2002/8/5 茨城インターハイ
100 mは終盤で逆転負け
200 mの後半、栗本に不安はなかったのか?

◆100 mと200 mの関係
 正確な統計をとったわけではないが、インターハイにおける2冠獲得は、100 mと200 mの場合が一番多いのではないか(注1)。200 m&400 m、800 m&1500m、1500m&5000m、100 mH&走幅跳(女子に多い)、砲丸投&円盤投、円盤投&やり投(注2)という組み合わせの2冠もあるが、やはり100 m&200 mが最も多いと思う。
 どんな選手が100 m&200 mの2冠を達成しているかといえば、俗に言う後半型の選手が多かった。だが、必ずしも100 %がそうとはいえない。100 mでトップスピードに入るのが早かった2冠選手もいるし、場合によっては、100 mの後半で追い込まれても200 mで勝った選手もいる。このことは、100 mや200 mの勝負にもペース配分やレース戦略が介在することを示している。
 では、100 mの終盤で逆転された選手が200 mに勝った例はあるのだろうか――記録を見てもわからないことなので、調べようがない。だが、仮にあったとしても、少ないケースだと思われる。こういった過去の傾向を知っていても知らなくても、100 mの終盤で逆転負けした選手が200 mに臨むときの心理面は、「100 mよりも距離の長い種目。逆転される可能性は高いのでは」と考えてしまうだろう。そういった選手がトップで直線に出てきた場合、残りの100 mをどんな気持ちで走るのだろう?
◆200 m決勝前のメンタリティー
「不安はありませんでした。あんまり勝ちを意識すると力んでしまうので、自分のレーンだけを見て、いいレースをしようと考えていました」
 栗本佳世子(埼玉栄)は、「後半100 mは不安だったのではないか」という質問を即座に否定した。2日前の100 m決勝では終盤で長島夏子(壱岐)に逆転され、この日の準決勝でもフィニッシュ前で長島と松田薫(西市)にかわされて3着。プラスで拾われて決勝に駒を進めるという、危ない橋を渡った。ここまでのレースを見る限り、長島に比べるとトップスピードに早く乗れるのは間違いない。だが、終盤では長島のスピードが勝っている。彼女自身も決勝の後半に不安を抱えているはず、と考えてしまったが……。
「100 mは向こうが上でした。でも、200 mは自分の好きな種目ですし、練習ではコーナーの走りをたくさんやりました。300mの練習で、(400 mに優勝した)竹本に勝ったこともあるんです。スピード持久力なら自分が一番と思っていました。それに、9レーンというのは、本山先輩(本山恵子・94年の富山インターハイ200 m優勝)と同じパターンなんです。本山先輩も100 mが2位で、200 mの準決勝で流してプラスで拾われて9レーンとなってしまいましたが、優勝しましたから」
 準決勝は前半の100 mを思いきりいって、後半はやや力を抜いた。最後は長島に抜かれてもいいと流したが、長島の内側にいる選手に気づかなかったのだ。
◆走っている最中の感覚
 決勝では他の選手が視界に入りにくい9レーンで、予定通りトップで直線に出た。直線に出たところのリズムに、準決勝のときより躍動感が感じられた。
「“早くゴールに着け”って考えていました」
 直線を走っているときの気持ちは? という問いに対する栗本の答えだ。文字にすると、“早くゴールに着いてほしい”という焦りのニュアンスが出てしまうが、そうではない。言葉を補足するなら、“早くゴールに着けっ。行けえっ”と勢いがあったことを彼女は言いたかったのだ。
「押されている感じがしました。前に前にと進んでいる感覚です。(対照的だったのは)北関東の決勝ですね。長山さん(香織・水戸三)に追い上げられていて、“どうしよう”と焦ってしまったら力み過ぎてダメでした。そのときは直線が長く感じましたね。今回だったら、100 mの準決勝が一番力んでいたと思います。
 200 mの決勝は(勝たなきゃいけないとか)神経を変に使わず、前に進んでいたような気がします。考えると力んじゃうのでしょう。(清田浩伸)先生にも“何も考えずにいけ”と言われていました」
◆埼玉栄だから得られた自信と、栗本自身のキャラ
 閉会式終了後、後輩たちのサポートに来ていた本山さんと栗本に、ツーショットの写真を撮らせてほしいとお願いしたところ、「9レーンで撮ってもらっていいですか」という逆依頼(その写真がこれ)。本山さんはもちろん、埼玉栄が総合で連勝街道を続けていたときの選手で、個人と対校戦の双方での優勝経験があり、それを後輩たちに話すことができる。そして、同じチーム内に400 mの強い選手がいて、その選手との練習で自信をつけた。栗本の自信は、埼玉栄だからこそ得られた自信だった。
 それに、栗本のキャラクターも、プラスに働いたように見受けられた。100 mに敗れた直後、「長島さんが上だった。それだけの練習をしていると思います」と、相手に敬意を払うのと同時に、気持ちを切り換えた。表彰のあとでは入賞選手みんなで、仲良く記念写真を撮る光景も見られたほどだ。
 しかし、200 mのレースになれば、前述のような埼玉栄ならではの根拠もあり、「前半から飛ばしていこう。自分の走りをするだけ」と自信を持って臨んだ。「準決勝で私だけ貯めていたので、それも決勝では有利になると思いました」
 とにかくプラス思考の栗本だった。そして前述のように、清田先生に「なにも考えずないでいい。フィニッシュもするな」と、言われれば、素直にその通りに走った。
 もっとも、走る当事者である選手と、同じ当事者とはいえ“見守る”立場の指導者では、気持ちに差が生じる。「なにも考えずに走れ」と言った清田先生自身は、栗本の後半100 mを「前半あれだけ飛ばしましたから、どこで捕まるか」と、ハラハラして見ていたのである。インターハイの醍醐味と面白さを感じた種目だった。

<注1>200 m&400 mの2冠を達成した山村貴彦(97年・清風→日大→富士通)や田野淳(99年・新栄→早大)の例もあるが、茂木貴志(2000年・伊奈学園→筑波大)、高橋和裕(94年・添上)、海老沢雅人(93年・日立商)、荒川岳士(91年・宇都宮東)、宮田英明(90年・農大二)、井上悟(89年・清風)、杉本龍勇(88年・浜松北)と、100 m&200 mのケースが圧倒的に多い。女子の方がその傾向が大きく、五木田佑美(東京学館)、高野香織(専大松戸)、鈴木智実(市邨学園)、伊藤佳奈恵(恵庭北)、柿沼和恵(埼玉栄・2年時、3年時は400 mも勝って3冠)
<注2>97年の村上幸史(今治明徳)



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