2014/7/27 トワイライト・ゲームス
藤光謙司が示した短距離代表最年長の存在感
専門外種目で“100mメイン”選手たちを抑えて優勝
セカンド記録で今後とアジア大会に手応え
200 mを主戦場にしている藤光謙司(ゼンリン)が、100 mに10秒30(+0.1)の自己セカンド記録で快勝した。女部田祐(中大3年)、大瀬戸一馬(法大2年)、江里口匡史(大阪ガス)、そして川面聡大(ミズノ)と、100 mで実績のある選手たちを一蹴。スタートに強い大瀬戸の隣のレーンだったが、本人の感覚では少しリードしていた。
「スタートが速い選手が集まったなかでしっかりと出られたのは、不得意としていた局面ですから収穫ですね。でも、特に100 m用の練習をしてきたわけではありません。秋のアジア大会は4×100 mRに出るのか4×400mRに出るのか流動的なので、どの距離も走れるように練習してきました。それが今日のレースにつながったと思います。コンディション的にもここに合わせたわけではないですから、その状態でここまで走れたのは本当に収穫ですね」
昨年のモスクワ世界陸上での藤光の活躍は印象的だった。“活躍”というよりも、山縣亮太(慶大)の負傷&戦線離脱という状況で、急きょ4×100
mRの2走を任された藤光の“踏ん張り”が、土俵際に押し込まれた日本短距離陣を救った。
今年のアジア大会はもちろん、個人で“活躍”するつもりだった。4年前の広州大会は200 mで銀メダル。次こそは、の思いが強かったことは想像に難くない。
だが、今の日本男子短距離は次々に有望選手が現れている。日本選手権200 mは学生の原翔太(上武大4年)がサプライズVを果たし、派遣設定記録Aを持っていた社会人ルーキーの飯塚翔太(ミズノ)が3位。この2人が個人種目代表で、4位の藤光はリレー両種目要員という形での代表入りとなった。
「去年、モスクワでも現地に行ってから、どちらのリレーに出るか決まりました。その経験をしているので、アジア大会も心配していません。(練習メニューは)200 mを軸に作っていけば、どちらにも応用できます。自分はどちらかにシフトして作っていくタイプではないですね」
藤光の自己記録は4年前のアジア大会イヤーにマークした20秒38で、日本選手権にも優勝した。その後は20秒89(11年)、20秒63(12年)、20秒48(13年)と来ている。アジア大会翌年の低迷は故障があったためだが、それも克服した。だが、前述のように若手の台頭もあって、その後は個人種目の代表入りがない。
昨年のモスクワ世界陸上、そして今年のアジア大会と「上2人(高平慎士と塚原直貴)が入っていないので」と、短距離代表最年長という立場にもなった。
「自分もトシをとったんだな、と思いますが、しっかりと下を引っ張って行く意味でも、得意でない種目で結果を残すことは重要です。世界ジュニアで短距離が好成績を残していますが、まだまだ僕らもやれると思う。ジュニアから刺激を受けて、シニアも頑張らないと。それだけの力もあることを見せたいですね」
個人種目では09年のベルリン世界陸上が2次予選進出、10年のアジア大会が銀メダル。繰り返しになるが、その後は個人種目での代表はない。両リレー要員として都合の良い選手として使われている、という見方もされるが、そこで存在感を示して意地を見せている、ともいえる。繰り返すが、昨年のモスクワ世界陸上はまさに藤光が日本の窮地を救った。
「それも面白いスプリント人生だよね」という問いかけに、「そうですね」と言いながらも内心は、完全に肯定するわけにはいかない。
「今日は秋に向けて良いきっかけになりました。これをリレーにしっかり生かしたい」と、自身の立場をしっかり認識して話すが、200 mでもどこかで自己記録を更新したいという。藤光の4年ぶりの自己記録更新は意味が大きい。
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