重川材木店密着ルポ2005
第4回 熱き思いが凝縮した初上州路

「大工のチームでニューイヤー駅伝に出場」の目標を実現させた 重川材木店だが、北陸予選の結果から、ニューイヤー駅伝本番(2006年1月1日)では苦戦も予想されていた。ところが、1区の8位から2区で34位と後退したが、その後は粘って31位でフィニッシュした。北陸予選から1カ月半の間に、チームはどのように成長を遂げたのか。そして、大工のチームが31位に入ったことの意味と周囲への効果は、どのようなものだったのだろう。

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大工チーム31位の意義

■初出場とタスキをつないだ感動
 群馬県庁前のフィニッシュ地点。残り数十mという地点でアンカーの吉田繁は、胸の「重川材木店」の文字を両手で指し示し、誇らしげな表情を見せた。キャプテンの萩野智久の顔を見つけると、ガッツポーズをつくりフィニッシュ・テープに胸を突きだした。
「最後までタスキがつながったのは、すごいことだと思います。北陸予選が終わった段階では正直、不安もありました。個人的にも、年間を通じて走れない時期が多かった。タスキがつながったら、フィニッシュ地点で喜びを表したいと思っていたんです」
 4時間57分03秒で31位。北陸予選の走りでは、ニューイヤー駅伝本番では40位前後になってしまうのではないかと思われた。12月以降、チーム状態が良くなっていたとはいえ、大健闘と言っていい結果である。
 重川隆廣社長兼総監督にとって、今大会出場は長年の夢だった。実際にチーム編成と運営に乗り出して約3年。しかし、それ以前からずっと、陸上競技への情熱を持ち続けていた。自身が競技生活を退いた後も、中学の後輩である鶴巻健監督の大学や実業団での活躍を、直接応援に行ったりもしている。「大工のチームを作ることができる」と感じ始めたのが7〜8年前。チームの創設には、自身のポケットマネーを充てた。

スタート前の重川社長。心中に去来したものは何だったのか
後ろは群馬県庁
 実際に群馬県庁のスタート地点に立ってみて、どのような思いが脳裏をよぎっていたのだろう。
「それが、思ったほどの感動が沸いてきませんでした。実は1区のゲタンダが、ユニフォームやシューズを入れていたバッグを間違えて第一中継所に送ってしまったんです。スタート数十分前に戻ってきて事なきを得たのですが、感動に浸っている余裕がありませんでした」
 初出場チームらしいエピソードではあるが、当事者にしてみれば気が気ではなかっただろう。しかし、レースが始まると、落ち着きを取り戻せた。監督ルームでレース展開をチェックしながらも、これまでの思い出がよみがえる。
「何度か熱いものが込み上げてきました。娘が、私の両親の写真を持ってきていまして、陸上競技が好きだった父のことも思い出しました。この1年間を考えても、選手の移籍などで多くの方にお世話になりました。勉強をさせてもらった1年でしたから」
 アンカーの吉田がそうだったように、選手個々にもニューイヤー駅伝への強い思いがあった。それが、フィニッシュシーンに現れていた。竹石実コーチは次のように振り返った。
「吉田が“力を出し切った”という表情でフィニッシュしましたし、萩野は『やったよ、やったよ』と繰り返していました。社長は、込み上げてくる嬉しさを噛みしめているような表情でしたね」
 4区の進藤英樹と2区の松本真臣は、フィニッシュ手前、200〜300m付近で、吉田に最後の渇を入れていた。5区の原田正彦と6区の鍋城邦一は移動のバスの中で、フィニッシュシーンは見られなかったが、気持ちは萩野たちと同じだったに違いない。

■31位の価値と、上がった認知度
 今回、重川社長が設定した各区間の目標タイムは、以下の通り。
1区 34分20秒
2区 1時間05分03秒
3区 33分03秒
4区 30分47秒
5区 49分26秒
6区 35分50秒
7区 48分27秒
 トータルすると4時間56分56秒。実際は4時間57分03秒だったのだから、表面的には目標を達成したことになる。だが、各区間のタイムは、後半の向かい風が強かった昨年の条件を前提にしたもの。その点、今年は無風に近い状態だった。そのあたりを差し引いて考えると、目標を達成したとは言いにくい。
 ただ、4時間56分56秒を前回のレースに当てはめると、18位という順位になる。さすがに、そこまで実現させるのは無理というもの。設定タイムには、“目標”とすべきタイムにするケースもあれば、確実に走れるタイムにすることもある。重川社長は、前者の設定の仕方をした。その証拠に、今回の順位には重川社長も納得している。
「31位は、ほぼ100点満点。25〜26位まで行くには、錚々たるチームを抜かないといけません。前のコマツ電子金属とは1分以上離れていましたが、後ろの大阪府警とは7秒差です。順位的にこれ以上は望めなかった。むしろ、(中部予選と併催の)北陸予選で負けたチームに勝てたことは、評価できる部分です。あの頃の状況からよく、ここまで上げてきたと思います。それができないと、30位台前半はないと思っていました」
1区のゲタンダから2区の松本へ。重川材木店初のタスキ中継<写真:月刊陸上競技>

 重川材木店の今回の成績が大健闘だったのは、陸上競技関係者以外にも伝わった。6区の鍋城邦一は、次のように話している。
「レース中は『大工さん頑張れ』と応援してもらい、励みになりました。フィニッシュしたら色んな人から『タスキがつながってよかったね』と言ってもらえた。(前の所属チームの)コニカミノルタで同じ職場だった方からも、『感動した』と言ってもらえました」
 レース前には、「初出場だし、最下位争いだろう」と、口に出してくる人間もいたという。それがレース後には、見知らぬおばさんたちから「おめでとう」と声をかけられた。新潟に戻ってジョッグをすれば、中学生にも「重川材木店、頑張れ」と声援をされるようになった。
 今回、重川材木店の応援団は約100人。バス4台を仕立てて群馬にやってきた。3台が社員で、1台が地元の商工会の人たち。レース後のサポーターたちの表情は、予想以上の結果に驚いていたり、興奮していたり。トヨタ自動車の応援団からは、ウインドブレーカーの交換を求められたりした。
「今まで、一緒に仕事をしてきた連中が、ニューイヤー駅伝という大舞台を走っている。それを目の当たりにして、陸上競技への理解度が高まったと思います」
 社長の思いが、社員や地元の人たちにも共有された。実業団スポーツのあるべき姿として、最高の瞬間だったかもしれない。

A1〜3区 序盤の悪い流れを萩野が修正につづく
B4〜7区 選手の強い思いが、安定した走りに


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