重川材木店密着ルポ2005
第3回 “そのとき”の受け取り方

B 北陸予選の反省点 重川材木店追跡ルポindexページ
仕事への取り組みが走力アップのカギ

■重川材木店初の日本人区間賞も…
 6区の鍋城邦一は重川材木店日本人選手初の区間賞獲得者となった。だが、35分07秒は中部だったら区間9位に過ぎないし、設定タイムの34分00秒よりも1分以上も遅れていた。2区を逆走するコースで下りが多い。下りが大きければ1kmあたり2分50秒を切っていたが、平地では3分ちょうどか、切っても僅かという走り。愛知製鋼にも8kmで引き離された。
 鍋城はまったく喜んでいない。
「嬉しくない区間賞ですね。YKKの選手は去年、33分52秒で走った人。たまたま取れただけなんです。この下りは元々、吉田(繁)さんが走る予定でした。10月に入って体調を崩されて、それで自分に出番が回ってきた。去年、吉田さんは34分00秒で走っていますから、自分もそのタイムでは走らないといけないと思っていました」
 鍋城自身、7・8月と順調に練習をこなしたが(第2回 初めての夏合宿を経て参照)、9月は風邪、10月にはケガで練習が十分に積めなかった。補強トレーニングの量も減っていたことに、レースを反省していて思い当たった。“喜びの区間賞コメント”はまったくなく、反省ばかりが口をついて出た鍋城だった。
 鍋城が区間賞だったということは、YKKとの差を詰めたということ。2分43秒差まで縮めていたが、10.4kmの7区で逆転をするのは無理な話だ。7区の後藤順は、序盤で差を詰めるとかではなく、トータルの距離を速く走る、自分の走りを心掛けることしかできなかった。
 5km通過は15分30秒と遅い。それ以前に、自分が動けていないのがわかった。フィニッシュが近づくにつれ、さらにペースが落ちている。
「高田自衛隊とは4分以上離れていると聞いていたので、歩かない限り大丈夫だと思っていました。でも、自分のあまりの遅さに、前よりも後ろが気になって、最後の2kmは何度も振り返りました。もしもニューイヤー駅伝を逃していたら、自分は会社にいられないでしょう」
 1年前も、山梨学院大で箱根駅伝のアンカーを務めた選手。そのときは、シード権は絶望の状況で走った。悔しさは大きかったが、走っていて今回ほどのプレッシャーはなかったという。
 後藤もフィニッシュした瞬間の気持ちを「ホッとしただけで、自分の走りは最悪でした。ホッとした反面、複雑な気持ちでした」と振り返った。“そのとき”を決めた当事者でさえ、出迎えた萩野たちとまったく同じ気持ちだったのである。
6区で重川材木店日本人初の区間賞を
取った鍋城。写真は夏合宿
■“反省”がニューイヤー駅伝につながる
 YKKに敗れた原因としてはまず、力を出し切ることができなかったが挙げられる。レース展開的には2区のアクシデントが痛かったのは確かで、そこで流れに乗り損なった。だが、そういったアクシデントも含め、明らかに選手個々の力不足だった。それぞれの事情はあるにせよ、練習不足と力不足は否めない。
 今季は、それなりに実績のある選手を集めることに成功し、練習時間も徐々に長くとっていった。週に3日間あったフルタイム勤務をなくし、7月からは全日15時上がりに。合宿も行なってきた。昨年からレポートしてきたことの繰り返しになるが、これらの本業に陸上部員が穴を空けた分は、重川社長がポケットマネーで穴埋めをしている。
「私はやるべきことをやったと思っているので、悔いは1つもないと、レース前に選手に告げました。1位でも2位でも3位でもいい。それができる限りのことをやった結果だから、受け容れるべきだと考えていました」
 陸上部の運営では、やるべきことはやった。では、何が問題かといったら、建築業と陸上競技を両立させるという、重川材木店の根本的な課題がクリアできていなかったということだろう。テーマとして外部から見る分には格好いいのだが、その実、やはり難しかった。重川社長が次のように分析した。
「大工仕事をしながら走ることが他の実業団よりも厳しい環境なのは、入社するときからわかっていたこと。それを言い訳にする気持ちが、頭の片隅にでもあったらダメだということです。反省からは今後の方針が見つけられますが、言い訳や愚痴からは、何も先につながる部分が見えてきません」
 では、具体的に選手たちに、何が足りなかったのか。それは、練習中の何かではなく、練習に取り組む基盤が脆弱だったのではないか。練習に取り組む基盤とは、生活そのものである。重川材木店の選手の生活とはすなわち、まず仕事をするということである。
「仕事に不安があったら、練習する時間があっても、どこか身が入らなくなってしまいます。『仕事がきつい』という声も選手から出ましたが、そんなのは当たり前なんです。そこが気になるのでなく、仕事に対してしっかりと取り組めていれば、自分の居場所があると感じることができます。萩野が大学院時代に少ない練習量で力を伸ばせたのは、勉強をしっかりとしていたからだと思うのです」
 競技力を伸ばすにはまず、仕事ができるようになること。実業団選手の本来の姿が、重川材木店の選手には求められている。
               ◇
 11月下旬には群馬県で合宿も行い、ニューイヤー駅伝のコースも下見した。12月にも2回、群馬県で合宿を予定している。重川社長は今回の自チームの結果と他地区の成績、過去のニューイヤー駅伝の成績などを分析し、北陸実業団駅伝のときの走りでは40位台だと結論を出した。だが、その北陸実業団駅伝よりも悪くなる可能性はないし、少しのレベルアップで30番台後半は可能となる。ワンランクのレベルアップができれば、25〜35位のグループ(1年前は2分半の間に11チーム)も見えてくる。
 そして、重川材木店にはできることがたくさんある。ニューイヤー駅伝までの僅かな時間でも、重川材木店というチームは変わる可能性を持っている。
7区の後藤。1年前にも山梨学院大のアンカーに起用された選手


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