陸上競技マガジン2004年6月号
静岡県西部選手権
森千夏 18m22
日本女子初、18mの大台突破
その瞬間は、唐突にやってきた。4月18日の静岡県西部選手権の2投目。1投目が15m72だった森千夏(スズキ)の2投目の砲丸は、甲高い気合いの声と、足留め材への衝撃音と同時に、浜松の青空に向かって弾き出された。その日の砲丸落下エリアには18mだけでなく、役員の計らいで18m55の五輪A標準にもラインが引かれていた。
「18mラインを越えたのはわかりました。18m55に届いていないことも」
歴史的な投てきを行なったにもかかわらず、森の表情は特に喜ぶふうでもない。落下地点を睨むように見つめ、息をフッと吹き出すさまは、いつもと同じだった。森も含め16人の参加選手と審判が歴史的快挙に立ち会ったが、周囲も森が18mを投げるのは当然と受け止めている雰囲気があり、何事もなかったように競技が続けられた。
「“まだまだ”という気持ちもありますが、“18m行ったんだ”という気持ちが強く、素直に嬉しいですよ。でも、18mの意味なんて、特にないと思います。投げてしまえば、日本で1人とか、どうでもよくなること。実際、17mのときも豊永(陽子・徳島陸協)先輩が続いて投げましたし、何回か投げればそれが当たり前になるんです。18mは誰にでも可能性はあると思います」
冷静に話す森だったが、客観的に見た場合、今回の記録は常識を覆すくらいの価値がある。日本選手が初めて17mを突破したのは、2002年11月3日。場所は今回と同じ浜松市四ツ池公園陸上競技場。やはり森の手から放たれた砲丸だった。表1のように、林香代子による16m突破が1977年12月。16m時代が25年も続いた対し、森は自ら開いた17m時代を、僅か1年半で終わらせてしまったのだ。
森の専任コーチである国士大の青山利春監督は、記録が低迷した時代を「ぬるま湯につかってしまっていた」と表現する。「僕らの責任でもあるんですが、そこまでの欲がなかったんでしょうね。それなりの練習しかしなかった」
鈴木文が90年代前半に日本記録を3回更新したが、後が続かなかった。しかし、90年代終盤から豊永、市岡寿実(国士大ク)、森ら国士大勢が、記録を伸ばし始めて種目が活性化。昨年は森が世界選手権初めての代表となり、アジアでの戦いでも徐々に成績を上げつつある。中国勢との記録差も、かつては5m以上だったものが今は1m台と、手が届く範囲に迫っている。
ただ、森自身は昨年まで、「20mを」「メダルを」と高い目標を口にしていたが、今季は意気込み方を変えている。自分の技術など、外の目標よりも内の課題をより見つめることが、記録短縮につながると考え始めたのだ。
「これまで、結果ばかりを見すぎていました。そこに気を奪われると、本当にやらないといけないことがわからなくなってしまうんです。結果を見すぎず、自分のやってきたことを出せばいい、と考えています」
今回の“価値あるB標準突破”で五輪代表に選ばれる可能性もあるが、森陣営としては、A標準を破ってすっきり代表を決めたい思いが強い。実現すれば地元開催だった64年の東京五輪以来、40年ぶりに女子砲丸投のオリンピック選手誕生の快挙となる。
森千夏コメント
「練習では何本か、3.5sなんですけど19mを投げていましたから、(角度とか滞空時間が)すごいという感じはなく、前にも投げたような気持ちでした。『試合でも出せた』、くらいの気持ちでした。上海では壁に向かってだったので距離はわかりませんが、動きとしてはそのときの方が良かったですね。動きは良くなかったけど、流れがその1本だけつながった、ということだと思います。
でも、もうちょっと上手く、砲丸に力を伝えられると思うんです。グライドから捻りの部分が上手くいけば、もっと飛ぶはずです。ずっとスピード重視でやっていますし、今回の上海でのトレーニング(2〜3月)で、体重は増えてもスピードの出る動きを教えてもらいました。蹴り出しや、スタンディングに移行する部分が速くなったと思います。その一連の動きのなかで、ひねりも上手くいけば、すごい記録が出るはずです。
3投目以降、A標準のチャンスだと思って、焦りが出てしまいました。意図した動きができなくなってしまったんです。同じことを過去、何度もやってしまっていますが、今回は5・6投目で少しは立て直せました。6投目はこれまでの記録よりよかったですからね。少しは冷静になれたのかな、と思います」
青山利春コーチ・コメント
「種目としての記録の伸びは鈍かったですけど、森個人の記録は毎年40cmくらいずつ伸びていましたし、今回の記録も北京五輪に向けての通過点です。96sの体重になっても狙いとする動きができれば、A標準の18m55は行くんです。日本人は右腕で投げるつもりでいるからダメで、そうではなくて背中で投げるのが大事なこと。欧米の筋肉のある選手でなく、中国選手の動きを研究して見通しが立ってきました。北京で戦うためにも、アテネは経験しておかないといけません」
表1 女子砲丸投日本記録大台突破の変遷
記録 |
選手 |
所属 |
更新距離 |
年月日 |
次の大台までに要した日数 |
9m81 |
大多よね |
女体専 |
|
1929/10/20 |
|
10m14 |
石津光恵 |
広島山中 |
|
1931/5/10 |
567日 |
11m01 |
児島フミ |
横浜DC |
|
1934/10/14 |
1253日 |
12m25 |
児島フミ |
中京高女 |
|
1936/8/19 |
675日 |
13m10 |
吉田素子 |
八幡製鉄 |
|
1956/4/29 |
7193日 |
14m00 |
小保内聖子 |
日大 |
|
1960/4/10 |
1442日 |
15m24 |
小保内 |
リッカー |
|
1962/4/15 |
735日 |
16m00 |
林 香代子 |
熊本高教 |
|
1977/12/4 |
5712日 |
16m08 |
鈴木 文 |
スポーツプラザ丸長 |
8cm |
1991/9/15 |
|
16m14 |
鈴木 |
スポーツプラザ丸長 |
6cm |
1992/10/25 |
|
16m22 |
鈴木 |
スポーツプラザ丸長 |
8cm |
1993/4/29 |
|
16m43 |
森 千夏 |
国士大 |
21cm |
2000/4/23 |
|
16m46 |
豊永陽子 |
健祥会 |
3cm |
2000/10/7 |
|
16m84 |
森 |
国士大 |
38cm |
2001/6/9 |
|
16m87 |
森 |
国士大 |
3cm |
2002/7/21 |
|
16m90 |
豊永 |
健祥会 |
3cm |
2002/10/9 |
|
16m93 |
森 |
国士大 |
3cm |
2002/10/9 |
|
17m39 |
森 |
国士大 |
46cm |
2002/11/3 |
9100日 |
17m53 |
森 |
スズキ |
14cm |
2003/4/20 |
|
17m53 |
森 |
スズキ |
0cm |
2003/5/3 |
|
17m80 |
森 |
スズキ |
27cm |
2003/9/20 |
|
18m22 |
森 |
スズキ |
42cm |
2004/4/17 |
531日 |
●年次別ベスト記録
年 |
学年 |
記録 |
更新距離 |
1995 |
中3 |
12m18 |
|
1996 |
高1 |
13m03 |
85cm |
1997 |
高2 |
13m14 |
11cm |
1998 |
高3 |
14m92 |
1m78 |
1999 |
大1 |
15m07 |
15cm |
2000 |
大2 |
16m43 |
1m36 |
2001 |
大3 |
16m84 |
41cm |
2002 |
大4 |
17m39 |
55cm |
2003 |
実1 |
17m80 |
41cm |
2004 |
実2 |
18m22 |
42cm |
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