2016/11/26 クイーンズ駅伝前日
高島が史上初の3年連続3区区間賞に意欲
昨年のクイーンズ駅伝から半年ぶりレースの日本選手権でリオ五輪を決めるなど、
波瀾万丈の2016シーズンの集大成に
2年連続3区区間賞の高島由香(資生堂・28)が、クイーンズ駅伝史上初の3年連続3区区間賞に挑戦する。
「チームとしては2年間クイーンズ駅伝に出られていないので、力を出し切れたらいいと思いますが、私個人としては、3年連続3区間賞を取れるように頑張りたい」
事情を知らなければ、2年連続区間賞選手の"普通の目標"に受け取ってしまうコメントだ。だが、高島のこの1年間の軌跡を取材すると、こう言えるようになっていることが、奇跡のようにも感じられる。
高島由香の今シーズンは、驚かされることの連続だった。最初は、半年ぶりのレース出場となった6月の日本選手権。1万m終盤で鈴木亜由子と関根花観のJP日本郵政グループ・コンビには引き離されたが、最後まで粘って3位を確保。リオ五輪代表を決めたことだ。
昨年の北京世界陸上の代表である。リオ五輪代表入りしたこと自体は、驚きではない。だが、日本選手権が、昨年のクイーンズ駅伝以来、半年ぶりのレースだった。トラック種目では、あり得ないインターバルの長さだったのである。
高島はデンソーの3連覇を5区(区間2位)、3区(区間賞&区間新)、3区(区間賞&区間新)と、エースとして支えた。
駅伝後はチームを離れる事情が生じ、1〜3月は山口の実家に戻って1人で練習していたが、4月にコーチと合流したときは体重オーバーの状態だった。
「あまり練習ができていなかったので、日本選手権は無理だなって思いも、正直ありました。でも、デンソーをやめたことで"高島はもう終わった"とかいう声も聞こえてきていました。そんな形で終わるのはイヤでしたから、日本選手権で結果を出してやろうと思って、陸上人生で一番必死にやりました」
日本選手権では、派遣設定記録(31分23秒17)を破って代表を決めるプランで、質の高い練習をすることは、以前から考えてはいた。興譲館高の先輩の新谷仁美(当時ユニバーサルエンターテインメント)が13年の日本選手権で独走優勝したように、たとえ1人で行くことになっても派遣設定記録に挑戦しようと思っていた。
だが、4月はそこまでの練習ができる状態になく、体重を絞り、脚を作る練習を続けた。スピード系のポイント練習と距離系のポイント練習を2日連続で行い、軽めの1日をはさんで、また2日セットでポイント練習を行う。
スピード系の練習例としては400 m×20、距離系の練習例としては25km走などだ。
4月はスピードを抑えめに行ったが、5月からスピードも上げ始め、400 m×15の400 mは72秒で行った。以前は75〜76秒で行うことが多かったという。
コーチの「レースでは基本的に74秒で押して行くので、72秒で動きを作っておけばレースで楽に行ける」という説明を、自身の経験的にも納得できた。
「72秒の練習は、最初はきつかったですけど、やっていくうちに少しずつ慣れてきました」
1000m×10も3分05秒平均で行い、最後の1本は3分を切ることもあったという。
「元々、ケガが少ない方なので、設定タイムを聞かされても、それほど心配しませんでした」
ブランク期間があっても高いレベルの練習を行うことができたのは、精神面の成長もあったからだ。
実業団チームに所属している選手は、寮で食事が提供され、サプリメント代や治療費用なども会社が負担してくれる。チームを離れると、そういったところを自分で負担しないといけない。それまでの環境のありがたみを感じるとともに、自己管理の意識が高くなった。食事内容にも、細心の注意を払うことでコンディションを維持した。
発想の転換にも迫られた。
デンソー時代には重要な試合前は、昆明で高地練習を行った。それができなくなった以上、高地練習をしないでも結果に結びつける方法を考えざるを得ない。
「(日本選手権前に)レースに出ようと思えば出られたのですが、中途半端な状態で試合に出るよりも、しっかりと練習をした方が良いと判断しました」
レースに出なかった分、大会前の最終刺激のメニューを変更するなど、工夫は凝らした。
こうして、半年間レースに出なかった高島が、日本選手権でリオ五輪代表の座を取ってみせたのである。
日本選手権後の高島は、リオ五輪1万mで31分36秒44の18位。自己記録に迫り、力は出し切った。鈴木は足底の痛みで出場しなかったが、日本選手最上位を占めた。
ただ、高島本人は「まったく勝負できませんでしたし、(好コンディションだったので)せめて自己新は出したかった。納得できた結果ではありません」と満足していない。
2つめの驚きは、五輪後の初レースだったプリンセス駅伝3区でも、区間賞と4秒差の区間3位と好走したこと。トップでタスキを受けて、一度は後続集団に追いつかれたが、最後はそこから抜け出してトップで中継した。
女子長距離の五輪代表たちは、全員が五輪後に休養し、復帰戦ではパッとしない走りしかできていない。高島だけがしっかりと走って見せた。
実は高島だけが、五輪後に休養を入れていなかったのだ。リオ五輪が終わって休養を入れると、プリンセス駅伝まで1カ月半くらいしか期間がなく、ベストコンディションを作るのは難しい。他の五輪代表がいるチームは、予選通過の余裕があったが、資生堂は高島がしっかり走らないと予選通過が難しい戦力だった。
リオから直接ボルダーに入り、2〜3日休養した後はプリンセス駅伝に向けて練習を開始した。
プリンセス駅伝後も、クイーンズ駅伝に備えて長期休養は入れていない。肉体的にも、精神的にも厳しい状況なのは承知の上で、クイーンズ駅伝までは突っ走ることにした。
「移籍したら(モチベーションが下がって)駅伝は走れない、と言われるのがイヤなので、資生堂でも区間賞を取れるところを見せたいと思っているんです。周りも強い人ばかりなので去年より難しいと思うんですけど、最後まで体を作って駅伝に入っていけば、取れると思っています。ここ2年間のように向かい風が吹かなければ、区間新も出せるんじゃないでしょうか。コーチには何カ月も見てもらってきて、色々あって、本当に苦労をかけていますから、区間賞をプレゼントしたい」
クイーンズ駅伝が終わったら、ゆっくりと休養する予定だが、試合数を結果的に絞ることになった今シーズンの取り組みは、年齢的にも30歳に近づいていく高島にとって、新たなパターンを確立するきっかけにもなったのではないか。
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