2002/8/4 茨城インターハイ
今井が7m67!!
大会記録と高2最高にあと一歩

 成績一覧表を見ていて、大会新の文字があると“おっ”と思う大会と、思わない大会がある。“おっ”と思うのは全国大会で、歴史があって、著名選手を何人も輩出していて…。インターハイは文句なしに“おっ”と思う大会である。男子走幅跳の今井雄紀(佐野日大)が1回目を跳んだとき、“価値ある大会新”が誕生する期待が高まった。向かい風0.2mで7m57をマークしたのだ。
 大会記録は1991年の静岡インターハイで大橋忠和(土浦日大)が出した7m69。森長正樹(太成高。現ゴールドウイン)と西尾五十三の持つ7m63を更新したのだが、その後10回のインターハイが行われ、優勝記録の全部が7m50をオーバーしたが(2回追い風参考あり)、誰も大橋の記録の牙城を崩せなかった。寺野伸一(清風高。現日大)が7m68と、1cm差に迫ったのが最高だった。巡り合わせはいなもので、現在は聖徳大附属聖徳高で教鞭を執る大橋先生が、審判員として走幅跳決勝の砂場をならす係りを務めていた(写真は今井の6回目の跳躍後で、右端が大橋先生)。
 今井は2回目に7m67(+0.4)と記録を伸ばす。大会記録に2cm差。そして、高2最高記録にも2cm差。偶然にも大会記録と渡辺大輔(八王子→日大→ミズノ)の持つ高2最高記録が同じだったのだ。
 今井は3回目以降、悪くても7m40以上は跳ぶ安定した試技内容。3回目には小森大輔(佐世保西)が7m47(−0.1)、4回目には藤川健司(脇町)が7m44(+0.1)と記録を伸ばし、充実した試合展開を見せ始めた。藤川は5回目に7m56(+0.6)と自己記録を1cm更新。藤川は2年前の国体で7m55の高1最高で優勝した選手だが、昨年はインターハイこそ2位に入ったが、その後は故障した影響で記録を伸ばせていなかったのだ。
 5回目には木村孝三(本郷)も7m42(+0.2)を跳び、記録が出る雰囲気はあった。だが、6回目に入るとどの選手も記録を狙いすぎたのか(あまり根拠はない)、ファウルが続く。しかし、最終跳躍者の今井だけがきっちり白旗の踏み切り。スピードのある助走から、きれいなハングオーバー・スタイル(反り跳び)の跳躍が弧を描いた。しかし、惜しくも7m65(+0.2)にとどまり、“価値ある大会新”の誕生は来年以降に、高2最高記録の誕生は今後に持ち越された。
 試合終了後の大橋先生は、ほんの少し上気した面もち。
「今井君はスピードがありますね。7m65を跳んだときは、“これは破られる”と思ったんですけどね」
 大会記録保持者が審判を務める大会で、その記録が破られるという巡り合わせの妙は、現実とはならなかった。

今井雄紀のコメント
「嬉しいですね。大会新は出したいと思っていました。好きな数字なので、7m77を出せたらいいなって。ただ、体調的に今日は厳しいかとも感じていました。67を跳んだとき、すでに疲れを感じていました。最後の65は引っかかった感じです。大会記録は来年ですね。高2記録のチャンスは秋の県新人と関東新人ですか。
 助走が安定したのが好調の理由です。春に単身で太成高の合宿に参加させてもらい、森長(正樹・ゴールドウイン)さんや荒川(大輔・同大)さんと練習をさせてもらいました。わかりやすく教えていただいて、助走の流れと踏み切りがよくなりました。在学中に森長さんの記録(7m96の高校記録)に近づきたい気持ちはあります」

藤川健司のコメント
「2年ぶりの自己新には満足しています。2年間更新できず、悔しさもありますが、最後の跳躍はファウルでしたが7m60以上の距離が出ていました。スピードに乗ったいい跳躍でした。2年生に負けたことには抵抗もありますが、彼(今井)は本物です。自分のようにケガをしないで、いってほしいですね」

今井のコメント2
「藤川さんは、自分が中3のときに出た国体少年Bで記録を出したのを見ています。一番身近な目標であり、ずーっと尊敬してきました」

 高1最高を出したときの、関係者の間での藤川の評価は、ものすごく高いものだった。高校歴代28位の記録で終わってしまうのは、正直残念に思う。もっとも、卒業後に記録を伸ばすことができれば、見ている側のそんな感傷はどうでもよくなるのだが。

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