2002/4/12
データ&選手自身のコメントで振り返る
土佐のマラソン
その3 2001エドモントン世界選手権編
入社後3本目のマラソンは、2001年8月のエドモントン世界選手権。前年11月の東京で代表を決めた後、全日本実業団対抗女子駅伝、全国都道府県対抗女子駅伝などに出場。2〜3月に両脚のかかとを痛めたが、5月からは予定通りボルダーで高地練習に入った。そこからエドモントンのコース下見なども行い、8月にも直接現地入り。
世界選手権は海外初マラソンというだけでなく、初めて、レース展開の選択肢に迷う大会だったのではないか。レース後に明かした、レースプランは以下の通り。
「どんなレースになるのかわかりませんでしたが、遅かったら自分のリズムで行けと言われていました。(監督の指示があったのは)前日で、遅かったら10kmから自分のペースで行けと。それまでは、どういうレースになるんだろうと(不安でした)。言われて、自分のペースでいいなだなと。ホッとしました。それまでは、どういうレースになるんだろうと、予想がつきませんでしたから。自己記録更新が目標だったので、前半、自重しすぎたらタイムが出ないと不安を感じていました。それに、抑えすぎると自分のリズムが狂っちゃう。東京(昨年11月の東京国際女子マラソンで2位)のときも同じように言われていましたから、“普通でいいんだ”と安心しました」
世界選手権エドモントン大会の5km毎の通過&スプリット
|
|
5km |
10km |
15km |
20km |
中間点 |
25km |
30km |
35km |
40km |
F |
2001世界選手権 |
シモン |
17.59. |
35.16. |
53.05. |
1.10.22. |
1.14.08. |
1.27.01. |
1.45.08. |
2.02.07. |
2.18.49. |
2.26.01. |
2001/8/12 |
ルーマニア |
(17.59.) |
(17.17.) |
(17.49.) |
(17.17.) |
|
(16.41.) |
(18.07.) |
(16.59.) |
(16.42.) |
(7.12.) |
2001世界選手権 |
土佐礼子 |
17.59. |
35.14. |
53.03. |
1.10.22. |
1.14.08. |
1.27.02. |
1.45.09. |
2.02.06. |
2.18.48. |
2.26.06. |
2001/8/12 |
(三井海上) |
(17.59.) |
(17.15.) |
(17.49.) |
(17.19.) |
|
(16.40.) |
(18.07.) |
(16.57.) |
(16.42.) |
(7.18.) |
2001世界選手権 |
渋井陽子 |
18.00. |
35.14. |
53.03. |
1.10.23. |
1.14.08. |
1.27.02. |
1.45.09. |
2.02.06. |
2.19.02. |
2.26.33. |
2001/8/12 |
(三井海上) |
(18.00.) |
(17.14.) |
(17.49.) |
(17.20.) |
|
(16.39.) |
(18.07.) |
(16.57.) |
(16.56.) |
(7.31.) |
5kmの通過が18分00秒と、ゆっくりしたペースでレースは始まった。ディタ(ルーマニア)だけが1人集団から突出していたが、その実績からいずれ落ちてくる選手、と思われた。10`を過ぎると土佐が集団の前に位置し始めた。18kmの給水地点でシモン(ルーマニア)が前に出たあたりからペースが上がり、先頭もめまぐるしく変わるようになった。ペースが上がると集団が縦長になり、遅くなると比較的横長になる。25kmを過ぎてノースサスカチュワン川を渡り、ホーリラック公園内を周回する。集団の人数はまだ15人弱はいた。32km付近で集団がディタを吸収した。30kmからは再度、土佐が集団の先頭に立ってレースをリードし、徐々に人数が絞られていった。
5km毎のスプリットからもわかるように、22km付近の下りでペースが上がり、「下りで脚を使うな」と鈴木監督から指示されていた土佐は集団の後方に下がり、見ている側をヒヤッとさせた。しかし、30kmまでは再び18分台とペースが落ち、30kmから土佐が先頭に立ってペースを上げ始め、集団の人数をどんどん絞っていき、最後はシモンとのマッチレースに。競技場手前で振り切られ、3レース連続の2位に。自己記録更新もならなかった。
Q.最初の5kmが18分と遅かったけど?
土佐 もっと速いと思っていたのに18分もかかっていて、ビックリしました。普通に走っているつもりだったのに遅くて、「タイムのレースじゃないなあ」って思いました。
Q.10kmからは自分のリズムで?
土佐 そうですね。ラビットになるくらいの勢いで、とにかく先頭に立とうと。
Q.怖くはなかった?
土佐 あまり世界大会とか考えず、いつも通りにと。ダメだったらそこまで(の選手)だったと言い聞かせて。練習も最後の方は、できていましたから。
Q.でも、30kmまでは集団で、後ろに下がったことも。
土佐 集団が“いつ崩れるんだろう、いつだろう”って思っていました。離されそうになったら“がまん、がまん”と言い聞かせて。公園(26km付近から)の周回あたりがホント、きつかったです。公園を出て、上りになって集団がバラけ、そのあたりから気分よくいけました。
Q.今までのマラソンと違った?
土佐 違いますねえ。“わたし、駆け引きしてる”って思いましたもん。イヤですねえ、あんなのは。またあんなレースだったらイヤですね。でも、世界大会って、あんなんですよね。記録じゃなかったみたい。自己記録なんてとんでもない。
Q.シモンとの一騎打ちでしたが。
土佐 ラスト勝負では勝てないと思って、何回も仕掛けたんです。でも、ダメでした。“あーっ、トラックに入っちゃうよ”と思いながら走っていました。シモンさんの方がきつそうな感じでしたが、相手が上でした。
Q.今後は、どんなレース展開で戦う?
土佐 最後で一発上げるのは、たぶん、できません。最後は無理です。イーブンを高めていくというか、じわじわ行くレースじゃないと勝てないと思います。
Q.次の目標、レースは?
土佐 次の目標は、何になるのかな? 海外のレースですか? (賞金レースは)イーブンペースでしょうから、自分には合っていると思います。ただ、次のことはまだ、全然考えられないんです。金メダルのためには今回以上の練習が必要と言われれば、やるしかないですね。3年後ですか? アテネは発祥の地ですからね。行きたいですね。
Q.あらためて、マラソンとはこういうものかと感じた?
土佐 マラソンって難しいと思いました。強いから勝てるとかって、どういう意味なんだろうって。本当に強いのは、シモンさんみたいな人なんだと思いました。でも、また違ったマラソンを持てたかな、とは思います。よくわかりませんが、何かを持てたような気がします。
土佐のマラソン全成績
回数 |
年月日 |
場所 |
順位 |
記録 |
1 |
1998. 2.22 |
愛媛 |
1 |
2.54.47. |
2 |
2000. 3.12 |
名古屋 |
2 |
2.24.36. |
3 |
2000.11.19 |
東京 |
2 |
2.24.47. |
4 |
2001. 8.12 |
エドモントン |
2 |
2.26.06. |
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