2016/7/10 南部記念
標準記録突破者の山下が日本選手権1・2位を抑え
親子2代五輪代表入りに可能性を残す結果に


 男子三段跳は雨の悪コンディションのなかで行われ、5月に16m85と五輪標準記録を突破している山下航平(筑波大4年)が16m18(+2.1)で優勝。日本選手権優勝の山本凌雅(順大)と、同2位でリオ五輪代表の長谷川大悟(日立ICT)を抑え、追加代表入りに望みをつないだ。

 正確な動きを3回続けないといけない種目特性上、雨天の三段跳は記録的には苦戦を強いられる。
 距離的に最も伸びていたのが日本選手権優勝者の山本で、3回目には16m40くらい、6回目には16m60くらいに着地していた(ともに数cmのファウル)。だが、6回中4回がファウルと足を合わせられず、1回目の16m01(+1.4)で2位にとどまった。
 雨に一番苦しんだのが長谷川だった。織田記念で16m88と標準記録を突破し、日本選手権2位の結果でリオ五輪代表入りを決めたが、特徴であるアグレッシブなホップの接地からステップの踏み切りが、「グッと押し込む接地感がいつものようにできなかった」という。15m89(+1.2)で3位に終わった。

 その状況で勝負強さを見せたのが山下航平である。必ずしも安定した跳躍ができたわけではないが、1回目の16m18(+2.1)でそのまま逃げ切った。
 日本選手権は「あんな失敗」で記録なし(3回目に16mを超えて着地したが、着地位置よりも踏み切り板に近い位置から砂場を出てしまい3連続ファウルに)。「あきらめないといけない結果でしたが、あきらめきれず」に南部記念に出場。16m85の標準記録か、日本選手権優勝記録の16m52を上回る跳躍をしたいと臨んだ。
 だが、「記録も内容も、求めていたものからほど遠い」という結果に。
「追加代表は厳しい状況で、こういう結果は残念だし悔しい。シーズン後半もあるので、引きずっていくわけにはいきませんから、現実的には次に切り換えてやるしかありません。学生のうちに17mを跳ぶことを目標にしていきます」

 結果を出してアピールするのが競技者である。山下自身が代表入りを期待できる状況でないこと考えるのは、普通の感じ方だ。
 だが、この日の優勝で、強化委員会推薦枠の選考対象にはなった。陸上競技全体の代表枠との兼ね合いなども考慮した陸連判断に委ねられる。

父子2代代表なら室伏親子以来
 オリンピック陸上競技の親子代表は室伏重信・室伏広治、室伏重信・室伏由佳だけといわれている。山下の父親の訓史氏は88年ソウル、92年バルセロナの両五輪代表だった(ソウル大会では決勝に進んで12位)。

 スタンドから跳躍を見守った訓史氏は、この日の山下の跳躍を次のように振り返った。
「日本選手権に合わせていたので厳しい面もありましたが、1回目の16m18はキチッと助走をしていて、2回目以降につながる跳躍でした。日本選手権の1本目(ファウル)のような力み方はしていませんでしたね。しかし2回目以降は、ファウルで16m30いった跳躍もありましたけど、助走が不安定で記録を伸ばせませんでした。評価できる試合ではありませんが、寒さと雨が降っていたことを考えると、なんとも言えないですね。航平も4年間苦労をしてきて16m85を跳んだと思うのですが、3年までに16m50を跳んでおくべきでした。16m50を踏まえて16m86まで伸びたのなら、助走がもう少し安定してきているはずです。今はまだ、どうしていいか試行錯誤しながらやっているからファウルになったり、跳躍にならなかったりする」

 訓史氏は84年(山下と同じ22歳となるシーズン)に標準記録を跳んだが、選考会で植田恭史に敗れて代表入りできなかった。将来が期待される若手ホープで2試合で標準記録を突破したが、当時は陸上競技全体の枠が少なかったため涙を飲んだのだった。
 それをバネに成長し、2年後の86年に日本人初の17mジャンパーとなり、そのときの17m15は今も日本記録として残る。国際大会にも強い選手で、同年のアジア大会では17m01で金メダル。88年ソウル五輪、91年東京世界陸上と決勝に進出するなど、跳躍日本を背負って立つ存在だった。

 山下がどうなるかはまだわからないが、父親と同じように標準記録を突破しながら代表に入れない可能性もある。訓史氏は、自分と同じケースにならないことを願いつつ、次のように話した。
「選ばれてもそれをバネにできるし、選ばれなくてもバネにできる。どういう結果になっても、本人が前向きにとらえられるかどうか、でしょう」

 山下自身は2つのケースを、どうしたいと考えているのか。
「出られたら、4年後の東京オリンピックに向けて貴重な経験になるので、チャンスととらえてしっかり活用したい。選ばれなかったらもう一度鍛え直す機会ととらえて、学生のうちに17mを目指します」
 卒業後は実業団で続けたい意向を持っているが、5月の関東インカレまでは代表が期待できる選手とはいえなかった。五輪代表になればそういった話も出てくるが、なれなければ記録でアピールするしかない。

「全競技を見れば例は多いので、親子代表というところにこだわりはありません。しかし父がいなければ、日本記録保持者やオリンピック代表でなければ、三段跳をやっていなかったかもしれません。ここまでの結果を残すこともなかったでしょう。すべてのきっかけは父ですから、大きな存在だといえると思います」

 五輪親子代表が実現するのは今年なのか、4年後なのか。


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