関西インカレ 2016/5/13
田中杏梨&永野真莉子
甲南大4年生コンビの最終学年への思い


 大会3日目の午後は、男女の直線ハードル種目と100 mが続けて行われた。男子1部2種目は追い風となったこともあり、100 mでは多田修平(関学大2年)が10秒33(+0.3)の大会新、110 mHでは鍵本真啓(立命大3年)が13秒72(+0.5)の関西学生新で優勝した。
 女子2種目は新記録こそ出なかったが、100 mの永野真莉子(甲南大4年)、100 mHの田中杏梨(甲南大4年)ともに、関西の学生らしさが感じられる優勝だった。

100mHは田中が初制覇
“日本選手権2位”後の小さな低迷から脱出

 甲南大コンビで先に勝ったのは田中だった。13秒59(+0.2)で、準決勝で先着を許した中村有希(関大3年)を0.05秒差で破った。
「自分の走りができれば優勝できると思っていました。前半から加速に乗り、インタバーバルをしっかりと刻んで行くのが自分のスタイルですが、予選と準決勝は走るというよりも跳んでしまっていました。決勝はリラックスできてほぼ、やりたい動きができたと思います。自分の走りができ、優勝もできたので今日は良かったです」

 高校では14秒51がベストで、インターハイはリレーだけの出場だった。それが甲南大進学後に一気に記録が伸び、1年時に13秒60、2年時に13秒53、そして3年時には13秒30(学生歴代7位)まで成長を見せた。全国タイトルこそ取れなかったが、日本選手権は2位に食い込んだ(向かい風0.2mのなかで13秒30の自己新)。
 だが、最終学年を迎えた田中は不調に陥っていた。4月の東西女子スプリント競技会(町田市)は雨天でコンディションも悪かったが、14秒18(+2.7)もかかった。
「昨年の課題を克服しようとフォームを変えたりしましたが、上手く調整し切れていません。自分の持ち味である長身を生かしたまたぐハードリングから、インターバルの刻んで行くところが上手く合致していないんです。着地してから、横に倒れるぶれが大きくなっています」
 東西女子スプリント競技会時点では、技術的な課題への意識が大きかった。

 甲南大の伊東浩司顧問は、スプリントが走れていないことが不調の背景にあると指摘していた。田中に限らず、レベルが上がるほど技術的な部分への意識が大きくなり、走力とのバランスが難しくなる。
 田中はその指摘に反発していたこともあったようだが、関西インカレ後には「伊東先生の言われていることは正しかった」と認めている。
「(昨年後半は)記録が伸びず、技術でどうにかしたい、という部分がありました。走りを重視すると上手くいかなくなるかもしれない、というリスクも感じてしまい、スプリントを立て直す難しさがあった。でも走力がもどってきて、走力あっての技術だとわかってきたんです。スタートダッシュやインターバルなど、ハードリング以外への意識も持つように変えてきました」

 シーズン当初の不調は、日本選手権2位が重荷になっている可能性もあった。その問いかけには「私自身は背負っていませんが、周りへの影響は大きかったようです。周囲が意識するので、自分にも跳ね返ってくるというか…」という微妙な答え方を東西女子スプリント時点ではしていた。
 だが、日本選手権2位が自信になったのは確かだろう。
「自分のポテンシャルを記録的にも順位的にも感じられたので(田中自身は「昨シーズンで」という言い方)、自分が持っているものを発揮したい。その気持ちが強くなりました」
 リオ五輪に対しては、4月の時点では「今が好調だったらオリンピックを目指すと言えていたと思うのですが」とコメント。状態によっては、そのレベルを目指す手応えや覚悟がある、ということだ。

 関西インカレ後も「まだ、そこまでは言えません」と慎重な姿勢は変わらない。優勝タイムの13秒59は自己記録と0.29秒の開きがある。
 だが、関西インカレでは「8台目くらいでこけかけた」シーンもあった。それがなければ、「13秒3〜4台」が出た感触がある。
 何より、勝利の味は初めてだった。昨年までは藤原未来(現住友電工)がいたこともあり、関西インカレも日本インカレも一度も勝っていない。「記録を狙ってやっていますが、今年は最後のインカレなので、すごく勝ちたいと思っていました」
 関西インカレの初勝利が、田中に勢いを戻した可能性は高い。

100mも永野が初戴冠
1年間競技を離れていた経歴と、選手主体の甲南大スタイル

「これまでの人生の選択で、最良の選択でした」
 永野は優勝の感慨を噛みしめていた。
「もう4回生で、最後の関西インカレでしたから、悔いの残らないよう全力で頑張りたいと臨みました。それが結果につながって本当に良かったです」
 向かい風0.7mで11秒86。風次第では自己記録の11秒82を更新していただろう。
「60mのレースくらいに思って強気で行きましたが、スタートは予選や準決勝の方が良かったですね。でも、焦らずに10mか15mで巻き返せたと思います。(中盤以降は)力まずに、持ち味のストライドを使って走ることができました」

 ストライドが大きいのは、中学では走幅跳がメイン種目だったことの名残なのかもしれない。全国大会での活躍はないが、5m45の記録を残している。
 岡山県の名門、美作高に進んだがケガが多く、インターハイは3年時に400 mで出場したくらい(予選を通過できなかった)。
 美作高は陸上関係者にとってはロス五輪女子やり投代表の松井江美や、走高跳元高校記録保持者の山本寿徳を輩出した強豪だが、地元では進学校としても知られている。永野も特別進学コースに在籍していた。
 3年時の最後の国体も、直前に右脚ハムストリングを故障して欠場せざるを得なかった。高校卒業後に競技を離れる選択をしたことも、理解できないことはない。

 陸上部に入ったのは大学2年のシーズンイン直前だった。大学では200 mを中心に試合に出場するようになり、復帰2年目(3年時)の昨年は関西インカレで2位となった。永野個人としては健闘だったが、関西インカレは4×100 mRも2位、4×400mRも2位。4×100 mRは日本インカレ2位、日本選手権3位で、永野はすべて4走を務めた。ここまで徹底して2〜3位が続くと勝利への渇望がどんどん大きくなる。
 昨年の競技成績を知った上で永野の優勝コメントを聞くと、受け取る側の印象が違ってくる。

 甲南大は100 m日本記録保持者の伊東浩司顧問が指導者で、10秒00を出したメニューが行われていると受け取られがちだ。必ず行う基本メニューもあるようだが、トレーニングの個別性がより重視されている。このメニューをやれ、このトレーニングが正解だよ、と指導者側が提示する練習スタイルではなく、特に技術練習は選手自身が考えて行っている。
 永野は4月の東西女子スプリント競技会時に、甲南大の練習を次のように話していた。
「伊東先生が選手の好きにやらせてくれるので、自分に何が必要かをいつも考えながら練習計画を立てています。冬期練習はしんどいものに取り組みましたが、きつい練習でもしっかり集中することで、楽しむことができたと思います」
 そして、迷った末に入部した決断については……
「これまでの人生の選択で、最良の選択でした。練習もそうですが、何よりも仲間の存在がすごく大事だと思えるようになったから。高校は特別進学コースだったので、他の部員と練習時間帯も違っていました」

 今年の目標を次のように設定していることからも、仲間への思いが強いことがわかる。
「個人では200 mで23秒台を出したいと思っていますが、何よりリレーに力を入れたいと思っています。44秒台を出して、日本インカレも日本選手権も優勝したい。卒業後は、競技は続けないつもりです。だからこそ、今年は全力で頑張ります」
 昨年の日本選手権リレーで出した45秒03(寺井・田中・木村・永野)は学生歴代3位である。学生記録は福島大が06年に出した44秒80、歴代2位は筑波大が10年にマークした44秒87。どちらも、高校時代のトップ選手が並ぶチームだった。そこに、高校時代の実績のない永野や田中が中心の甲南大が挑む。

 個人種目は200 mの23秒台が最大目標だが、日本選手権の標準記録の11秒80と24秒25が当面の目標。どちらも0.02秒に迫っている。
「100 mも200 mも日本選手権の標準記録を破って、最後は笑って終わりたい」
 14日には関西インカレ女子4×100 mR決勝が行われる。地元の神戸新聞記者からオーダーを質問された伊東顧問は明確に答えず、選手にオーダーを決めさせていることを遠回しに話していた。
 優勝や44秒台など、甲南大が目標とする結果をリレーで出すことができたとき、永野最後のシーズンの個人種目も良い結果が出る予感がする。


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