2017/7/13 ホクレンDistance Challenge網走大会
高湿度の中で標準記録に迫った大迫
代表を逃したことを受け容れられた理由は?


必死の形相と冷静な語り口
 ロンドン世界陸上標準記録の27分45秒00こそ惜しくも破ることができなかったが、大迫の走りには迫力があった。日本記録に匹敵する内容の走りだった。
 国内チームに在籍するケニア、エチオピア選手たちも多数出場したなか、日本人では大迫1人が先頭集団でレースを進め、5000mを13分45秒9(大迫で計測)で通過。そのペースで押し切れば27分45秒00の標準記録どころか、27分29秒69の日本記録更新も期待できた。
 バネのある大きなストライドが特徴だが、網走の大迫はさらに、ドライブが利いて素早い接地ができているように見えた(あくまでも筆者が見たイメージ)。
 だが7000mから、1周66秒台のペースをキープできなくなった。だが、ペースが落ちても何度か、盛り返している。69秒台の後に68秒前後を2周続けたり、8400〜8800mの周回で70秒かかっても、その後の2周は68秒台中盤を続けたりした。少し休み、立て直すことを繰り返していたのかもしれない(表参照)。
 どちらかというとポーカーフェイスで走る選手だが、終盤の大迫は必死の形相でペースを維持しようとした。大迫の気持ちが伝わってきた。大迫も最後、ペースを上げるまではできず27分46秒64。
 レース後の大迫は冷静に話し始めた。
「5000mまでは楽に行けたのですが、後半キープできず、最後は少しのところで標準記録が切れず残念でした。(メディアの皆さんは)すごく悔しい、と言って欲しいのかもしれませんが、嘆いても仕方ありません。結果を受け止めるしかない」
 おそらく大迫は、4月のボストン・マラソン(3位・2時間10分28秒)を走ったことで、2020年東京までの流れを、さらに明確に描き始められた。ボストン後のインタビューでは、冬期に日本国内でマラソンを走ると話している。
「今後のプランは決まっていません。休むか、アメリカでロードレースに出場するか、コーチと相談して決めていきたい」
 五輪&世界陸上への連続出場は途絶えたが、今後の道筋がはっきりしているのだろう。標準記録を逃しても、冷静でいられた理由かもしれない。

大迫の網走大会ペース分析      
距離 通過タイム 400m毎
(200m)
1000m毎
400m 1:07.16 1:07.16
800m 2:13.90 1:06.74
1000m 2:46.16 0:32.26 2:46.16
1200m 3:19.42 0:33.26
1600m 4:24.75 1:05.33
2000m 5:30.78 1:06.03 2:44.62
2400m 6:35.77 1:04.99
2800m 7:41.60 1:05.83
3000m 8:14.52 0:32.92 2:43.74
3200m 8:47.82 0:33.30
3600m 9:52.52 1:04.70
4000m 10:59.54 1:07.02 2:45.02
4400m 12:05.97 1:06.43
4800m 13:12.44 1:06.47
5000m 13:45.89 0:33.45 2:46.35
5200m 14:19.23 0:33.34
5600m 15:25.85 1:06.62
6000m 16:32.12 1:06.27 2:46.23
6400m 17:39.09 1:06.97
6800m 18:46.01 1:06.92
7000m 19:19.54 0:33.53 2:47.42
7200m 19:53.50 0:33.96
7600m 21:02.98 1:09.48
8000m 22:11.09 1:08.11 2:51.55
8400m 23:19.02 1:07.93
8800m 24:29.09 1:10.07
9000m 25:03.69 0:34.60 2:52.60
9200m 25:37.60 0:33.91
9600m 26:45.60 1:08.00
10000m 27:46.64 1:01.04 2:42.95
1/100秒単位だが手動計時=非公式

マラソンとトラックを同一シーズンで両立
 大迫は順位的にも評価できた。ベナード・キマニ(ヤクルト)に次ぐ2位で、ケニア、エチオピア選手7人に先着した。また、他の選手が自己記録から30秒〜1分は遅いタイムだったなか、自己記録から8秒差にとどめた。
 表の数字だけを見ると、ラストであと数秒、なんとかできたのではないか、と思う長距離ファンもいるだろう。だが、湿度が76%と、この時期の道東では異常に高かった。陸上競技において記録が出にくい条件は風と寒さだが、肌にまとわりつく湿気も動きを鈍くする。27分台が多く出ている大会のような好コンディションならば、日本記録(27分29秒69)を破った可能性もある。
 さらに特筆すべきは、マラソンから2カ月という状況で、トラックでも代表入りできるレベルまで持ってきたこと。同じ長距離種目でもトラックとマラソンでは求められる要素が異なり、両立は時代とともに難しくなっている。
 瀬古利彦や中山竹通の時代は、マラソンをやりながら1万mで27分台を出していたが、今は同一シーズンで両種目の結果を残している選手は少ない。冬のマラソンで好成績を出し、直後のトラックシーズンで代表に入った選手は、1991年別大マラソンに優勝し、同年の東京世界陸上に1万mで出場した森下広一が最後ではないだろうか。
 大迫はボストンマラソン後のインタビュー記事で、「距離に応じて臨機応変に自分を変えられる」と、マラソンに対して手応えをつかんだのと同時に、「トラックに持ち帰ることができる感覚がすごくあった」とも話している。マラソンとトラックに並行的に取り組むことで、相乗効果が期待できる数少ないランナーといえそうだ。
 その感覚を網走の1万mで現実に感じられたから、標準記録を破れなかったことも、落ち着いて受け容れられたのでないだろうか。
 2020年東京に向けて悲観する必要はまったくない。網走の大迫の走りは、見ている側にもそう感じさせてくれた。


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