2013/9/21 全日本実業団2日目
一般人に近いアスリートだった大利がラストウォーク
「世界で入賞する、メダルを取るとなると向こう3年、4年とやって実現できる自信がありません」
大利久美(富士通)が引退レースを優勝で飾った。渕瀬真寿美(大塚製薬)が不調だったこともあり女子1万mWを独歩、44分22秒56で2位の道口愛(コモディイイダ)に1分近い差をつけた。
「いつもと同じように前半から飛ばして、前半で貯金を作って勝ちたいと思って歩いていました。振り返ると良い友人、スタッフ、先輩、後輩に恵まれていました。12年半、たくさんの人に出会えた競技人生でした」
2009年のベルリン世界陸上20kmWは12位(日本人2位)。その後が期待されたが2011年テグ世界陸上は20位、昨年のロンドン五輪は37位。昨年で引退するつもりだったが、ロンドン五輪の成績があまりにもひどく、「もう一度頑張ることで、応援してくれた人たちに感謝の気持ちを伝えたい」と、1年間競技生活を延長した。
モスクワ世界陸上は26位。「合格点ではありませんが、自分を(1シーズン)奮い立たせてやれた」と、少しは納得できる成績だった。
富士通の先輩に21世紀の女子競歩を牽引してきた川崎真裕美がいて(入社は大利が早い)、1学年後輩に日本記録保持者の渕瀬がいたため、大利は2人に隠れた存在だった。日本記録を更新したこともなければ、日本人初の○○という肩書きもない。
だが、2010年の千葉国体から1年以上、日本選手間で無敗を誇った時期があった。1つ思い出のレースを挙げるとすれば? という問いにも千葉国体と答えた。
「一番うれしかったのが、初めて全国で勝てた千葉国体です。ずっと2番で、2番にしかなれないのでは、と思っていた頃に勝つことができ、それも地元代表でしたから喜びは大きかったですね」
もう1つ挙げたのが2012年の日本選手権20kmWである。
「ロンドン五輪の選考会に勝って人生が変わりました。陸上選手としての意識を変えられたレースでした」
しかし、前述のようにロンドン五輪では37位と力を出し切れなかった。レースが近くなり、男子のレースを見て緊張から体調を崩してしまった。モスクワ世界陸上でもレース2日前に症状が出たが、同部屋の渕瀬にも助けられてなんとか歩くことができた。
「トップアスリートとしての資質が備わっていないと、改めて実感しました」
ベルリンの12位は初めての五輪&世界陸上で、無欲で臨んだ結果だった。その後の世界陸上&五輪では入賞を意識して出場したが、その状況に耐えられる力がなかったという自己評価なのだろう。
「日本国内ならこうして勝つこともできますが、世界で入賞する、メダルを取るとなると向こう3年、4年とやって実現できる自信がありません。もったいない、という気持ちだけで続けられる世界ではありませんから、引退を決めました」
高校時代に先輩のマネをしたのが競歩を始めたきっかけだった。歩型の警告は少なく、動きに関しては器用な選手といえるだろう。競歩選手としての能力は高かった。
だが、他人の目を気にせず我が道を突き進むという、トップアスリートに多いタイプとは違った選手だった。取材をしていても、「えっ?」と思える弱気のコメントも何度かあった。一般人としては普通の感覚なのだが、アスリート向きではなかったのかもしれない。
だが、そうした一般人に近い感覚でもここまでの成績を残した大利の経験は、同じタイプの選手が強くなったときに役立つはずだ。今後は富士通の社員としての道を歩むが、その経験を陸上界にも還元してほしい。
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