2002/3/18 東亜マラソン
藤田敦史、凱旋帰国インタビュ
その1 レース展開
『スパートが残り2kmだったら相手も頑張れてしまいますが、残り3kmなら相手もビックリするんじゃないかと判断しました』

藤田敦史凱旋帰国写真

 3月17日の東亜マラソンに2時間11分22秒で優勝した藤田敦史(富士通)が18日午後、凱旋帰国した。成田空港で行われた記者会見の内容を、レース展開・トレーニング・今大会の位置づけ・今後の展望と、4つの項目に分けて紹介する。

「最初、向かい風なのにペースが速くて、最初から離れてしまいました。1kmが2分50秒で入って、5kmが先頭は14分40秒くらいで僕が14分50秒くらい。ペースメーカーが先に行ってしまいましたが、マークしていた選手が後ろにいたので、そこにつけていました。
 その集団にいたペースメーカーも力がないのか、ペースが上がったり下がったりするんです。20kmまではそこそこのペースでしたが、そこから1km3分10秒くらいに落ちました。
 25km手前で1回タイス(南アフリカ)が仕掛けたんですが、そこが一番きつかったですね。離されてはダメだと思ったんですが、そこで力を使いすぎると勝負所でダメになると思っていたら、後ろから森下(由輝・旭化成)さんとフランスの選手が追いついて来てくれて、2人の力を借りてタイスに追いつこうと考えました。
 それで追いつくことができたと思ったら、今度はすごい牽制のしあいになって、ジョッグになってしまいました。1km3分20秒くらいにまで落ちたと思います。それが33kmまで続いて、33kmの下りで森下さんがポーンと行かれてそれに付いていきました。でも、向かい風が強くて、森下さんも逃げ切れませんでした。

 36kmの下りで(自分が)出たわけですが、向かい風が強かったんで迷いました。あのあとの勝負所としては38kmに地下道があって、その出口に上りがあるんですが、その距離ではトラック勝負に持ち込まれるかもしれないと思って、残り6kmありましたが“行くならここしかない”と思って行きました。結果的にも、それが成功したかなと思います。
 その後も向かい風が強くて、後ろの足音が聞こえないんです。で、振り返ったら(ファシシ・スペイン)がいるんでビックリしましたが、追いつかれた後が自分では冷静だったと思います。1回(ファシシを)前に出して、“もう1回勝負”と気持ちを持ち直しました。

 スペイン選手も前に出たわりには逃げ切る勢いがなくて、そこで“残り3kmで勝負だ”と考えました。残り2kmだったら、相手も頑張れてしまう距離だと思いましたし、残り3kmなら相手もビックリするんじゃないかと判断しました。(スパートしたあと)離れたんですが振り返ったらそんなに離れていなくて、でも、41km過ぎにけっこう離れてくれたのがわかって、“もらったかな”と思いました。
 トラックは余裕を持って周回できました。“せっかく速いペースで練習したのが無駄になったかな”とも思いましたが、いい方向に考えれば……

※この続きは「その4 今後の展望」で紹介できると思います

その2 これまでとは違う練習パターン
その3 東亜マラソンの位置づけ
その4 今後の展望


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