2012/4/15 東京六大学
山縣が10秒25、低温のなか自己記録に0.02秒差の快走
走法改良で中盤以降もスピード維持が可能に
「織田記念でA標準(10秒18)で走りたい」


 男子100 m予選で山縣亮太(慶大2年)が10秒25(+1.0)で走ったのは衝撃だった。
「(シーズン初戦では)今までで一番良い走りができました」と本人も振り返るが、4月前半にこの記録を出したことがすごい。気温は15℃。やや肌寒いコンディションだった。
 過去、朝原宣治(現大阪ガスコーチ)が3月にオーストラリアで10秒26を出したことがあるが、国内で記録が出るのは4月後半の出雲陸上、織田記念からというのが常識。4月前半の対校戦や県レベルの大会で10秒2台が出たことはない。
「(記録は)出るんじゃないかと思っていました。試合のタイムとは違うので不安はありましたが、練習では良い感じでタイムが出ていましたから。六大学近くになって、量はやっていないのでそれがどう出るかわかりませんでしたが、スピードは多く練習してきました」
 昨年は秋の国体で10秒23のジュニア日本記録を出した山縣。高校3年時も夏のインターハイは負けたが、秋の国体と日本ジュニアでタイトルを取った。その山縣が今季は、かなりの手応えを持ってシーズンに臨んでいたということである。

 予選で出したこと、については驚きではない。予選から決勝まで、走りが大きく変わらないのが高校時代からの山縣の特徴だった。昨春に行った九鬼巧(早大2年)との対談で「俺は“こういうふうに走る”っていう感覚を持ちながら走っているから、予選だろうが準決だろうが決勝だろうが同じになる。予選が悪くて決勝がいきなり良くなることはない」(陸上競技マガジン2011年5月号)と話している。
 決勝は10秒37(±0)。九鬼に0.20秒差で優勝はしたが、タイムを落としたことは不満だった。
「予選もシーズン初戦の緊張があって、走りが少し硬かったんです。それを決勝で修正しようとしましたが、硬さが取れませんでした。疲れも出てしまいました。でも、良いシーズンインでした」

 冬期のテーマは中盤から後半のスピードダウンを抑えることだった。
「合宿などで競り合う練習をしたときも、30mまでは速いのですが、そこからもうひと伸びに欠けていました。自分でも感じていましたし、指摘されることもありました。でも、それは走り込んで克服することではないと思って、悩んでいました」
 そこで陸連合宿中に朝原宣治コーチや土江寛裕城西大監督に相談をした。その結論が、ストライドを大きくすることだった。だがそれは、動き的には脚を前後に思い切り開くことではなかった。
「スピードが出ているときは、ポンと弾むだけでストライドが伸びるんです。マーク走の練習も、マークの間隔を狭めて、間延びしない走りを追求しました。脚は前に出すのでなく、真下に下ろすイメージです。間延びしなければストライドは伸びます。最初はやっていて窮屈でしたが、去年の走りに納得できなかったので、何かを変えたいという思いが勝りました。朝原さん、土江さんが口を揃えて言ってくれたので、自分の知らない何かがあると信じられたんです。江里口(匡史・大阪ガス)さんと話しても、そう意識してトップスピードをつくっていると聞きしました。30mからどうトップスピードを出すかが大事です」
 東京六大学の走りも昨年までとは「意識が違った」という。ビデオを見ても、その違いは明らかだった。
 走法だけでなく、体格も変わった。身長は0.9cm伸びただけだが、体重は68〜69kgで3kgほど増えた。腰回りは以前からがっちりしていたが、今季は上体もたくましくなった。

 織田記念(4月29日)は、広島修道高出身の山縣にとって地元の大会。直線種目で好記録が出ることでも知られている。
「江里口さんが追い風参考でもいいから10秒0台で走りたい、とおっしゃっていました。自分もそこでA標準(10秒18)で走りたいですね。良い条件と地元の利が噛み合えば、江里口さんとも張り合えると思っています」
 ジュニアを卒業して1年目。「どうしても今年、オリンピックに出たい」。19歳は遠慮するつもりはまったくない。


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