2012/11/17 横浜国際女子マラソン前日
赤羽、那須川、松岡
同学年トリオの“再出発”に注目


 優勝争いという視点とは別に、明日は赤羽有紀子(ホクレン)、松岡範子(セカンドウィンドAC)、那須川瑞穂(ユニバーサルエンターテインメント)の同学年トリオに注目したい。
 3人の特徴を比べると、その違いが非常に面白い。

●トラック&マラソン代表のママさんランナー
 赤羽は大学で世代トップレベルに成長してユニバーシアードでハーフマラソンと1万mでメダルを獲得。結婚&出産後にトラックで日本トップレベルに進出して北京五輪代表に。北京五輪後にマラソンに進出し、昨年の世界陸上では5位に入賞した。出産後の競技復帰と、トラックからマラソンへの進出に成功した選手。
赤羽のマラソン全成績
氏名 回数 月日 大会 成績 記 録
赤羽有紀子 1 2009 1.25 大阪国際女子 2 2.25.40.
赤羽有紀子 2 2009 8.23 世界選手権 31 2.37.43.
赤羽有紀子 3 2010 1.31 大阪国際女子 dnf dnf
赤羽有紀子 4 2010 4.25 ロンドン 6 2.24.55.
赤羽有紀子 5 2011 1.30 大阪国際女子 1 2.26.29.
赤羽有紀子 6 2011 4.17 ロンドン 6 2.24.09.
赤羽有紀子 7 2011 8.27 世界選手権 5 2.29.35.
赤羽有紀子 8 2012 3.11 名古屋ウィメンズ 8 2.26.08.

●中距離出身の小出門下最年長
 那須川は2002、03年に1500mで4分16秒台をマークした中距離のトップ選手だったが、04年に初マラソンを2時間29分台で走った。しかし、そのままマラソン一筋とはならず、06年には5000mで15分23秒00をマーク。大阪の世界陸上や北京五輪は5000mで狙っていた。
 五輪代表入りを逃した後の09年東京マラソンで2時間25分台をマークして優勝した。小出義雄門下ということもありマラソンで成功するかと思われたが、その後は伸び悩み、ロンドン五輪代表も逃した。
那須川のマラソン全成績
氏名 回数 月日 大会 成績 記 録
那須川瑞穂 1 2004 1.25 大阪国際女子 4 2.29.49.
那須川瑞穂 2 2005 1.30 大阪国際女子 8 2.30.15.
那須川瑞穂 3 2009 3.22 東京 1 2.25.38.
那須川瑞穂 4 2009 8.30 北海道 7 2.34.17.
那須川瑞穂 5 2009 10.11 シカゴ 7 2.29.22.
那須川瑞穂 6 2010 2.28 東京 21 2.57.22.
那須川瑞穂 7 2010 8.29 北海道 3 2.36.07.
那須川瑞穂 8 2011 4.17 ロンドン 21 2.30.00.
那須川瑞穂 9 2012 3.11 名古屋ウィメンズ 12 2.28.44.

●現役復帰したスピードランナー
 松岡は高校卒業後に急成長。全日本実業団女子駅伝のエース区間で日本トップ選手たちと対等の走りを見せ、スズキ(現スズキ浜松AC)の99年の3位、2000年の2位に貢献した。実業団4年目の2001年には東アジア大会5000m代表に。
 しかし同年に自転車事故で重傷を負い、競技復帰後もバランスがなかなか戻らずに低迷。2005年には以前のレベルに戻ったが、故障が多く安定した成績が残せなかった。しかし、08年には日本選手権1万mで4位となり、北京五輪代表にあと1人という成績を残した。
 昨年の初マラソン後に引退してスズキを退社。1年ほどのブランクから今夏セカンドウィンドACで競技生活に復帰した。
松岡のマラソン全成績
氏名 回数 月日 大会 成績 記 録
松岡 範子 1 2011 4.17 ロンドン・ 16 2.26.54.

 平田真理コーチ(セカンドウィンドAC)によれば、この学年でトップレベルの現役選手を続けているのはこの3人だけだという(平田コーチも同学年)。昨日の記者会見前の控え室でも3人はそのことを話題にしていたという。
 実はこの3人、昨年のロンドン・マラソンを一緒に走っている。名古屋国際女子マラソンが震災で中止となり、代わりにテグ世界陸上の代表選考レースとなった大会だ。
 赤羽は1月の大阪ですでに代表を決めていたが、そこで世界レベルのスピードに挑戦。そのなかで日本人1位となり、女子マラソン界でのポジションを確立した。
 那須川は代表を懸けてのレースだったが、震災で郷里の岩手県が悲惨な状況になった。都道府県駅伝でタスキをつないだ元チームメイトも亡くし、言葉では言い表せないような心情で臨んだマラソンだった。
 松岡はスズキ浜松ACが実業団(駅伝)から撤退し、会社からマラソン出場をプッシュされていた。本人も「ケガが多くてなかなか踏み出せませんでしたが、心のどこかでマラソンをやりたかった」という。そして「30歳を過ぎて色々と考えることもあり、競技人生を悔いなく終わりたい気持ちもあった」と、引退も意識した初マラソンだった。

 その3人が五輪を区切りに一線を退くことなく、33歳の今(那須川は今月22日が誕生日)、また一堂に会した。
 赤羽は来年のモスクワ世界陸上で「納得のいく走りをしたい」(朝日新聞11月14日記事)というのが現在の目標。その後に走り続けるかどうかは未定だ。一時はモスクワで引退、というニュアンスで話していたので、心境に変化が生じている。
 那須川もモスクワ世界陸上が目標というのは同じ。その後は「あと3年やれば小出門下最長記録になるので、そこまでは頑張ろうかな」と、半ば冗談めかして話す。実業団選手としての小出門下最長記録はすでに那須川だが、鈴木博美(97年アテネ世界陸上マラソン金メダリスト)が市船橋高時代から小出氏の指導を受けていた。それを上回ろうというのだ。
「でも、(監督と)15年ですか」と感慨深げ。
 松岡が現役復帰したのは、以前から川越学監督のベテラン選手に結果を出させる指導に興味を持っていたから。「こんな私でもマラソンをやっていくためのトレーニングを上手くつくってくれると思って」というのが、セカンドウィンドACで現役復帰を決めた理由だ。スズキ時代のやり方とは違うものを模索している。

 面白いのは、3人の高校卒業後の指導者の顔触れだ。
 赤羽は大学4年間と、実業団3年目までが鈴木尚人城西大監督で、その後は8年間、夫の赤羽周平コーチと二人三脚を続けている。
 那須川は前述のように15年間、小出義雄氏ひと筋だ。
 そして松岡は川越監督が5人目の指導者となる。高卒後に入社したダイワハウスは小澤欽一監督だったが、移籍したスズキでは市邨学園高でトラック&フィールド全般を指導した永田勝利監督が長距離も陣頭指揮を執っていた。その後、一緒に移籍した小澤氏がコーチから監督となり、小澤氏との師弟関係が一番長く続いた。スズキ浜松ACの最後は内山孝之氏、里内正幸氏と若手監督の指導を受けた。
 指導者の顔触れを見るだけでも、3人がここまで歩んできた競技“人生”の違いがわかる。

 明日のレースは競技人生を懸けるものにはならないかもしれない。33歳という年齢的なこともあるのか、3人のレース前の様子に切羽詰まったものは感じられない。
 だが、タイミング的にオリンピック後最初のマラソンということで、簡単に言いにくい部分もあるが“再出発”に近い意味合いはある。世界陸上代表が決まったり優勝して脚光を浴びれば、競技人生が少し変わることにもなるだろう。ベテラン選手に訪れるちょっとした色彩の変化を、明日は見られるかもしれない。


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