重川材木店密着ルポ2005
第4回 熱き思いが凝縮した初上州路

1区のゲタンダは8位で中継<写真:月刊陸上競技>

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序盤の悪い流れを萩野が修正

■エース2人が不本意な走り
 予想以上の好成績を残した重川材木店。そのレースを1区から振り返ってみたい。
 そのスタートを担ったのは、ジェームズ・ゲタンダである。重川社長は前回区間賞のムワンギ(JAL AGS)よりも強いと判断し、34分20秒の区間新記録を設定した。しかし、ゲタンダは7km付近でケニア選手たちの集団(日本人はコニカミノルタの太田崇だけ)から遅れ始めた。
 2年連続区間賞のムワンギとは35秒差。追い上げてきた後方の日本人集団に、ちょうど追いつかれたところで、辻隼(ヤクルト)には1秒先着されてしまった。ゲタンダの後方11秒の中に、18チームが中継した。重川材木店初のタスキリレーは、まれにみる混戦状態の中だった。
 2区の松本真臣は12月11日の日体大記録会1万mで、28分58秒06と自己記録を1分近く縮めた選手(そのときの写真)。今の重川材木店では最も力がある。しかし、周囲は中国電力・佐藤敦之、カネボウ・入船敏、トヨタ自動車・浜野健、九電工・前田和浩、旭化成・佐藤智之と、日本のトップクラスばかり。28分台を出した松本とはいえ、力の差があるのは否めない。
「いい緊張感がありました。29分台の選手として臨んでいたら、逆に緊張感は小さかったと思います。自分の走りをすればいい、としか考えられなかったでしょうから。でも、28分台を出したことで、このメンバーの中でどれだけ通用するか、挑戦したいと思っていました」
 松本にとっては、またとない“場”が用意されたのである。1年前には考えられなかったことだ。
 しかし、そういったメンバーの集団に食らいついたことで、終盤の失速が大きくなった。7〜8kmで集団から離れたが、それほど大きなペースダウンではない。大きくスピードが落ちたのは、12km付近からだった。後方から追いつかれる毎に食い下がるが、1〜3kmで振り切られる。その繰り返しだった。
「前半からイーブンで行けば社長の設定タイムで行けたかもしれませんが、自分は1時間4分台を目標にしていました。結果的に迷惑を掛けてしまって反省しています」
2区の松本。序盤のハイペースの影響で
終盤に大きくペースダウン。
34位にまで順位を落とした<写真:月刊陸上競技>
 3区の萩野にタスキを渡したとき、34位にまで順位は落ちていた。2区終了時点の順位としては、予定を下回った。ゲタンダがロードで力を発揮できていないのが、1つめの原因だろう。トラックでは、オープン扱いだったが日本選手権2位の選手である。
 そして、チーム全体の力が低いのに1区で上位に位置すると、今回の松本がそうだったように、2区で力の差が大きい選手と一緒に走ることになる。流れに乗るのでなく、ペースを狂わせることも多い。
 ゲタンダ3区という配置も考えられた。しかしゲタンダは北陸予選の3区で、中部地区のケニア人選手の集団に入れず、期待を大きく下回った。欧州でペースメーカーの経験もある選手だが、1人でのペースメイクに不安が残ったのである。適材適所を考えると、1区しかなかった。
 2つめの原因は松本が、本人のコメントにあるように28分台を出したことで、集団に食い下がりすぎた。ケニア選手と28分台ランナー。重川材木店としてはエース2人を起用した序盤で、予定と違った流れになってしまった。
■流れを変えた3区
 しかし、重川材木店にはこの男がいた。いざというときに頼れる男、キャプテンの萩野智久である(ちょっと言い過ぎか)。タスキを受けたときは34位。1つ前の大阪府警とは12秒差。30位の八千代工業まで22秒差だった。
「行くしかない!」
 すぐに大阪府警をとらえ、6km手前で数人の集団に追いついた。さすがに少し休んだが、8kmからは自身が集団の前に出た。残り2kmで西鉄の椛島拓馬がペースを上げたが食い下がった。ラスト1kmの椛島のスパートには引き離されたが、西鉄と3秒差、大阪府警とは同タイムで4区に中継した。コマツ電子金属と八千代工業には競り勝って、順位を2つ上げることに成功した。
 33分40秒で区間21位。抜いた選手は2人だけだが、下がりかけた勢いを、再度上昇方向に転じさせた功績は大きい。北陸予選の1区では区間3位とパッとしなかったが、大一番にしっかりと合わせてきた。29歳。その経験は伊達ではなかった。
「体調的に見てこれまでで最高の仕上がりで、5kmを14分00秒で入っても行ける感じがしていました。というのも、当日の朝、足の裏が地面に吸い付く感じがあったんです。状態がいいことを示しています」
3区で区間21位と好走した萩野。4区へは32位で中継した。
31位の大阪府警とは同タイムの中継で、
その後フィニッシュまで続くデッドヒートも
ここから始まった<写真:月刊陸上競技>
 3区は外国人選手の多い区間で、区間21位は日本選手だけなら10番目。
「上位チームは外国人選手が来なくても、強い選手が来ていた。外国人選手を除いた順位が評価対象とはならない」
 重川社長は手厳しいが、それが正しい分析だろう。しかし、その分を差し引いても、萩野の走りは決定的な役割を果たした。30位台後半に落ち込んでいく流れを、くい止めることに成功したのだから。4区以降も、31〜32位のポジションをキープできたのは、萩野の走りがあったからこそだった。
「北陸予選後に練習を変更して、朝練習からすべて、合同で行うようにしました。朝練習で15kmを普通に走れるようになったのも大きいと思いますが、最後は気持ちの部分です。これまで、本当に真剣に取り組んでいたのかどうか。“胸に練り込む”ようにして練習をすれば、極端に言えばどんな練習でも身になります。仕事も競技もそこだと思います」
 レースだけでなく、日頃の練習姿勢も他の選手の手本となっている。萩野の存在が重川材木店の窮地を救うことになった。

B4〜7区 選手の強い思いが、安定した走り
につづく

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