2021/10/24プリンセス駅伝
上原美幸が1年11カ月ぶりのレース復帰
プリンセス駅伝出場の移籍選手たち
10月24日のプリンセス駅伝(福岡県宗像市を発着点とする6区間42.195km)で上原美幸(鹿児島銀行)が19年11月のクイーンズ駅伝以来、1年11カ月ぶりにレース復帰をする。
走るのは2区(3.6km)。最短区間だがレースの流れに影響する前半の区間。どんな状態で復帰レースに臨むのか。前日(23日)の監督会議後に鹿児島銀行の立迫奈津子監督を取材すると、「一度もポイント練習はしていません」という答えが返ってきた。
「まだ復帰に向けて体を戻している途中で、ジョグと、ジョグに毛が生えた程度のペース走、バイクを使ったインターバルくらいしかしていないんです。(出場できる)メンバーがいればプリンセス駅伝には出さず、じっくりやっていくことができたのですが、チーム事情でそういうわけにもいきませんでした」
チーム状態が大きな理由ではあるが、上原自身も今後に向けて前向きになっているからこそ、全国放送もされる駅伝への出場に踏み切った。
上原は16年リオ五輪は5000mで予選を突破し、決勝で15位と健闘した。17年世界陸上ロンドンには10000mで出場(24位)。マラソン進出で苦労をしたが、初マラソンとなった19年3月の名古屋ウィメンズで2時間24分19秒の9位(日本人3位)。MGC出場権を獲得した。
9月のMGCは途中棄権したが、10月のプリンセス駅伝は5区で区間賞、それも区間新だった。順調に復調していると誰もが思ったし、19年11月のクイーンズ駅伝もエース区間の3区で区間5位。1人を抜いてチームを3位に引き上げた。当時24歳。そこから2年近く試合に出られなくなるとは、誰も予想できなかった。
20年3月の名古屋ウィメンズマラソンで東京五輪へ最後の挑戦をするつもりだったが、スタートラインに立てなかった。
その後体調不良が明らかになった。
「体調を崩し、故障や色々なことが重なり、走ることができない体調になってしまったようです」(立迫監督)
移籍したのが今年8月。1年以上の期間、日本代表に育った第一生命グループでなんとか立て直そうとしたが、おそらく、頑張ることが悪い方向に回転してしまった。
苦しんだ末に地元の実業団チームに移籍する決心をした。立迫監督は高校(鹿児島女高)時代の恩師の奥さんでもある。受け容れる側も上原への理解が大きく、上原も安心感を持てたことは想像に難くない。
精神面が安定すれば多くの部分が好転するのは確かだが、わずか2カ月で、それもポイント練習もできていないのに駅伝出場に踏み切った理由は何か。
立迫監督が次のように説明してくれた。
「メンバーがいない状況も本人と話し、試合に出ていくことが、これからの競技に向き合っていく活力を見つける意味でも貴重な一歩になります。新たなスタートとして、まずレースに復帰しようと話し合いました。体もまったくできていませんし、ただ苦しいだけの走りになるかもしれません。それでも一歩を踏み出すことで、どうやって競技をやっていくかを考えるきっかけになると思うんです。そのために走ります」
チームとして頑張る環境がモチベーションになり、調子の悪い選手でも前を向くきかっけになる。駅伝のいいところだろう。
「上原も『プリンセス駅伝があるから頑張れる』と言っています。本調子でなくともチームの一員として責任感を持って走ることが、頑張ることにつながります。どんな状態でもタスキをつないで、みんなでクイーンズ駅伝の切符を取りに行くんだ、という気持ちになってきました」
地元に帰れば上原クラスの選手はスーパーヒロインだ。格好悪い姿は見せられない、と考えても不思議はない。だがそれでは、次のステップに進むことが難しくなる。格好が悪かろうが何だろうが、上原はレースに出る決心をした。
子どもの頃に地元のクラブチームで体を動かし始めたのが最初のスタートだった。インターハイで2年連続日本人トップとなり、全国都道府県対抗女子駅伝1区でシニアの代表選手にも先着した鹿児島女高への進学が第2のスタート。日本代表選手に成長した第一生命グループ入社が第3のスタートなら、再び地元で走り始める今回は第4のスタートと言えるかもしれない。
上原の移籍は、前に進むために必要な移籍だった。
プリンセス駅伝に出場する移籍選手は上原だけではない。この1年間だけでも、次の選手たちが移籍している。
エディオン4区の細田あいは、ダイハツ所属だった2年前のクイーンズ駅伝5区で区間2位の実績を持ち、マラソンでも2時間26分台の記録を持つが移籍という選択をした。
そのエディオンからは18年アジア大会3000mSC代表だった石澤ゆかりが、出身地である茨城県に拠点を置く日立に移籍し、今大会は1区を走る。
上原は第一生命グループから鹿児島銀行に移籍したが、第一生命グループには資生堂から18年アジア大会マラソン代表だった田中華絵が移籍し5区を任された。田中はもともと第一生命グループで育ち資生堂に移籍した選手だった。
今シーズンではないが、資生堂5区の高島由香はデンソーから移籍してきた選手。資生堂は1区区間賞候補の木村友香も、ユニバーサルエンターテインメントから移籍してきた。大塚製薬4区の伊藤舞は15年世界陸上マラソン7位の選手、岩谷産業3区の中野円花は世界陸上ドーハ・マラソン代表だった選手で2人とも移籍を経験している。
大塚製薬1区の横江里沙、鹿児島銀行1区の倉岡奈々、シスメックス3区の西原加純と5区の堀江美里らも移籍経験者だ。
今年シスメックスに移籍した西原は佛教大、ヤマダホールディングスと森川賢一監督の指導を受けて14年アジア大会代表に成長した。出身地の関西で指導をしてみたいと考えていた森川監督の、シスメックスへの移籍に際し行動を共にした。自身が結果を出すことで、森川監督の指導がスムーズに行く。恩師の手伝いを選手の立場でしようと考えたのだろう。
森川監督は移籍後の西原が「新しいチームに来て自分がやらなければ、自分がチームのみんなを引き上げたい、という気持ちが強くなっている」と感じている。
西原と森川監督は佛教大時代に全日本大学女子駅伝に2度優勝し、ヤマダホールディングスでクイーンズ駅伝で2度3位となっている。森川監督はシスメックスで成し遂げたいこととして、「クイーンズ駅伝の優勝とオリンピック選手を出すこと」を目標に掲げている。
実業団駅伝でも優勝することが悲願となっているが、そのために西原は自身が役に立ちたい気持ちが強いのだろう。移籍した選手の走りに込める思いを、その走りから感じ取りたい。
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