2016/6/5 布勢スプリント2016
矢澤が13秒47の標準記録到達でリオ五輪に大きく前進
レース後の一問一答
「ずーっとずっと、ここ何年も思い浮かべていた数字でした」
Q.速報タイムの13秒47を見たときの率直な気持ちは?
矢澤航 もうずーっとずっと、ここ何年も思い浮かべていた数字だったので、少し報われたかな、という思いと、これ以上遅くならないでくれ、という思いがありました。48になったら、笑えません。
Q.正式タイムが表示されるまでが長かったと思うが?
矢澤 怖かったですけど、思いっきりフィニッシュしましたから、あのフィニッシュをして出ないのなら、自分の責任なのでしょうがないか、と思いました。が、ちょっと神頼みもしました。
Q.最近、何か良いことをした?
矢澤 陸上をひたむきに、頑張りました。
Q.正式タイムが出た瞬間の気持ちは?
矢澤 嬉しかったのは間違いありませんが、絶対に出るぞ、出せるぞと練習してきて今日臨んでいましたから、嬉しい反面、このくらい出てもおかしくない、という気持ちもありました。報われたという思いはありました。
Q.第1レースと第2レースで変えた点は?
矢澤 1本目は隣のレーンが大室(秀樹・大塚製薬)選手で、スタートが得意の選手ですから、置きに行ったというか、8〜9割のアプローチしかできませんでした。決勝はずーっと集中して行って、1回も周りを見ないでゴールできましたね。集中力への絶対の自信、勝負強さはあると思っているので、今までの苦労を全部出してやろうと臨みました。
Q.ここ数年はどういったご苦労がありましたか?
矢澤 2012年の日本選手権でフライング失格をしてしまい、そこから4年後のリオを目標にやってきました。昨年は不本意なシーズンでしたが、4年のサイクルで見たとき、全てのシーズンで上手く行くことはないだろう、と思っていました。中高とおおきなケガもありましたが、決めるところは決められてきたので焦りはありませんでした。ただ、中学から同学年で仲の良かった松下(祐樹・ミズノ)が昨年、どんどん前に行ってしまった夏場には少し焦りもありました。
Q.中学・高校・大学・全日本とすべてのタイトルを取ってきたことが支えになった?
矢澤 ここ一番では絶対に負けない自信もあります。並びさえすれば、最後は差しきれる。今まで積み上げてきたものが支えになっています。
Q.最近で一番おおきなケガは?
矢澤 昨年5月の木南記念のレース中に、右の半膜よう筋を2度半の肉離れをして、もう少し上だったら断裂していたところでした。関東インカレの頃は入院していました。日本選手権は間に合わないと言われていましたが、見に来てくださる方もいらして、予選落ちに終わりましたが、走れる姿を見せたかった。
Q.自分のレーススタイルの特徴は?
矢澤 1台目までのアプローチを2012年秋に8歩から7歩に変えきています。その前のシーズンまでは前半が武器の先行逃げ切り型の選手でしたが、7歩の精度が上がってきてからは、後半も動かせるようになってきました。今は後半型に変わってきているように自分では思っています。
Q.7歩に変えた決断の経緯は?
矢澤 4年後を見据えてのことでした。当時7歩はまだスタンダードとは言えませんでしたが、世界を見たらいつか7歩がスタンダードになると思いましたし、8歩が自分のスプリント力に合わず、上手く加速できなくなっていたので変えました。
Q.日本選手権に向けての意気込みは?
矢澤 優勝しないと内定ではないので、優勝します。
Q.リオ五輪に向けては?
矢澤 まだスタート地点にも立てていないのですが、一緒に走りたい選手もいっぱいいます。特にパスカル(マルチノ・ラガード=フランス)とは絶対に走りたい。自分が出場した世界ジュニア(2010年モンクトン大会)のチャンピオンで、デカネーション(2014年)で会ったときに「また走ろうな」と言ってもらえたので、それを世界最高峰の舞台で果たしたい。まだ差はありますが、走れたら幸せです。
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