2002/8/25北海道マラソン・スペシャル
体重とインターハイ
故障続きのインターハイ3000m優勝者がマラソンでステップアップ
インターハイ3000m優勝者の、見事なマラソンへのステップアップだった。インターハイに女子3000mが登場したのが1985年。堀江知佳(積水化学)は98年の丸亀インターハイ優勝者だから、14代目のチャンピオンとなる。歴代優勝者でメジャーなマラソンに優勝した選手は、堀江が初めてのケースだ(93年優勝者の田中めぐみが3月の名古屋で3位・2時間28分10秒)。
「インターハイに勝ちましたが、自分にスピードがあるとは思いません」
インターハイ・チャンピオンにこう言われてしまうと、他の選手の立つ瀬がないが、堀江のフォームは高校時代から、トラック向きのダイナミックなフォームというよりも、こぢんまりしたピッチ走法だった(と思う)。
堀江の初マラソンは2000年の長野。2時間29分12秒で4位となった。入社丸1年での挑戦だったのだから、当初からマラソンを考えていたようだ。「インターハイの頃は劇痩せしていましたね。40sちょっとでしたから。小出監督と“マラソンだったらそこまで落とすことはない”と話しました」というコメントからも、当初からマラソン狙いだったことがわかる。
しかし、その“体重”が堀江を苦しめることになった。
「“肥満部、頑張りました”と報告します」
一緒に練習した高橋尚子(積水化学)に何と報告するのか、と問われたことに対する堀江の答えがこれである。現在は44〜45sでベスト体重だが、多いときは50sにもなった。下手な食事制限はせずに何でもよく食べる、というのが小出監督の方針だが、いくらなんでも50sでは故障につながる体重だったようだ(※)。初マラソンの後はぱったり、レースに出られなくなった。昨年の北海道にやっと出場したが、2時間49分24秒もかかってしまい14位。さらには、その後の東京、今年の大阪・名古屋と全てエントリーしながら欠場した。
中瀬コーチは「故障して、治して、故障しての繰り返し。股関節とか太腿の前とかやっていますが、どこかを痛めるとそこをかばってまた、別の所に痛みが出てしまいます。去年の北海道も、4sオーバーした状態でしたから」と、その頃を説明する。
その悪循環を、どうやって断ち切ったのだろうか。本人にストレートに質問してみた。
「6月半ばにボルダーに入りましたが、その前にも脚を痛めていました。そんなに大きなケガではなかったんですが、しっかり練習ができたのはボルダーに入ってから。この大会をどうしても走りたかったので、その気持ちで(体重を)絞りました。去年が気持ちが入っていなかったわけではありませんが、故障をしたことで走りたい気持ちが高まったのは確かです。結果的に、(その気持ちが)走れることにつながったと思います」
中瀬コーチによれば、春から兆しはあったという。「スピードがついて、(チーム内の)トップの選手の練習についていけるようになりました。駅伝は3区で渋井(陽子・三井住友海上)と勝負させようかと話しているくらいです」。5月の東日本実業団では、久しぶりにトラックを走っているのだ。
ボルダーでの練習は、どんなものだったのか。もちろん、練習内容を正確に把握することなどできるはずもないが(さも知っているかのように書いてある記事が多いが)、その一端を堀江が話してくれた。
「40km走では高橋さん、千葉さんには置いていかれてしまいます。20kmくらいまでは一緒に行けますが、あとは“さよならー”っと。ですが、(自分としては)タイム的に悪くないと思っています。スピード練習も1本目から最後まで、それほどタイムが落ちませんでした。(3500mの超高地も)一緒に行きましたよ、何mかよく知らないんですけど。高地だと呼吸が苦しいってよく言いますけど、私の場合、日本でもいつもハーハー言っていますから、ボルダーだからってそんなに変わらないんですよ」
堀江自身にすごい練習をやったという意識はないが、最後の段階で小出監督から褒められたという。
「スピード練習をやったときに“光が見えたーっ!”と監督が言ってくれたんです。“堀江はスピードがないようで、意外とあるんだな”って」
やっぱり、インターハイ優勝の肩書きは、伊達ではなかったのだ。
2時間26分11秒は日本歴代17位だが、8月に出た記録としては土佐礼子(三井住友海上)の2時間26分06秒(2001エドモントン世界選手権)に次いで2番目の記録(といっても、今回の北海道は気温24〜21℃と低かった)。山口衛里(天満屋)の持っていた大会記録も更新。赤木純子の2時間28分11秒を上回り、積水化学歴代2位にも進出した。
「このタイムは夏の大会の記録とは思いませんが、記録よりも勝てたことが自信になります。これからもっと頑張ります」
※堀江は「いっぱい食べられますけど、太りやすい体質なんです。ボルダーではずっと監督に食事も見てもらっていました。食べるだけなら、高橋さんと同じくらいです」と話している。私見であるが、「太りやすい体質=消化器系の内蔵の機能が高い=長距離に強い」という図式が成立しているようにも思える。高橋尚子や渋井陽子、かつては瀬古利彦(現エスビー食品監督)がそうだった
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