重川材木店密着ルポ2005
第4回 熱き思いが凝縮した初上州路

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選手の強い思いが、安定した走りに

■進藤&原田、北陸予選から格段の進歩
 4区以降の選手の区間順位と、通過順位は以下の通り。
区間  選手  区間順位  通過順位
4区 進藤英樹  30位    31位
5区 原田正彦  35位    31位
6区 鍋城邦一  33位    32位
7区 吉田  繁  31位    31位

 全員が区間30位台で、これは、という快走はなかったが、3区終了時点の32位というポジションをしっかりキープした。誰か1人でも崩れたら、35位以下に落ちていただろう。
 4区の進藤英樹は北陸予選の2区でブレーキをして、大敗の一因を作ってしまった選手。レース中に起きた腰痛が原因だったが、今回はレース中のペースアップなどにも対応し、力を出し切った。北陸予選の失敗は「帳消しにした」(重川社長)といえそうだ。
「腰は大事にしました。温めたり、ストレッチを多くやったり。(大工仕事などでも)何でも両手で持つようにしたりして、バランスを崩さないよう配慮もしました」
 腰のこともあるが、1カ月半で走りが見違えるように良くなった要因として進藤が話したのはやはり、練習内容の変化だった。
「それまでは、作業現場の違いなどもあり、練習時間がバラバラでした。それが北陸予選後は、毎日12時で上がれるようになって、合同で走る練習ができるようになりました。合宿も25日くらいやったでしょう。ジョッグ1つをとっても、現場作業の後、1人で走ると60〜70分程度。汗をかけばいい、という感覚になりがちで、それではスタミナが付きません。みんなで走れば自然と100分くらいになる。ひと言でいえば、チームワークのよくなった結果だと思います」
4区の進藤は区間30位。順位を1つ上げて31位に
<写真:月刊陸上競技>
 5区の原田正彦は4年前の箱根駅伝2区区間賞の選手。ニューイヤー駅伝でも、入社当初は2区にと期待されていた。だが、8月末に自転車事故、12月上旬には胃腸炎で練習が中断した。
「期待をかけられていましたから、2区を走りたい気持ちは強かったです。松本が28分台を出したといっても、20kmなら僕の得意な距離。自分の調子が悪くて走れなかったのですから、悔しいですね。でも、一時は5区どころか、つなぎの区間になるかもしれない状態でした」
 区間35位だったが、区間20位とは約30秒差。北陸予選4区で、YKKの岩原正樹に1分42秒差をつけられたときと比べたら、不調なりにしっかり走ったといえる。
「“最低限の最低限”というところだったと思います。応援してくれた人たちにアピールできた部分はありません。それでも、ニューイヤー駅伝を走ったことが収穫でした。出られなかったら、たとえ悔しい思いがあったとしても、得るものは少なかった。出場したからわかったことが、多かったと思います」
5区の原田から6区・鍋城への中継。
原田は31位をキープしたが、
鍋城が大阪府警に2秒先着され、
32位と1つ後退<写真:月刊陸上競技>
■“燃え尽きた”鍋城と、“お祭り”だった吉田
 6区の鍋城邦一が、ニューイヤー駅伝出場に最も感激していたかもしれない。萩野、進藤の2人は日立電線から出場経験があり、吉田も昨年、愛三工業のアンカーとして上州路を走っている。その点、鍋城の前所属は21世紀に入って優勝5回のコニカミノルタ。メンバーに入ること自体、鍋城にとっては大変なことだった。
「トライアルとして行った12月28日の5000mは、いい走りができませんでした。だからこそ、自分のところで頑張りたいと思っていました。なんといっても、ニューイヤー駅伝出場は夢でしたから。重川材木店に入ったときも“走れるかどうかわからないけど、走れたらいいな”、という気持ちでした。それが本当に走れることになり、夢がかないました。燃え尽きた感じです」
 鍋城は上州路を走れた感動を表すため、そして、繰り上げにかからず最後までタスキを渡せた喜びを表すため、7区の吉田に笑顔でタスキを渡した…つもりだった。ところが、7区の付き添いをしていた内田竜太によれば、相当に苦しそうな表情だったという。それだけ、鍋城は自身を追い込んだ走りをした。
 そして、7区の吉田が@の冒頭部分で紹介したように、タスキがつながったことの喜びを体で表しながらフィニッシュした。
 しかし、その吉田も完全な調子ではなかった。メンバーから外れた北陸予選の後、調子を上げていたのは確かである。だが、夏場に走り込めなかった不安もあったし、12月に入ってから故障もあった。日体大の1万mで自己新を出す4日前まで、治療に行っていたくらいである。
 萩野が立てた朝練習重視のメニューが、吉田の自信を回復させた。それも、好走した一因だろう。駒大時代から元々、12月になると調子の上がる選手だった。それもあるだろう。だが、最終的には吉田自身のメンタル面が、大きく影響していたように思える。
「駅伝は“陸上界のお祭り”だと僕は感じています。本当に楽しみで、プレッシャーとか感じたことはないんです。走る直前まで笑顔でいられますね」
 過去の実績が示しているように、トラックでは大した記録を持っていなくても、駅伝となると必ず走る選手なのである。重川材木店最初のニューイヤー駅伝も、駅伝男がきっちり締めた。
7区の吉田は残り1.5km付近で
大阪府警を振り切り、
31位でフィニッシュ地点へ向かった
<写真:月刊陸上競技>
■本当の勝負はこれから
 重川材木店初めてのニューイヤー駅伝は、総監督の重川社長自身が「100点満点」という結果で終えることができた。竹石コーチも、自身が選手として出場したときと比較して、次のように話した。
「前の会社では10位になったこともあれば、20位台に落ち込んだこともありました。しかし、今回の重川材木店の31位は中味がまるで違います。会社の規模や運営資金、労働条件といった環境的な部分から、入社してくる選手の記録まで。レースでも、駅伝ではぽかをやる選手が1人は出るものですが、今回はそれがなかった。そういうなかで31位というのは、大した仕事をしたと思います」
 ただ、今回は重川社長が奥の手を使った部分もある。選手たちのコメントにも出てきているが、北陸予選後は毎日、仕事を12時上がりにしたし、朝練習を充実させるため、会社への出社時間を遅らせた。ニューイヤー駅伝までの45日間中、25日前後を合宿に費やし、本番のコースも何度も試走した。
 他の実業団チームであれば当然かもしれないが、重川材木店にとっては異例というべき措置。“建築業と競技の両立”という本来の姿とは、ちょっと違ってきた。
 重川社長はすでに、次の1年に向けた方針を、選手たちに説明したという。
「我々のようなチームが強くなるには、2つの道があると思います。1つは、とにかく走る時間を増やすこと。これは、その分、会社の負担が大きくなる。もう1つは、仕事に打ち込むことで仕事への不安をなくし、限られた時間でも練習に集中できるようにすることです。この1年間は前者の傾向を大きくしてきましたが、今後は後者の方に行ければと思っています」
 1〜2月は気象条件も良くないこともあり、15時上がりの日を、週2日と3日を交互に行い、残りの日はフルタイムの勤務となった。そういった条件で、どこまで競技力を伸ばすことができるか。重川材木店にとって本当の意味での勝負が、もう始まっている。
次の目標に向けて練習を開始した
重川材木店の選手たち。萩野(右端)は
2月の東京国際マラソンに出場予定


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