重川材木店密着ルポ2005
第3回 “そのとき”の受け取り方

 「大工のチームでニューイヤー駅伝に出場」を目標に掲げて船出をした重川材木店。ついに“そのとき”を迎えることができた。北陸実業団駅伝で2位。今回はニューイヤー駅伝が50回記念大会ため例年より7チーム多く参加でき、北陸チームにも枠が“2”あった。しかし、重川隆廣社長兼総監督以下、関係者の顔色は冴えない。夢が実現したにもかかわらず、“そのとき”を喜びだけで迎えられなかった理由とは?

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「ホッとして悔しかった」

■下呂金山での明と暗
 “そのとき”が刻一刻と近づいていた。2005年11月20日、晩秋の穏やかな日曜日の昼下がりのこと。旧金山町役場である岐阜県下呂市の金山振興事務所前は、中部・北陸実業団対抗駅伝のフィニッシュ地点となり、地元の駅伝ファンや関係者で賑わっていた。
 その中をアンカーの後藤順が、午後1時15分27秒にフィニッシュラインを駆け抜けた。北陸予選に参加2年目の重川材木店が、YKKに次いで2位となり、ニューイヤー駅伝の出場権を得た瞬間だった。記録は4時間15分27秒で、4位だった前回より12分41秒も短縮していた。
フィニッシュを待つ
重川社長(左写真)と
アンカーの後藤(右写真)
 ところが、後藤に歓喜の表情はなかった。出迎えた重川隆廣社長兼総監督も、テレビインタビューに対して僅かに笑みも見せているが、会心の笑顔ではない。数日後、“そのとき”のことを重川社長は次のように振り返った。
「嬉しさ4割でした。一番大きな目標だったニューイヤー駅伝出場は達成できました。結果オーライではあります。それは確かに嬉しかったのですが、選手たちの力量からすれば4時間8分台も可能でした。去年のメンバーで今回のタイムなら100点満点なのですが…。遅れてしまった7分半を、ニューイヤー駅伝までにどう縮めるか。それが大きな課題として残りました」
 キャプテンの萩野智久以下、選手たちも思いは同じだった。唯一、前回の出場メンバーでもある萩野は、1区を走った後にフィニッシュ地点でレース結果を待った。“そのとき”の気持ちを「ホッとして悔しかった」と、矛盾するような表現をした。
「2区で離されてしまったと聞きましたし、3区のゲタンダでもトップに立てなかった。これは厳しいかな、と感じていました。高田自衛隊には勝てると思っていましたが、ずっと“大丈夫か、大丈夫か”とドキドキし続けていました。それで、後藤がフィニッシュしたときはホッとしたのだと思います。でも、結果はお世辞にも良かったとはいえません」
 複雑な心境だったことを明かした。

■北陸内の順位を気にしてしまった1区
 北陸実業団対抗駅伝の区間配置は以下の通り。
1区 10.4km
2区  7.2km
3区 15.4km
4区 13.9km
5区 14.0km
6区 11.6km
7区 10.4km
 出遅れが許されない1区(10.4km)の重責を、今季5000mで自身初の13分台をマークした萩野が担った。5km通過は15分30秒台と、超のつくほどのスローペース。5km過ぎから小刻みなペース変動があったが、展開が崩れたのは8km過ぎ。1500m日本記録保持者の小林史和(NTN)がスパートしたときだった。小林も故障明けのため上げきれず、一度ペースが落ちた。次にペースを上げたのは、トヨタ紡織の小林雄太とトヨタ自動車の内田直将だった。北陸地区の重川材木店、YKK、高田自衛隊の他に、中部地区の数チームが引き離された。
「ニューイヤー駅伝のことを考えたら、中部に混じっても戦えないといけない。でも、集団がバラけてからは、北陸の中での位置関係を意識してしまっていたと思います」
 ラスト500mでは、北陸のライバルであるYKKと高田自衛隊に引き離されてしまった。高田自衛隊の大関喜幸が31分24秒で区間1位(これで、過去9年間続いていたYKKの区間賞独占が、途切れた)。YKKの小出徹が2秒差で続き、萩野は7秒差で区間3位。中部も含めると16チーム中11番目というポジションだった。
「力不足です。体調には気をつけていましたし、最後でペースアップしても対応できると思っていました。行けると思ったラスト2kmで離されたのは、力がないとしか言いようがありません」
 萩野にしては不本意な結果だったが、北陸のトップと7秒差にとどめたことは、ぎりぎり許容範囲だった。3区のゲタンダでトップに立つという、重川材木店の基本戦略内での走りはやってのけた。

1区で中部の強豪チームやYKKと競り合った萩野

■2区・進藤を襲った腰痛
 しかし、2区で予想外の事態となった。
 進藤英樹が徐々に差を詰め1.5km付近のダムの上では、北陸3チームに中部2チームを加えた5チームが、縦一列の展開になった。ところが、愛知製鋼と並走するうちに、少し差を開けられてしまった。しかし、上りへの適性を買われて2区に起用された進藤である。4km付近の上りでペースを上げた。直後に一度、下りがある。そこで進藤はスピードを緩めず、グッと腰を入れた走りをした。
 そのときだった。進藤の腰に痛みが走った。力を入れることができない。以前に2回ほど、同じような状態になったことがあるが、レースでは初めてのこと。対応のしようがない。YKKも高田自衛隊も、見る見るうちに離れていく。
「“まずい、まずいぞ”、と思って走っていました。自分が足を引っ張っているのがわかって、とにかく1秒でも早くタスキを渡さないといけない、と思っていました。でも、腰が痛い。歩かなきゃいけない最悪の事態は避けたかった」
 その後も順位を落とした進藤は、最後に中央発條との差を2秒まで詰めて意地を見せたが、3区への中継では北陸1位のYKKとは1分05秒、2位の高田自衛隊とも42秒の大差をつけられてしまった。
「スピードで押していく練習が不足していたのに、下りでスピードを出してしまったのが原因。つまりは練習不足で起きたアクシデントです。上りの続く2区は、生半可な練習では押していけないということ。決して、自分が練習をしていなかったわけではありませんが、中部の選手たちを見ると、走り込んでいるな、というのがわかります」
 ゲタンダにタスキを渡すとき、進藤は「頑張って」と声をかけた。申し訳ない、という気持ちを込めての「頑張って」だったという。
2区・進藤から3区・ゲタンダへのタスキリレー

A期待を裏切ったエースたちにつづく
B仕事への取り組みが走力アップのカギ

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