2015/1/23 大阪国際女子マラソン2日前会見
“大阪で自己記録”の5人が
どんな“思い”で2015年の大阪を走るのか?


 レース2日前の会見が23日14時から行われ、ガメラ(ウクライナ)、重友梨佐(天満屋)、小アまり(ノーリツ)、野尻あずさ(ヒラツカ・リース)、渡邊裕子(エディオン)、永尾薫(ユニバーサルエンターテインメント)の6人が、日曜日のレースに向けた抱負を述べた。
 大阪初参戦の永尾を除く5人は、この大会で自己記録で走っている。重友のようにロンドン五輪代表を決めた選手もいれば、野尻や渡邊のように自己記録を出しながら代表入りを逃した選手もいる。
 小アは初マラソンが今も自己最高として残っているが、39歳の今も走り続けている理由の1つになっている。
 もちろん、ピークはそう簡単につくれるものではない。今回、自己記録を更新できる状態ではない選手もいるが、それでも挑戦するのがスポーツである。
 5人は自己記録当時と今の何が違うと感じ、どういう思いで2015年の大阪に挑もうとしているのか。

@重友梨佐(天満屋)
自己記録:2時間23分23秒=2012大阪国際女子マラソン(優勝)
「何もわからず単に楽しむ感じでレースをしました。今の方が気持ちが落ち着いています」

重友梨佐のマラソン全成績
回数 月日 大会 成績 記 録
1 2011 4.17 ロンドン 24 2.31.28.
2 2012 1.29 大阪国際女子 1 2.23.23.
3 2012 8.05 ロンドン五輪 79 2.40.06.
4 2013 8.25 北海道 12 2.51.55.
5 2013 11.03 ニューヨークシティ 11 2.31.54.
6 2014 1.26 大阪国際女子 64 2.58.45.

【大阪国際女子マラソン注目選手】(4)重友梨佐(天満屋) 惨敗乗り越え「楽しむ気持ちを大切に」(産経新聞WEST)
【浪速の花、燃ゆ】(中)重友梨佐、挫折乗り越えマラソン界のエースへ(サンスポ)


 重友の初マラソンは2011年のロンドン。翌年の五輪がロンドン開催ということも考慮して、準備不足は承知で出場した。2度目のマラソンが大阪で、2時間23分23秒で優勝。天満屋勢4大会連続の五輪代表を決めた。
「日本では初レースでしたから、何もわからず、単に楽しむ感じでレースをしていました」
 ところがロンドン五輪で失敗すると、以後は一度も納得のいくレースができていない。昨年の今大会も、練習はしっかりとできたはずだったのに、脱水症状を起こして3時間近くかかるありさまだった。

新聞記事によれば「タイムを狙う練習はできていたけど、気持ちに余裕がなかった。走りたい気持ちと、怖い気持ちがごちゃごちゃしていた」(産経新聞)。

 昨年前半はレースに姿を見せなかったが、10月の実業団女子駅伝西日本大会から復帰。もちろんマラソン練習をやりながらの駅伝で、徐々に状態が上がってきた。
 目標タイムを問われると次のように話した。
「2時間25分前後です。最低でも2時間30分は切って、きっちり走れる自信を自分のなかにも持ちたい」
 以前は自己記録や陸連の派遣設定記録の2時間22分30秒を目標にしていた。そこは、何が何でもやらねばらぬ的な意思だった。その力みが消えているのはプラス要素ではないだろうか。

「2013年は気持ち的にもゆとりのない1年間を過ごしてしまいましたが、そこに去年、気づくことができた。今の方が、気持ち的にはすごく落ち着けるようになりました」
 3年前の自分と比べてばかりいた、という。そこにしか、すがるものがなかった。強豪・天満屋のキャプテンとして気を遣いすぎるところもあったという。

 3年前の重友は、自分の走りがどういう結果につながるのか、走りながら自分にもワクワクしていたのだろう。それに対して昨年の大阪は、心中穏やかでない状態で走らざるを得なかった。
 今回は、心穏やかな状態走ることができる。


A小アまり(ノーリツ)
自己記録:2時間23分30秒=2003大阪国際女子マラソン(5位)
「メチャクチャしんどいマラソンだったのに、途中でやめなかった。あれよりもしんどい経験を(その後)していないのだから、(39歳でも)まだまだできます」

小アまりのマラソン全成績
回数 月日 大会 成績 記 録
1 2003 1.26 大阪国際女子 5 2.23.30.
2 2005 1.30 大阪国際女子 2 2.23.59.
3 2005 8.14 世界選手権 15 2.30.28.
4 2007 1.28 大阪国際女子 2 2.24.39.
5 2007 9.02 世界選手権 14 2.35.04.
6 2010 1.31 大阪国際女子 3 2.26.27.
7 2010 4.25 ロンドン 9 2.25.43.
8 2011 10.30 大阪マラソン dnf 24km dnf 1.34.58.
9 2011 11.20 神戸マラソン dnf 22.6km dnf 1.28.09.
10 2013 1.27 大阪国際女子 4 2.26.41.
11 2014 1.26 大阪国際女子 7 2.31.17.

7度目の小崎「やり直しのレースで気迫を」と意欲(産経新聞WEST)

 39歳の小アは2度、大阪で2時間23分台で走っている。初マラソンの2003年と2回目の2005年。タイムが一番良いのは初マラソンだが、05年は日本人トップで07年と2回、世界陸上代表に選ばれたレースでもある。自己記録イコール、ベストレースとは限らないので、「どれが最も良い走りで、そのときと今の一番の違いは何か?」という質問の仕方をした。
 小アは迷うことなく、2003年を挙げた。

「私の印象に一番残っているのは自己記録で、初マラソンでもあった2003年です。今とは全然違うメンバーと走って、(思い返すと)寂しさもありますが、あのレースは肉体的にも精神的にもギリギリのレース内容でした。それ以降のマラソンは、肉体的にあそこまでしんどいというレースはありませんでしたから」

 2003年大阪は野口みずき(シスメックス。当時グローバリー)が2時間21分18秒の国内最高記録で優勝し、2位の千葉真子(豊田自動織機)も2時間21分45秒の日本歴代4位で走り、3位の坂本直子(天満屋)は2時間21分51秒の初マラソン日本最高(日本歴代5位)で続いた。
 小アはL.キプラガト(ケニア)をはさんで5位。30kmで集団から離れたが、そこまでの5km毎のアベレージは16分50秒を切っていた。35kmまでが17分12秒、40kmまでも17分49秒となんとか踏みとどまって、初マラソン歴代3位と好タイムでフィニッシュした。

 優勝した野口はその年のパリ世界陸上で銀メダル、千葉も銅メダル、坂本が4位と、大阪の1〜3位がそのまま世界の2〜4位に。翌年のアテネ五輪は野口が金メダルを取り、坂本も7位と連続入賞した。小アがレース内容を「ギリギリ」と形容するだけのメンバーだった。
「メチャクチャしんどいマラソンだったのに、途中でやめなかった。だから今があるのだと思います。あれよりもしんどい経験をしていないのだから、(39歳でも)まだまだできます」

 マラソン全成績表からもわかるように、小アの競技人生は長く、特殊であり、多くの選手とは一線を画す。結婚後は、家庭人としての立場を優先しながらも、競技との両立を成功させた(下のカコミ記事参照)。
 もともと、マラソンにそこまで情熱を持っていたわけではない。記者会見で宇治高の後輩である千葉真子さんから、「マラソンをなぜ走るのか?」という質問に次のように答えていた。
「正直、マラソンはよくわからないのですが、走り終わったときの充実感は走った人にしかわからないものがあります。昔は自分がマラソンをできるとは思っていませんでした。練習はキツそうだったし、マラソンはしたくないなぁ、と。でも、5000mや1万mのタイムを伸ばしたいと考えたとき、マラソン練習のようなトレーニングをしないとトラックの記録も伸びないのかな、と思ったんです。マラソン練習を始めたのがきっかけで、他の種目も走れるようになりました。そういう意味では、1つの手段でした。マラソンなら海外のレースも経験しやすくなる。日本だけでなく、色々なところに行けるのは、陸上競技をやっている楽しさの1つです。色々な部分を求めていけるのはマラソンの魅力だと思います」

 今大会に関しては昨年のリベンジという思いが強い。
「去年の大阪がまったくダメだったので、自分の中でやり直し、というのがあります」
 目標記録を問われると「2時間27分を切って走りたい」と答えた。
 2時間27分という数字の根拠には言及しなかったが、ノーリツの森岡芳彦監督は、「岩出(玲亜・ノーリツ)の記録を意識しているのではないか」と話す。

 学生時代は一度、競技から離れた時期もあった小ア。「陸上が好きなんです」という女子選手は多いが、明らかに違うタイプだった。そんな選手が陸上競技のやり甲斐を感じられるようになり、キツいと思いながらも家庭と両立してまで39歳まで続けてしまった。
 今大会から導入されるネクスト・ヒロイン枠の選手たちに、次のようにメッセージを送った。
「若い人には、頑張ったら色々な選択肢があると感じて欲しい」
 そのためにも、39歳はゴールを決めていない。

【1年前のクイーンズ駅伝公式ガイド】
結婚&出産と競技を両立させた小ア「自分が中心に回ることはあり得ない」
 小アまりが大阪府警所属の実業団ランナー、大坪隆誠と結婚したのは07年。小ア以前にもミセス選手は何人かいたが、結婚後も寮に入って別居生活を送るケースが多かった。それに対して小アは同居生活を前提に結婚した。
「新居は通勤に1時間半くらいかかる場所でしたし、夫のお弁当もしっかり作るつもりでした。夜も6時までには帰って夕食を作りたい。競技にマイナスとなることもいっぱいで、どのレベルでやれるかはわかりません。でも、部長も社長も『夫婦は一緒に住んだ方が良い』と認めてくれたんです」
 夫が夜勤の時は、小アが寮に泊まって翌日の朝練習に参加することもあった。そのスタイルでも09年日本選手権1万メートル4位と、結果が出始めた。
 10年11月に妊娠していることがわかり、11年7月に出産。練習と生活のパターンは大きくは変わらなかったが、予防接種など育児にかかる手間は多い。授乳にもこだわった。
「自分が中心に回ることはあり得ません。実家から30〜40分の場所に住んでいたので、母親に子供を預けて自宅周りをジョッグしたり、チームの練習に加わりました。グラウンドに子供を連れて行けば、チームのスタッフが面倒を見てくれます。自分が力になれるなら、チームの役に立ちたい」
 小アは女子サッカーの例を挙げる。
「グラウンドでベビーカーを見るのが普通なんです。ベビーシッターの旅費を協会が負担したりもしている。"女子サッカー"だからかもしれないし、以前は人材確保が難しかったからかもしれませんが、そういう努力の積み重ねが今の"なでしこ"の活躍につながっているように思います」
 10年、11年と出場できなかったが昨年は駅伝に復帰。宮城では20代半ばの新谷仁美(ユニバーサルエンターテインメント)や小林祐梨子(豊田自動織機)、同じ30代の福士や渋井らとともに、エース区間の3区を颯爽と走った。


Bガメラ(ウクライナ)
自己記録:2時間23分58秒=2013大阪国際女子マラソン(1位)
「感覚として、一昨年、去年と比べて調子が良い。(2年前の初優勝時の)2時間23分58秒の自己記録を更新したい」

ガメラ、V3へ余裕!手の内披露「最初はゆっくり」(サンスポ)

 大阪が転機となった選手。
 重友梨佐が優勝した2012年大会で2位(=2時間24分46秒)。重友や野尻あずさ(当時第一生命)が中間点を1時間11分前後で通過したのに対し、ガメラは1時間12分49秒。後半を1時間11分57秒とペースを上げるネガティブ・スプリットで、野尻や福士加代子(ワコール)を抜き去った。
 当時のガメラは2時間28分14秒がベストで、1万mは34分台、ハーフマラソンも1時間14分台の平凡な選手だった

 その年8月のロンドン五輪でも5位(=2時間24分32秒)。夏場の、しかもオリンピックという大舞台で自己記録を更新したのには驚かされた。
 そして2013年の大阪で2時間23分58秒で優勝。後方集団でレースを進め、22km付近で福士や小アまり(ノーリツ)らの先頭集団に追いつき、27kmで福士のペースアップに離されたが、長居公園に入ってからの残り0.9kmで福士を逆転した。
 前半のハーフが1時間11分40秒、後半が1時間12分18秒だった。

 昨年の大阪も赤羽有紀子(ホクレン)やヤジンスカ(ポーランド)に中間点では40秒も離されていたが、その後後れていた赤羽とともに32kmでヤジンスカに追いつくと、食い下がっていた赤羽を37kmで振り切った。
 前半が1時間12分12秒、後半が1時間12分25秒。

「諸事情で合宿に行くことができず、雨や雪で練習環境は良くありませんでしたが、全体として練習がよくできた手応えがあります。感覚として、一昨年、去年と比べて調子が良い。(2年前の初優勝時の)2時間23分58秒の自己記録を更新したい」


C野尻あずさ(ヒラツカ・リース)
自己記録:2時間24分57秒=2012大阪国際女子マラソン(3位)
「明らかに経験値が違います」

野尻あずさのマラソン全成績
回数 月日 大会 成績 日本人順位 記 録
  2004 10.03 ポートランド 2   2.50.04.
1 2010 1.31 大阪国際女子 8   2.29.12.
2 2011 4.17 ロンドン 12 1 2.25.29.
3 2011 8.27 世界選手権 19 4 2.33.42.
4 2012 1.29 大阪国際女子 3 2 2.24.57.
  2013 1.27 大阪国際女子 ペース   ペースメーカー
5 2013 2.24 東京 9   2.31.15.
6 2013 5.12 プラハ 10   2.40.59.
7 2013 11.17 横浜国際女子 2   2.28.47.
8 2014 2.23 東京 11 5 2.33.39.
9 2014 8.31 北海道 1 1 2.30.26.
10 2014 11.16 横浜国際女子 5 3 2.28.54.

【浪速の花、燃ゆ】(下)野尻あずさ、一人で五輪「追求」し3年…今度こそ掴む(サンスポ

 野尻も大阪がマラソン歴の節目となってきた。
「初マラソンを走ったのが大阪で、自己記録とロンドン五輪選考会も大阪、そしてペースメーカーも経験したのも大阪です。この大会は欠かせない位置づけになります」

 野尻は距離スキーで五輪を狙ったが届かず、中学時代に実績のあった陸上競技の長距離に転じて08年に第一生命入社。11年テグ世界陸上代表にまで成長したが、ロンドン五輪代表には届かなかった。
 12年大阪の自己新は、第一生命で学び取ったことを出し切ったレースだった。

 野尻は2012年の大阪の後、第一生命をやめて1人で活動するようになり、1シーズンは休養的な過ごし方をした。再始動の位置づけが13年大阪のペースメーカーだった。
 第一生命退社後は郷里の富山で1人、トレーニング方法を模索してきた。
 2013年の横浜国際女子マラソンで日本人トップになり、昨年の北海道では優勝した。その一方でタイムは伸びない。昨年11月の横浜国際女子で敗れたときには、1人で練習することのデメリットも漏らした。
 それを克服するための横浜、大阪、さらには2月の東京と、連続参戦する試みなのかもしれない。

 野尻の場合、単にトレーニングにとどまらず、自身の生き方をいかにマラソンに結びつけるか、という作業だったように思える。
「私にとってマラソンは、生きることです。マラソンをすることで生きる道が開けてきました。皆さんも日常生活や仕事で苦しいこと、楽しいことがあると思います。私のマラソンに向かって過ごす日々も同じです。今はこうしよう、こうしたいと貫くところに何かがある。後悔をしないように、マラソンをやりぬきたい」

 自己新の大阪から3年。
「マラソンを何度も走ってきて、色々な経験もしてきました。その流れを踏んでのマラソンになります。明らかに経験値が違います」
 模索してきた新たな道に、光を見いだすマラソンとなるか。


D渡邊裕子(エディオン)
自己記録:2時間25分56秒=2013大阪国際女子マラソン(3位)
「2013年は距離走など、距離をあまり踏んでいませんでしたが、今回は距離走が多くできました。持久的な力はついている」

渡邊裕子のマラソン全成績
回数 月日 大会 成績 日本人順位 記 録
1 2012 3.11 名古屋ウィメンズ 13 2.29.20.
2 2013 1.27 大阪国際女子 3 2 2.25.56.
3 2013 8.25 北海道 1 1 2.29.13.
4 2014 1.26 大阪国際女子 12 6 2.34.01.

「小さいけど負けない」小柄な日本ランナーの挑戦、25日号砲
五輪みすえて夏季に活躍できる選手を…陸連肝いり「ナショナルチーム」の成果は出るか


 渡邊は2013年の大阪で2時間25分56秒の自己ベストで3位、日本人2位となった。5枠可能だった枠が3人に絞られたため代表に入れなかったが、モスクワ世界陸上代表も望める結果を残した。
 だが、その年の北海道マラソンに優勝したところまでは良かったが、昨年の大阪は12位と後退した。

 川越学監督の説明では、“見返してやろう”と思って頑張った北海道で優勝し、やりきった感を持ってしまった。体重が増えて練習のタイムが下がったという。昨年前半も体重を落とすことができなかった。
 きっかけは昨夏のナショナル・チーム合宿だった。
 川越監督は「量をやるようになって、それがきっかけでトレーニングが積めるようになりました。そこから5kgは減っているのでは?」と話す。

 渡邊自身も、2年前との一番の違いは? という問いに対して次のように答えた。
「2013年は距離走など、距離をあまり踏んでいませんでしたが、今回は距離走が多くできました。持久的な力はついています」

 川越監督の練習は、距離走1回の距離は30km程度にとどめるのが特徴だ。今回も32km走が練習で走ったメニューの最長距離。あくまでも川越スタイルのなかで、距離を伸ばしている。

「去年の走りを立て直すという意味でも、同じ大阪の舞台で、元気に走っている姿をもう一度見せたい。世界というよりも自分のペースで、周りを気にしないで走ります。いつも25kmから離れているイメージなので、25〜30kmをしっかりと粘って、そこからさらにペースを上げるように走れたら。自己記録の2時間25分56秒更新が目標です」


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