病状経過

 2004年7月、見事に40年ぶりの女子砲丸投のオリンピック代表選手に決定した折も折、下腹部に痛みを感じ始め、体調を崩すようになる。(そのせいで結団式を欠席)。医師には「膀胱炎」と診断され投薬治療をしながらアテネに向かう。
アテネでは、体調不良ながら渾身の力を込めて投げましたが予選落ち。そのときのナンバーカードの裏には「次への目標」として、「北京オリンピックでの金メダルへの道」が綴られていました。
アテネから帰国後、直ちに入院し加療後「埼玉国体」「浜松リレーカーニバル」に出場しシーズンを終える。その冬季も中国への合宿を実施するほど元気でしたが、この時点で病気の存在を確認でき治療していれば、と思うと無念でなりません。
翌2005年4月に原因不明の発熱と下腹部の痛みが何度か起こり、精密検査を受ける。「腎盂炎」及び「膀胱内に腫瘍がある」とのことで江戸川区臨海病院に入院。開腹手術を勧められるが病院側が「症例が少ない手術である」とのことで順天堂医院に転院する。再度検査を行ない、7月に開腹手術を受ける。術前の病理検査では「腫瘍は良性」と報告を受けていたが、手術で判明したのは「腫瘍は悪性で周囲の臓器にも浸潤している」とのことで、さらにはその腫瘍を取り除くことができなかった。この時点ではじめて「虫垂がん」と診断される
手術以後は抗がん剤による化学療法が始められた。幸いにもこの頃は進行が遅く転移もなかった。しばらく化学療法を続けたが、森本人から「抗がん剤は体力の消耗が激しいので中止して免疫向上の治療をしたい」とのことから抗がん剤治療を止める。また、精神的に「死」を意識するとともに、重ねて長期入院のストレスから「パニック障害」を患い精神的な安定を失い始めた。それでも徐々に体力が回復しはじめ、闘病に対する意欲も向上してきたので正月を久しぶりの実家で過ごす。この頃はまだ食欲もあり病院内を歩くことも苦ではなかった。
 2006年を実家で迎えたことで、退院に向け俄然意欲的になり、リハビリに取り組み始め、4月には念願の退院を果たし実家で静養する。だが、思いのほか病状の進行が早まり、5月20日の26歳の誕生日に再入院をした森は、「パニック障害」がひどくなり思うような治療ができなくなった。また、アテネの頃には100kg近くあった体重が70kg以下にまで減少していた。
しかし、同年代の池田 久美子選手や醍醐 直幸選手の日本新記録のニュースに対し心から喜び「自分も……」と奮起していた。その後、小康状態を持続して自宅に帰り静養するなど回復の兆しも見せていたが、本年度のインターハイ終了翌日(8月7日)に突然「意識がなくなった」と私の許に母親から連絡がありました。
まさに「急変」でした。のちに母親から聞いたところ、8月に入ってすぐに「痛みや血圧の変動が増していた。」とのことでした。
そして、その二日後意識を取り戻すことなく天に召されました。意識がなくなる寸前まで競技のことを口にしていただけにまことに無念でなりません。
8月11日に通夜、翌12日に告別式を東京・青山葬儀場にて執り行い、陸上関係者を中心に約1500名の参列を賜りました。
亡き 森 千夏になりかわり、彼女の陸上競技生活にゆかりの深い次の各団体に格別の感謝を申し上げたいと存じます。
財団法人 日本陸上競技連盟、社団法人 東京陸上競技協会、スズキ陸上競技部、国士舘大学陸上競技部、東京都高等学校体育連盟陸上競技専門部、東京都中学校体育連盟陸上競技専門部、関東学生陸上競技連盟、静岡陸上競技協会、各都道府県陸上競技協会、東京高等学校、各団体各位、
ありがとうございました。
                               (記載  東京高等学校 小林 隆雄)


応援する会の活動

 本会は本年4月に発足し、全国の皆様に森 千夏の状況をお伝えし、医療情報の提供・応援・治療費援助等のご協力をお願いしてまいりました。
以来、全国の陸上競技関係者はもちろん、ニュースを耳になさった全国の皆様からも大変多くのご支援を賜りました。医療機関関係者の方からの治療アドバイスをいただき、実際にその病院にてご意見を頂戴したこともありました。また、サプリメントやお水をお送りいただいた方も多く、その都度ご家族に届けさせていただきました。お手紙やメール、ファックスでの応援メッセージも多くいただき病室のベッド周りにはたくさんの色紙やキャラクターが森を励ましてくれていました。皆さまの心温まるお言葉に森も大変勇気付けられておりました。
為末 大選手をはじめ多くの選手のみなさまが競技場やホームページ上で全国の皆様に向け、森応援の輪を広げてくださいました。
 財団法人日本陸上競技連盟におかれましては、桜井専務理事、澤木強化委員長からも心温まるお見舞いを賜り、森も大変に喜び復帰への意欲を強めていました。
日本陸上競技連盟にも治療費援助の窓口を開設していただき、全国の皆様から本会及び日本陸上競技連盟に総額2000万円を上回る浄財が寄せられ、治療費・入院費をはじめ葬儀費用にも補助させていただきました。(下記経理報告参照)
 この治療費援助はご家族にとって大変に心強く、高額な治療費用に有効に使用させていただきましたことを、ご家族に代わり心より御礼申し上げます。
また、現在本会で管理しております援助金につきましては、今後建立いたします森家の墓石代に対し補助させていただき、更には、皆様のお志を大切にし、ご家族及び関係者と相談し森と同じく病気と闘うアスリートへの支援に使用させていただきたいと考えております。

治療費援助金収支報告

治療費援助総額 23、137、789円
(応援する会 1013件 日本陸連 613件  全1626件)
(応援する会 16、160、795円・日本陸連 6、976、994円)

支出
治療費(入院費・医療費等)        7、343、212円
治療補助費(治療用具・交通費等)      783、454円
応援する会運営費(通信費・交通費等)   468、130円
葬儀代金補助(葬儀費用・会場費・御経料等)
                     5、982、134円
総支出                14、576、930円

残金(11月4日現在)  8、560、859円

応援のお手紙   122通
応援のメール    多数
応援のFAX    57通

多くのご支援ありがとうございました。



葬儀で遺影に使用させていただきました写真です。(月刊陸上競技提供)
戒名 技優院妙夏信女霊位

全国のみなさま。娘千夏のために多大なるご支援を賜りありがとうございました。おかげをもちまして、亡くなる直前までがんばることができました。現在もこの家に千夏がいないことが実感できずにおりますが、目標のオリンピックでのメダルは天国でと祈っている毎日です。
これからは、あの子の分まで頑張っている選手の皆さんを応援して行こうと思います。生前からたくさんの方々に応援していただき重ねてお礼申し上げます。ありがとうございました。
                                            森 健次・かよ子


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