2015/12/5 福岡国際マラソン前日
五輪代表も市民ランナー的スタイルで
4年前のリベンジに強い意思で臨む川内
川内優輝(埼玉県庁)は4日の会見後のカコミ取材時に、「4年前と比べて成長した点は?」という質問に対し、2つの点を強調した(4年前の福岡国際は日本人トップの3位になったものの、2時間09分57秒で代表入りを逃している)。
1つは膨大なレース経験だ。
「4年前はフルマラソンの優勝経験がありませんでしたが、今は海外も含めて20回以上の優勝経験があります。フルマラソンの回数も現在54回で、4年間で45回くらい積み上げています。海外のフルマラソン自体、4年前はテグ世界陸上だけでしたが、その後はケープタウン、ニューヨークシティ、デュッセルドルフ、ハンブルクなど多くなっています。そのなかでは最初から飛ばすレースもありましたし、ペースメーカーがいないニューヨークのようなレースもありました。防府のように、30kmから自分で飛ばしたレースもある。ヨーロッパやアフリカにも乗り込んで、ケニアやエチオピアの強い選手とも戦ってきました。南アフリカのレースは周りは全部アフリカ系で、そういった選手40人に囲まれて走ったことがある選手は他にいないと思います」
もう1点は、応援の質の違いである。市民ランナー的な要素を、強化に取り入れてきた川内らしかった。
「私はすごくいっぱいレースに出ているので、日本全国の人に応援してもらっています。そういう方たちにとって、テレビの中でしか見たことのない選手と、実際に目の前を走ったり、握手をしたり、写真を一緒に撮ったりした選手とでは、(応援の仕方に)違ってくる部分があると思います。レースに出ても、どこかでお会いしましたよね、という方が多くなっているんです。そういった応援をしてくださる方が、4年前よりも多くなっている」
8月までは、故障とはいえないまでも、痛い箇所が代わる代わる出て、福岡国際マラソン出場もためらっていた。「招待を一度受けたレースには必ず出る」という川内のポリシーがマイナスに出た面もあったが、「そこを崩したら(自分のスタイル全体が)ガタガタと崩れてしまう」と判断して貫いた。
8月にやっと、「山の合宿などでゆっくり走り込むことができた」という。豪州のパースの大会でケニア勢がビザの関係で欠場してスローペースになったことも幸いした。8月のレースで無理をしなかった結果、9月からは違和感なく練習ができるようになった。
4年前は、テグ世界陸上にも出場して五輪代表を目標にはしていたが、「ロンドンを戦うイメージが、そこまで強くわいていなかった」と言う。代表入りへのの集中力が低かったことは2月の東京マラソンに現れてしまった(2時間12分51秒で14位)。
「(自身で用意したスペシャルの)給水を2回、3回失敗しただけで気持ちが切れてしまった。今だったら、ジェネラルを取れたらなんということもない、と考えられる。当時は練習を勝手に盗撮されることにもイライラしてしまっていた」
福岡国際は、2月の東京に向けた流れの一環で考えていた部分もあった。
「テグから4カ月では合わせるのが大変、という気持ちがどこかにありました。今は(この4年間の経験で)1カ月あれば合わせられる。4年前は未熟な部分が多かったと思います」
市民ランナー的な強化スタイルで五輪代表に挑戦した前例が、日本のマラソン史で皆無だったかどうかはわからない。だが、川内が参考にできる例はなかった。当時はまだ、完璧なスタイルにできていなかったということだ。
だが、どんなスタイルで強くなるかは、人それぞれ。川内も指摘しているように、そこを崩したら、その選手の土台が崩れてしまうこともある。
川内優輝は4年間で進化させた市民ランナー的なスタイルで、五輪代表を取りに行く。
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