月の沖縄合宿で一緒になった荒井は、ディーンがさらに成長したことに驚かされた。
「風が強く吹き荒れる日に短助走で80m弱を投げてきたんです。スペインでも同じように、短助走で80mを超える投げがあったようです。左肩が開く前に右、左と脚を着いて、体のしなりを大きくすることができた、と話していました。去年までは開きが早く、腕が横から出てくるような動きでしたが、体が開かなくなったことで今年は腕が"リフト"されるようになった。横回転の動きにタテ回転の動きが上手く加わって、試合に出たらすぐに82〜83mは出しそうでした」
 3月のアメリカ遠征は沖縄からの移動に疲れが蓄積した状態で出ても79m26と自己記録を更新。4月の東京六大学で79m60と記録を伸ばした。
「織田記念で82mは投げてきそうだな、と思っていました」
 実際は、荒井の予想を大きく上回る84m28だった。
「試合直前では脇腹に不安があるとのことでしたが、いざ1投目に84mと表示が出た時は"流石"と素直に思ったのと同時に"先を越された"と悔しい気持ちもありました。3月の合宿でロンドンを目指すディーンの姿を思い出すと、強い気持ちがそのまま投げに現れた印象でした。ただ、オリンピック出場のためには村上さん、ディーンとの戦いもありますが自分がA標準の82mを超えることが最低条件というのはわかっていたので、とても大きな刺激となりました」

C左肩の開き
「左肩の開きが早いと投げられない」
 やり投の取材をしていると何度も聞かれる言葉だ。ラストクロスから左脚を着いてブロックした瞬間に、左肩が大きく開いていたら右肩・肘も前に出てきてしまいやりに力を加える距離が短くなってしまう。
 村上が2009年に飛躍したのも、左肩が開くタイミングが改善されたことも鍵となった。ディーンの今季急成長も、Bで荒井が話しているように、冬のフィンランドチームとの合宿でその点を改善できたからだ。
 ただ、この動きをするにはブロックで体に大きな負担がかかる。今季78m17の自己新を投げた山本一喜(モンテローザ)は開きが早い動きを採用している。早く左脚を着く動きも試したが、社会人2年目に痛めた腰が耐えきれなかったという。
「だったら正面を向いてまっすぐやりを引き、投げで体が左に開いてもいいから体全体がしっかりとついていく動きをしようと思いました」
 山本が192cmと体格に恵まれているから、その動きでも距離を出せるのだという。体格的に劣る日本選手が活路を見出すとしたら、“左肩を開かない(開く前にブロック脚を接地する)”投げ方だろう。それをいち早く成功させていたのが荒井だった。
 銅メダルを取った2009年のベルリン世界陸上後のインタビューで、村上は次のように話している。
「今回は絶対的な“核”を持てていました。ここさえできれば、開かない投げができるという。それは左の脇から腰にかけての胴の側面です。そこを、左脚が着くまで進行方向を向けさせておけば良い。そこが変に動いたらダメですね。左側に開いてしまったり、頭が下を向いたりしないように体をコントロールする。それができる自分の感覚を見つけられたんです」
 荒井が理想とするのは右足の真っすぐ前に左足を着くことだが、実際には、村上の2009年の写真を見ても少し左に開いて着いている。
「上半身を完全に閉じながらブロックをするのは無理なんです。上半身を閉じるイメージを持ちながらも、若干開き気味に着いて正面に力を伝えられればいい。左右に力が割れてしまってはダメなんです」(荒井)
 閉じきった状態だと、骨盤の右側が左側に追いつかない。左足を少し左側に着くことで骨盤の右側が左側に追いつき、骨盤が正面を向くことで力の伝わる方向も前方になる。左が多少開いていても、両肩を結ぶラインが投てき方向への直線となっていれば問題ない。
「右肩を残すことで肩のラインを一直線にします。そうすれば地面からの力をもらい、腕が勝手に振られてやりを弾くことができるんです」
 左肩の開きを我慢できれば、力を長くやりに加えられるのと同時に、地面からの反力も大きくやりに伝えられるのである。

D右膝の伸び
 左肩の開きと密接に関連しているのが右膝の使い方だと、村上も荒井も口を揃える。ブロックの時に右膝が伸びきってしまっていると、体重が左脚に乗りきってしまう状態になり、やりに力を加えられなくなる。
 右膝が伸びているということは、末端の動きに頼った重心移動だと言えるようだ。
「走るのが遅い選手も蹴って進もうとするので、膝が伸びて、俗にいう脚が流れる動きになるのと一緒です。ラストクロスで右足が接地してから、脛を倒れ込ませるようにして、重心が低いまま進むと右の骨盤を上手く前に出せてブロック時に骨盤がしっかり立ち、地面反力をうまく伝えることができます。右膝が伸びてしまうと骨盤が早く前傾してしまったり、あるいは後傾したままだったりして地面からの力を逃がしてしまいます」(荒井)
 その点を村上と田内氏がベルリン世界陸上後の対談で次のように話している。
田内 (以前は)体を回すのと同時に腕が出てきてしまっていたのが、今は我慢できているよね。そういえば、最近は右膝の意識はどう持っている?
村上 そこは感覚に任せていますね。僕の場合、右足が死んでしまうんですよ。膝が伸びるということは死ぬということですから。
田内 体重が全部左足に移行してしまうんだよね。体重が残らないということは体が回らないということになってしまうから。
村上 それを荒井君(謙・七十七銀行)は上手にできるんですよ。僕はできなかった部分なんですが。
田内 荒井選手のその部分のイメージを組み合わせられたときに、80mスローにつながったんだと思いますよ。
(陸上競技マガジン2010年3月号から抜粋)

 右膝の使い方はやり投の基本ともいえるが、それができない選手が多いのも事実だ。室伏重信氏が以前、「回転面と回転軸を安定させるのがハンマー投の基本だが、それができている日本選手は少ない」と話していたことがある。
 国際大会のやり投で活躍する外国人選手でも、右膝の動きができていない選手も多いという。
「上半身の使い方は上手いんです。腕のしなりはすごかったりします。でも、下半身を本当にうまく使えている選手は少ない。体が大きい分、コントロールが難しいのかもしれません。日本人は体が小さい分、発射台となる下半身をビタっとつくって投げないと対抗できません」(荒井)
 村上は日本人としては体格にも恵まれ、地肩も強い。砲丸のバック投げやフロント投げ、跳躍系のコントロールテストの値、立ち投げの記録(69m)は90mスローワークラスだ。
 2008年以前の村上は言ってみれば、外国人のようなタイプだった(ひじの角度などは独特だが)。そこに右膝の動きなどを加えられるようになり、2009年に一気に記録が伸びた。

Eロンドン五輪直前合宿
 時期的に気になるのは、ロンドン五輪直前の合宿(NTC)が、これまでの合宿と比べてどうだったのかという点。

 トライアル形式で投げ合ったのは7月26日。村上もディーンも「力まずに77〜78mくらい」(荒井)を投げていたという。35℃くらいの炎天下だった。
 27日はトライアル翌日ということで村上は治療中心で過ごし、ディーンは軽く動かした程度。
 28日は村上と荒井が一緒に投てき練習を行い、村上は短助走で75m程度を投げた。ディーンは別時間(試合に合わせ夕方から夜にかけて)に投げる予定だったが、体の状態を見て投てきは中止した。
 29日は村上はレストで、荒井は他の選手と投てき練習を行った。ディーンは夕方に軽く動く程度だった。この日はロンドン五輪の決起集会を兼ねて、合宿参加者たちで夕食をともにした。
 30日に解散し、ディーンは8月1日、村上は同3日に渡英した。

 26日のトライアル形式の投てき練習をどう受け取ったらいいのだろう。荒井は次のように印象を話す。
「ベルリンの前の村上さんは80mを投げましたが、あのときは本当に直前でした。今回はロンドン五輪の決勝の2週間前ですから“最後の投げ”ではありません。暑さも影響したはずです。でも、高いレベルで投げ合ったのは間違いないと思います」

 大舞台に向けてのスタンスは、2人とも順位や記録を意識するのでなく「“自分の投げ”に集中している」と荒井は感じている。
「ディーンはそのスタンスで今季、一気に記録を伸ばしました。自分の動きをすれば結果は付いてくると。ロンドン五輪に向けても具体的な目標を口にしていません。村上さんは記録的な目標を85m以上とか、最近は日本記録(87m60)と話していましたが、直前になったらやはり、そこは考えないようにしているようです。2人とも入賞ラインにいるのは間違いありませんが、そういうことも意識していないでしょう。もちろん、メダルということも。ただ、2人にライバル意識がないかといったら、それはあったと思います」

 村上がいつもの合宿と違ったのは、砂場のダッシュやウエイトを少し多めに行なっていたこと。
「投げを少し少なくして、その分、プラスアルファの練習をやっていました。まだ、直前ではなかったから、そういう形でできたのかもしれません。ひらめくような練習だなと、私には映りました。普段から感情を表に出さない人なので、村上さんが自分の状態をどう思ってそうした練習をしたのかはわかりません」
 今回の合宿でとった村上の行動の意味がわかるのは、ロンドンで結果が出てからだ。

F村上とディーンの違い1 倒れ込み
 村上とディーンの違いはどこにあるのか。2人は成長過程も違えば、強化スタイルも違うのだが、それはまた機会を改めて書くこともあるだろう。ここでは荒井の目から見た技術的な違いを紹介したい。

 わかりやすいのはやりをリリースした直後の動作の違い。村上は投げ下ろす動きが強調される腕振りで、立ったままその場に止まる。一方のディーンは右斜め上へのフォロースルーが強調される腕振りで、投げた後に前方に向かってはじき飛ばされて地面に倒れ込む。これは以前から荒井にも見られた動作だ。
 見るレベルで良いとも悪いとも言える動作なのだが、ディーンや荒井の今の投てきであれば、地面からの反発を上手くもらえたときに現れる動作と解釈していい。「エネルギーが大きくなっている証拠です」(荒井)。
 ロンドン五輪予選のディーンも2投目で倒れ込み、82m07と予選標準記録の82m00をオーバーした。
「本人もコメントしていたように、1投目の失投から修正し2投目はクロス走をピッチ型に戻し本来の投げになった感じに見えました。倒れ込みは今年一番大きかったと思います。高い助走速度と地面からの反発の大きさもみられました」
 ロンドン五輪決勝でディーンが勢いよく倒れ込んだときは、やりが飛んでいる可能性が大きい。

 ただ、世界記録保持者のゼレズニー(チェコ)の90mスローを見ても、倒れ込んでいる投てきと倒れ込んでいない投てきがある。世界記録(98m48)のときは倒れ込んでいなかった。
「私の場合はラストクロス後の右、左と着くところで間延びしてしまい、ブロックをしても体が突っ込んで倒れざるを得ないこともあります。それは悪い倒れ込みなんです。ディーンも右、左と重心を移動させるとき、右の腰が若干浮いてしまっているようにもみえます。腰をもっと低く保ち重心移動ができれば、倒れ込みがなくなるくらいにエネルギーをやりに伝えられるようにも思います。砲丸投のリバースもそうですが、ビタっと止まるときがエネルギーが伝わりきったときなんです」

G村上とディーンの違い2 腕の振り
 Fでも触れたように、村上とディーンは腕の“振り”も大きく違う。
 村上は弧を描くように、真上から投げ下ろすフォロースルーで、「持っているもの」(荒井)からすると振りが小さい。その分、スピードは速く振っている。フォロースルーも実際は上方向なのかもしれないが、スピードが速いためか投げ下ろしているように見える。
 一方のディーンは若干横から腕が出てくる。昨年に比べると上から出てくるようになったが、村上に比べると野球のスリークォーターに近い。そしてフォロースルーを投てき方向(右斜め上)に伸ばす。大きな腕の振りだが、村上に比べればスローに見える。
 ただ、振り切ったときのやりの初速はほぼ同じである。投てき距離が同じならば、初速も同じというのが物理の不変法則。同じ初速を違う動きで出している。

「村上さんは調子の悪い時は特に、肘を自分で少し折り畳んで、持っているものよりは小さな弧を描く腕の振りです。村上さんは自分の中で若干小さく振り、ディーンは最大限に振る。村上さんの方が腕は長いので、2人の振りは同じくらいの大きさじゃないかと思います。理屈では、村上さんがディーンのように振ったらもっと大きく振れるわけですが、人間の動きはそんな簡単に決められることではありません。ディーンと比べたら“手投げ”という言い方もできますが、地肩や上半身と体幹の強い村上さんの特徴を生かした投げでもあるんです。振りの力が強いので、多少小さくなっても距離は出ます。外国人にはあまり見られない技術で、村上さん独自の動きとして発展させてきました」

 しかし、ロンドン五輪の予選では、「左肩の開きが早く、肘も少し先行してしまう投げ」になっていたという。
「解説の小山先生(日本大学)も言われていたように、いわゆる“手投げ”になってしまっているようにみえました。日本選手権で痛めた肘の影響があったとも考えられますが…」

 ディーンの腕の振りはどうなのか。
 何度も触れているようにディーンは昨年とは脚の動きを特に変えた。左肩が開く前に左脚を着く。
「左脚を着いたときにやりが後ろに残っているので、地面反力を最大限にやりに伝えられるようになり、腕振りに速さと高さが出てきました。上半身と下半身の連動が上手く、それにプラスして上半身のしなやかさが日本人離れしていますから、速さと同時に振りに粘り強さがあるんです。私はその技術を“へそから腕のしなり”と言っています。ロンドン五輪予選のディーンは今年に入ってやってきた投げをしっかり出せていた感じでしたね」

H村上とディーン(&荒井)の違い3 やりの飛び方
 村上とディーンではやりの飛び方も違う。
村上=ミサイル軌道
ディーン:飛行機軌道
 と大別していいだろう。だが、同じ選手でもその日の投げによって、軌道が違ってくる。ディーンの織田記念は飛行機軌道だったが、日本選手権の84m03はミサイル軌道に近かったという。

 ミサイル軌道は投射時に構えたやりの角度で一直線に飛んでいく。高さが出やすいのは飛行機軌道で、ミサイル軌道の方が低くなりやすい。ベルリン世界陸上では上空の風が舞っていたため、弾道の低い村上が有利だったと言われた。
「1点に向かって飛んでいく軌道で、村上さんの腕振りだから、その飛び方になりやすいのかもしれません」

 ディーンの今季は飛行機軌道が増えているが、左肩が開かなくなったこととも関連している。
「体幹・肩・腕がしなっていくなかでひじの高さが上がってきました。その腕の振りだとやりのお尻が浮いて、水平に近い角度で飛行機のように上がっていきます」
 荒井もディーンに近い腕振りなので、「良いブロックができ、かつ腰の進みが良く体幹がうまくしなる時」は飛行機軌道でやりが上がっていくという。地面反力を大きく受け最大限に身体をしならせることでひじの高さが上がる。軸の起し回転に合わせひじが高くなる縦回転と、腰のひねりの横回転が上手く融合されたときのやりの飛び方だ(後述するゼレズニーも)。
「ロンドン五輪予選のディーンはテレビだけの映像からでしたが飛行機軌道の飛び方でした。腕の振りが大きくしなる中でリフトできていた結果だと思います。1投目を失投した中で、冷静さを保ち"いつも通り"を出せたように見えました。本当に勝負強さを感じましたね」

Iロンドン五輪
 荒井謙は直前合宿の村上幸史とディーン元気を見て、「本当に絶好調かといったら、そうではないないと感じました」と7月末の時点で話していた。村上はひじのケガは治っていたが、まだ100%の状態に戻っていなかった。ディーンも脇腹に少し違和感があるようだった。
「その状態でどう投げられるか。それを試されるのがロンドン五輪だと思っています。あの2人なら、そういった不利な状況もはねのけてくれるはず。自分が行けなかった分も、2人には日本のやり投を世界にアピールしてほしい」
 残念ながら村上は予選を通過できなかったが、ディーンが予選標準記録を突破して決勝に進んだ。

 決勝では世界のトップ選手たちの記録が82〜84m台と伸びなかった。その結果、オリンピックで自己記録を伸ばす離れ業を演じた19歳、ウォルコット(トリニダードトバゴ)に84m58で金メダルを持っていかれてしまった。シニア選手たちにとっては屈辱的な結果だった。
「飛距離には風の影響もあったと思いますが、下半身の動きが安定していませんでしたね。(五輪3連勝のかかった)トルキルドセン(ノルウェー)は昨年くらいから、左のブロック脚が外に開いてしまうようになっていた。どこか悪いのかもしれません。日本選手がつけ入るとしたらそこだったんです。2009年以降の村上さんも、今年のディーンも下半身の動きが安定していた。でも、ディーンでさえ決勝は気持ちが先走り下半身より上半身が突っ込んでしまっているようにみえました。夢のような大舞台ではいつも見えているものも見えなくなってしまうこともあるのかもしれません。ただ、それはその舞台を経験してはじめてわかることであると思います。もちろん脇腹の影響もあったのかもしれませんが」

 予選では飛行機軌道だったディーンの弾道も、決勝では「上半身が突っ込んでしまったこともあり、上半身のしなりを生かせず"手投げ"になり低い軌道になっていた」という。その投げでも79m95で10位。予選より記録を下げたのは残念だったが、昨年までの自己ベストを上回ったのだからディーンの地力が上がっていることの裏返しだった。

J「最高の師匠(手本)はゼレズニー」
 荒井はずっと以前から「最高の師匠(手本)はゼレズニーです」と言い続けてきた。
 ゴールデングランプリ川崎のプログラムに各選手の肩書きや特徴、ニックネームが記載されている。今年、荒井の欄には"みちのくのゼレズニー"と書かれていたが、「"和製ゼレズニー"の方がよかったですかね」と、笑いながら話していたことがあった。
「どこの動きを見てもゼレズニーは完璧です。助走、クロス、ラストクロス、ブロック、全身のしなり、そしてフォロースルーまで。流れ全部が完璧ですが、その結果としてブロックの膝が完全に伸展しています。村上さんもディーンもそれぞれの目指す方向に、ゼレズニーのエキスが含まれていると思います」

 ゼレズニーの技術で外から見て端的に優れている部分は3つ。1つ目はクロス走からラストクロスにかけての構えるときの体の向きだ。
「真横を向いているかと思えるくらいにクロスから上半身が捻られているようにみえます。ただし、大きく構えた結果であって、捻っている感覚はあまりないかと思います。ブロック接地時には時計の針で12時がまっすぐの方向であれば1時前後の方向までは戻っていますが」
 織田記念の荒井もかなり横を向いていたという(@参照)。ディーンも同じ傾向があり、村上もベルリンの世界陸上のシーズンから取り入れ始めた。
「捻りは横回転ですが、その動きの結果グリップを大きく後方(遠く)に残すことができ、地面反力を大きく受け取ることができます。大きく身体をしならせることができ、起し回転の縦回転と合わせ水平方向にも、鉛直方向にも、どちらにも力を加える距離が長くなるということです。結果的に斜めの動きになります」
 ただ、この動きを高校生などが表面的に真似ると、やりが真っ直ぐに飛ばなかったり、水平方向の力が極端に出せなくなってしまったりして、結果的に飛ばなくなることが多いという。

 2つ目は、ラストクロス後の右脚接地。
「あれだけの高い助走スピードでクロス走もさばいてきた中で、ラストクロス後の右脚接地でほとんどブレーキをかけません。かつ、膝も潰れず重心も低く保ったままスムーズに腰を送り出しています。あの接地こそ"神"の領域のように思えます。ゼレズニー以外の選手であそこまでの接地を映像・実像を合わせ見たことがありません。ゼレズニーは踵が明らかについていないにもかかわらず、膝も潰れないまま一瞬にして"膝・脛を倒す・転がす"ようにみえます。普通は足裏全体でフラット接地もしくは踵から入りつま先に抜けるような技術が一般的です。これは、以前セレズニーの記事・特集でみた一流の短距離・跳躍選手にも負けないスピード・バネに合わせ筋力、身体感覚のすべてが組み合わされている技術なのだと思います」

 3つ目は荒井のコメントにあるブロック脚の左膝の伸展だ。ゼレズニーの技術がきちっとはまったときは、完全なブロックとなりヒザが完全に伸びきっていた。
「"逆くの字"になるくらいでした。"過伸展"という言葉が適当かもしれません。日本人では日本記録(87m60)保持者の溝口(和洋)さんがすごかったようです。ラストクロス後の右脚接地時にものすごく重心が低い状態で接地するため、ブロック脚も鋭い角度で接地している印象があります。
ゼレズニーのすごさはブロック脚が過伸展したときにもまだ右腕が大きく後ろに残っていることです。ディーンよりも、もっと残っている。ゼレズニーの腕は粘ってやりを弾きます。自分も弾く感じはあるのですが、あそこまで粘る感じを出せたことがありません。村上さんもディーンもやっている技術は、最終的に上記のような腕の残しに、右脚の接地がしっかりした中で左膝の伸び(安定したブロック脚)ができることに集約していくはずです」

 荒井がブロック脚のヒザが一番伸びていたのは、78mを超えた2008年以降ではなく、2005年だったという。自己記録を前年までの69mから75mに伸ばし、日本選手権にも初めて出ることができた。記録は伸びたが体への負担が大きく、翌2006年は腰を痛め73m台にとどまった。
 どんな技術も、体ができて初めて行うことができる。技術的に優れていると言われる荒井だが、技術だけが先行しているわけではない。
 それでも技術ができるようになれば、体力面をカバーすることができるようになるのは確かである。

 荒井はゼレズニーの技術を「8割以上はできないと80mは超えられない」と考えている。「村上さんやディーンは50%でも80mを投げられるレベルにあると思います」
 野球のボールを投げたときの球速と、助走なしの立ち投げのデータと、やり投の記録を比較すると荒井の言っていることがわかる。

【3人の球速と立ち投げのデータ】
  球速 立ち投げ 自己記録 自己記録/立ち投げ
村上幸史 150km/h 69m 83m95 1.22
ディーン元気 140km/h(おおよそ) 60m(おおよそ) 84m28 1.41
荒井謙 130km/h(おおよそ) 52m 79m90 1.53

 助走なしの投げではやはり、村上が一番強い。マカロフ(ロシア。自己記録92m61)が立ち投げで70m以上を投げたことがあるらしいが、ゼレズニーでさえ60m台だった。
 だが、ゼレズニーはワンクロスをつけると一気に記録が伸びたという。その場での投げと、助走の付くやり投は明らかに違う種目ということだろう。


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