2013/10/30 グランツール九州2013 第4ステージ
九州4日目の“日本代表”
@前田和浩
「良い思い出は少ない」ところが前田の九州一周駅伝
リオ五輪を狙う決意を表明


第4ステージ個人成績
 第4ステージでは今夏のモスクワ世界陸上マラソン代表だった前田和浩(九電工)が4区、2009年のベルリン世界陸上1万m代表だった岩井勇輝(旭化成)が3区、そして来年のアジア大会代表を目指す松村康平(三菱重工長崎)は2区に出走した。

 前田は世界陸上後、10月19日の1万m(28分57秒66)に続き2レースめ。4区(17.0km)に出場し51分16秒の区間新で区間1位。1分22秒前に出た長崎、3秒前に出た宮崎を逆転し、宮崎に13秒差をつけて5区に中継した。
「もう少し差を開けたかったですね。コースがここまできついと思っていませんでした。最初は余裕があったので宮崎に合わせるよりも自分で行ったのですが、後半ここまで伸びないとは。下りで乗れませんでしたね。上りでは元に戻せたのですが。エースとしての仕事はできませんでした」

 かつての中学チャンピオンも32歳。入社14年目で九州一周駅伝出場は9回目になった。
「入社1、2年目はこの大会に出ること、出場して目立つことが目標でした。そうしないとチームの駅伝メンバーに入れませんでしたから。速い人たちにもまれて強くなる大会でしたね。その後は実戦的なトレーニングという位置づけに変わりました。練習ではここまで追い込めませんから。僕は“叩いて”上がっていくタイプなので」
 ただ、その特徴が、九州一周駅伝の勝負ではマイナスに働くことも。宮崎県のエースと同じ区間でぶつかることが多いが、「1本目と2本目では大きく負けてしまいます」。しかし、そこで“叩く”ことになって「3本目、4本目と少し勝つことはできる。でも、全体では良い思い出は少ない大会」だという。

 その間、国際大会は2006年アジア大会5000m、2007年大阪世界陸上1万mに出場した。2007年には1万m27分55秒17をマーク。
 マラソンは2009年東京がデビューレースで、いきなり世界陸上代表を勝ち取った。日本人トップはその2009年東京、2010年別大、2013年東京と3回ある。
 九州一周駅伝に出ないこともあったが、マラソンに取り組んでからも「実戦的なトレーニングというのは同じで、スピードを取り戻す場」と位置づけた。九州一周駅伝での大快走はなくても、マラソンで結果を出す。それが前田の九州一周駅伝活用法だった。
 競技成績的には良い思い出が少ないが、「沿道から名前で応援してもらえる。九州で走っていると実感できる」と、地元の温かみはいつも感じている。

 だが、世界陸上マラソンはベルリンが39位、今夏のモスクワは17位(2時間15分25秒)と結果を残せなかった。特に今年は、練習が思い通りに消化できていただけにショックは大きかった。
「暑さは感じませんでしたが、体が感じてしまっていたのかもしれません。夏場もトレーニングはしっかりできたのですが、場所は涼しいところを選んでいました。来年はオリンピックも世界陸上もないので、暑いところで練習して、疲労がどう残るかなどを試すのも1つの方法かな」
 2016年リオ五輪までは競技を続ける。
「やれるところまで目指さないと、今やってる意味がありません。ここまでやれたのですから、最後までやりきって悔いのない陸上人生にしたい」
 九州一周駅伝をもう1本走り、九州実業団駅伝、ニューイヤー駅伝と走り、この冬には国内マラソン出場を考えている。具体的な大会はニューイヤー駅伝の結果を見て決める。「1回くらいマラソンで優勝したいですね」
 競技人生の最後を盛り上げるための第一歩を、最後の九州一周駅伝で踏み出した。


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