陸上競技マガジン2003年5月号
旅立ちの春2003
森千夏・池田久美子
強力コンビが
パリのフィールドに挑む


 大物2選手がスズキに入社した。その1人、池田久美子が大学卒業後も陸上を続けたいと考えたのは早かった。
「祖父(彌(わたる)さん)が110 mHで1940年の東京五輪代表だったんです(戦争で中止)。父(稔さん)も中学校で全国3位になったりしていました。それらの記事のスクラップを小さい頃に読んで、家族ができなかったオリンピック出場と、誰も跳んでいない7mジャンプを、やってみたいと思ったんです」
 全国小学生、全日中と走幅跳で4連勝し、順風満帆の競技生活が始まった頃だった。だが、中学3年時に出した6m19の自己記録(中学記録)を、5年間更新できなかった。それでも、池田の気持ちが揺らいだのは「高校1年生のときだけ」だったという。大学2年時には、世界ジュニアで銅メダル獲得にジュニア日本新と復活。3年時には6m78の日本歴代2位に世界選手権決勝進出と、大きく成長した。
 森千夏も負けていない。初の全国制覇こそ高校3年時だったが、大学2年時に初めて日本新をマークすると、昨年まで日本記録更新5回。昨年11月には日本人初の17台となる17m39を記録し、世界選手権B標準を突破。今年2月には17m35の室内日本新、来年のアテネ五輪標準突破も果たした。
「中学で陸上をやり始めた頃から、できるところまでやろうと思っていましたし、30歳を超えてもやるつもりです。今も変わっていませんが、昔から目標は大きくて、世界で勝ちたいと勝手に思っていました。みんなには絶対無理だよと言われますが、無理と言われた17mも簡単……って言うほどではありませんが、出すことができました」
 これまでも高い志を持って競技に取り組んできたが、より結果を求められる世界に足を踏み入れた。そのことを2人とも、会社側との話し合いでひしひしと感じたという。
「色々と話を聞いて、結果を残さないとダメだと強く思いました。その分、バックアップもすごいんです。世界へ羽ばたくためなら、何でもすると言ってもらえました」(池田)
「自分が考えていた、会社の偉い人の話とは違っていました。ただ頑張れよと言われるのではなく、A標準はどうでB標準はどうでと、すごく細かいんです。会社のためにも、18m投げないといけませんね」(森)
 2人とも本社のある浜松市に居を移すが、長期合宿という形で母校の大学で練習することも可能となる。ただ、長期合宿中でも13時までは仕事をする。事業所が全国各地にあるスズキだからこそ、可能となる勤務形態だ。
 実業団選手としてのスタートに際して、2人が色紙に書いた言葉は“負けん気”と“マイペース”。森は「母校の東京高でよく使っていたのが“負けん気”です。今でも心に残っている言葉なんです」と説明する。
 現在、森が最も勝ちたいと思っている相手が、中国の宋斐娜。ここ4年間ほど、毎年のように中国・上海体育学院で合宿し、中国人コーチから教えを受けているが、宋は練習仲間でベスト記録は森よりも1m50ほどいい。
「練習でも試合でも、私のやりたい動きが全部できるんです。絶対に追いつきたい」
 池田の“マイペース”は、いい時期と低迷した時期の、両方を経験した彼女だからこそ。大学2年、3年と躍進し続けた池田だが、昨年は6m41がベストで、ライバルの花岡麻帆(Office24)に一度も勝てなかった。しかし、山あり谷ありの競技経験を持っている池田は、慌てていない。
「いい状態でも悪い状態でも、自分のペースを崩さないことが重要です。悪くなるとどうしても、自分を見失いがちになりますから」
 今春、女子フィールド種目の選手を採用するのはスズキだけ。2人が世界で活躍することで、こういったトラック&フィールド選手に厳しい状況が、少しでも改善されるかもしれない。メンタル的にも大物を感じさせる2人には、最適の役目かもしれない。


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