2002/8/24 北海道マラソン前日会見
シドニー五輪以来のマラソン出場
山口衛里、涙の会見

「レースに出る練習はできていませんが、マラソン生活の再スタートとなるようなレースができれば」


 明日(8月25日)の北海道マラソン主要招待選手の記者会見が、15時から札幌市内のホテルで行われた。注目されたのは、シドニー五輪以来のマラソンとなる山口衛里(天満屋)のコメント。質問に答える最中に涙が出る場面も見られた。以下は、共同会見の中から、山口の部分だけを抜粋したもの。

Q.どのような調整をしてきたか、現在のコンディション、明日のレースへの抱負をお聞かせください(全選手への代表質問)。
山口 北海道で走りたい気持ちは何カ月も前からあったんですが、故障とかいろいろあって、万全な練習はできていませんが、今大会はこれからのマラソン生活の再スタートとなるようなレースができればいいなと思っています。
Q.脚の状態とかレースに出られる状況ではないと思いますが、2004年への第一歩ということで、気持ちの面できっかけとなったようなことはあるのですか。
山口 オリンピックから2年間レースができなくて、その間に世界(最高)記録が出たり、日本でもレベルの高いレースがあったりして、そろそろ本当に身体を動かさないと、という気持ちになってきました。マラソン・レースに出るという練習はできていませんが、この大会に出て、一歩を踏み出せるような大会としたいと思います。
Q.(質問メモできず。この質問中に涙がこぼれ始める)
山口 走り以外のことで勉強になったこともあって、1年間休んでしまって体力が落ちているのはわかるのですが、精神面は頑張れそうな気持ちになって……また頑張ってみようという気持ちになれた1年間でした。

武冨監督のコメント
「2月くらいから準備はし始めましたが、なかなか故障(左の股関節。尾骨の横の炎症)が治らず、ボクとしては反対でした。(本人から申し出があったのは)2月か3月でしたが、なにせ、(アテネ五輪選考会から逆算すると)もうそろそろという時期にきていました。まだ、本気の練習はできませんでしたが、とにかくレースを走ることでキッカケを作りたい、という気持ちが強かった。彼女にとってはこの大会が初マラソン(表@)であり、一番悪かったマラソン(表A)であり、初優勝したマラソン(表B)。競技生活の節目となってきました。再スタートの場とするのに一番いい大会、無理を承知で出場を認めました。
(会見での涙は)この1年間、苦しんだことがよぎったんじゃないでしょうか。この場に戻ってこられた喜びという部分もあったかもしれません。両方じゃないですかね。
(山口が好きでない高地練習をやったのは、脚に負担をかけずに心肺機能に負担をかけたいから?)それ以上に、岡山にいると雑念が入ってきてしまう。1カ月でも集中して、走る環境を作ることが目的です。苦手でも、ボルダーでやったほうが集中できると判断しました。5月22日に入って、6月28日の帰国。高地ではあまり動きませんが、逆にゆっくりの方が負担が少なくていいと。
(練習内容は?)遅くても短い距離のインターバルと、次の日の2時間くらいの距離走、その翌日の軽いジョッグと、3日セットを繰り返しました。距離走をやった翌日の練習ができないということはなかったですから、徐々に回復してきたといえます。質は低かったですけど、継続してできました」

山口のマラソン全成績
1995. 8.27 北海道 2 2.32.47. @
1996. 1.28 大阪 12 2.31.43.
1996.11.17 東京 7 2.35.23.
1997. 8.31 北海道 6 2.39.46. A
1998. 5.10 トリノ 4 2.34.05.
1998. 8.30 北海道 1 2.27.36. B
1999. 1.31 大阪 11 2.32.15.
1999.11.21 東京 1 2.22.12.
2000. 4.30 シドニー 2 2.36.48.
2000. 9.24 五輪 7 2.27.03.
※練習と五輪コース試走の狙いで出場

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