2013/3/17 全日本実業団ハーフマラソン
丸山が1時間01分15秒の日本歴代8位タイ=旭化成記録
“思い切り”の良いレースでケニア勢を振り切っての優勝
熊日30kmの2位からさらにレベルアップ
丸山文裕(旭化成)の積極的なレース展開に、「オッ」と思わされた。4km付近から3人となった先頭集団に、日本選手でただ1人食らい付いていた。
2月の熊日30kmで川内優輝(埼玉県庁)に続いて2位(1時間29分34秒)となったのは記憶に新しい。無名選手ではないが、ゲディオン(日清食品グループ)、マイナ(富士通)のケニア勢ににつくのはオーバーペースではないか? 6km付近でゲディオンがリードしたときは、そのまま離されるのかと思われたが、10kmまでには追いついた。
5km通過が14分24秒、10kmは28分45秒。ケニア勢のつくるペースとしてはそこまで速くないが、昨年1時間00分53秒の大会新(日本歴代3位)で優勝したときの宮脇千博(トヨタ自動車)よりも10kmで13秒速かった。
「外国人選手に付いていくことはイメージしていました。通過タイムは気にせず、行けるところまで行ってやろう、と。実際、きつかったところ、大丈夫かと思ったところもありましたが、“思い切った”レースをしないとどうしようもない。練習もよくできていましたし、(自身の)コンディションも良かった。そういう裏付けもあって、思い切り行きました」
丸山がスパートしたのは18kmと19kmの間。20km通過時点でマイナを8秒引き離したのだから、かなり強烈なスパートだった。フィニッシュでは派手なガッツポーズで全国大会初Vをアピールした。1時間01分15秒で日本歴代8位。
「残り3km地点を過ぎてもペースがそれほど上がっていなかったので、“思い切って”行こう、と決めました。優勝と61分20秒を目標にやってきたので、順位もタイムも達成できて良かった」
丸山と同じように、宗猛監督も“思い切り”という言葉を使った。
「熊日30kmのあとも上手く、その流れに乗って練習ができました。上位争いや日本人1位は想像ができましたが、優勝とは思わなかった。前半から“思い切り”の良い走りをして、このままいけば日本人1位は間違いないと思っていたら、終盤では集団を引っ張って、ラスト3kmを切ってするすると抜け出した。これは自信になるでしょうね」
大分東明高から入社して丸4年。インターハイは3年時に5000m予選落ちだったが、全国高校駅伝では4区で区間3位と好走し、チームの5位入賞に貢献した(ただ、1学年下に油布郁人(駒大3年)がいたためエースではなかった)。
「(高卒でトヨタ自動車に入った)宮脇と同じで箱根駅伝よりも、日の丸を付けることを優先して考えていたのでしょう。ウチが勧誘に行ったら『旭化成で頑張ります』と入社を決めてくれた」(宗猛監督)
だが、入社して4年間、ニューイヤー駅伝に出場したことがない。九州実業団駅伝では区間賞も取るし、「練習では“オッ”と思える走りをする」(同監督)が、「小さいケガが多く、大事なところで使えなかった」という。1万mは28分27秒63だが、旭化成ではそれほど上の持ちタイムではない。
2月の熊日30kmがきっかけだった。1時間29分34秒のタイムで宮脇を17秒引き離したが、別大優勝から2週間後の川内とのラスト勝負に3秒負けてしまった。
「今日はどうしても勝ちたいと思っていました。熊日はラスト1kmで競り負けたんです。経験の差もあると思いますが、川内さんは別大から2週間後で、コンディションは僕の方が良かったはず。気持ちの強さもあったと感じました。1位と2位の違いを痛感したレースでしたし、絶対に負けないという強い気持ちを持っている選手が競り勝てる。それをずっと考えていました」
熊日30km後は「つねに先頭を引っ張るなど、練習への姿勢も変わってきた」(宗猛監督)という。
今回の1時間01分15秒は旭化成記録。1万mで27分台の記録を持つ深津卓也や大西智也の、ハーフマラソンのタイムを上回った。昨年は5000mも1万mも記録を出すタイミングを逸し、日本選手権の標準記録もまだ破っていないが、「世界陸上のB標準(28分05秒00)くらいは行ってもおかしくない」(宗猛監督)。
動きの面での特徴は「キレの良いピッチ走法」(同監督)で、歴代の旭化成選手では、森下広一(現トヨタ自動車九州監督)に近いという。来冬には初マラソンに挑戦するプランも立てている。
26年半破られていないマラソンの旭化成記録(2時間07分35秒)に、堀端宏行らとともに挑んでいく選手に成長するだろうか。
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