2012/2/19 日本選手権20km競歩
大利が苦しみながらも選考タイムをクリア
ロンドン五輪代表に内定

       陸上競技4人目、競歩&富士通で3人目の代表

 女子20kmWで大利久美(富士通)が1時間29分48秒で2連勝。陸連の定めた1時間29分59秒以内という選考タイムもクリアしてロンドン五輪代表に内定した。「まさか、こんなにギリギリのタイムになるとは思っていませんでした。ゴール直後は心から“よかったぁ”と思いました。とにかくホッとしています」と、安堵の表情を見せていた。

 昨夏の世界選手権代表3人の対決が期待されていた種目。だが、日本記録保持者の渕瀬真寿美(大塚製薬)がエントリーせず、同僚の川崎真裕美(富士通)も直前に欠場を決めた。ライバル不在の中で大利がどう歩くか、に注目が集まった。
 最初の1kmが4分21秒とかなり速いペースで入った。「体感では4分25秒ペースのはずが、実際は4分20秒ペースでした」
 それ以降も4分24〜25秒で歩き、5kmは21分58秒の通過。日本記録(1時間28分03秒)のペースだったが、これは大利の意図したところではなかった。井上麗(天満屋)に食い下がられたことで、大利の感覚が微妙に狂ってしまっていた。

 今大会に向けての大利は好調で、一時は「今村コーチとも日本記録が出せるという共通認識でメニューをこなしていた」というほどだった。ライバル2人が欠場し、レース前日には「1時間30分切って確実に優勝すること」と目標を低めにしていたが、1時間29分59秒は余裕を持ってクリアしたいと考えていた。
 仮に1時間29分00秒を目指すのであれば1km毎4分27秒、5km毎22分15秒で良い。最初の1kmでそれを大きく上回ったが、井上と競っていたためペースの修正が難しかった。

 そのツケが5km以降に出てしまう。井上は4km過ぎに振り切ったが、独歩となってからはタイムが落ち、10km通過は44分25秒(5km毎22分27秒)。1時間29分前後のペースに落ちていた。
「4kmまでは呼吸も楽でしたが、10kmでペースが落ちていると気づきました。感覚と実際のペースがズレているとわかったんです」
 15kmは1時間07分18秒の通過で、5km毎は22分53秒まで落ち込んだ。最後の5kmを22分42秒にペースアップしないと代表権は獲得できない状況になった。
「タイムが危ないと言われたのは残り3周(14km地点)。そこからきつかったですね」
 なんとか22分30秒にペースを上げて1時間29分48秒で優勝テープを切った。両手を挙げてガッツポーズはしたものの、その場に座り込んでしまった。

 レース後の会見で、窮地を切り抜けられたことを次のように振り返った。
「1時間30分を切れないという想定はしていなかったので、歩きながら落ち着いて、フォームが崩れないように意識していました。焦りもありましたが、ロンドン五輪代表入りするのだと前向きに考えられたのがよかったのだと思います。しかし、タイム的にも技術的にも良い練習ができていたのにこの結果です。どんな状態でも力を発揮するまでの力がなかったということです」
 五輪内定を出すという一番の目標を達成したにもかかわらず、「実感がわかない」と繰り返した大利。
「本来ならトップ3が集う大会。そのなかで代表権を勝ち取りたかったですね。優勝はうれしいのですが、しっかりと勝負がしたかった。3人の中で私だけ、日本記録を出したことがありません。今日、日本新を出していたら、もっと実感がわいたのかもしれませんね」

 だが、大利の代表入りで富士通は、3人の競歩代表を送り出すことが決定した(3月の全日本競歩能美大会の結果次第では、川崎にも可能性がある)。競歩関係者の話では過去、同一チームから2人以上の競歩代表が出たことはなかったという。
「富士通の男子2人が世界選手権で入賞して内定をもらっていました。私もテグで決めたかったのですが、今日ようやく2人に追いついた…わけではありませんが、同じ舞台に立てることになり嬉しく思います」

 競歩を始めたのは埼玉。西武文理高2年時。それまでは中距離選手だったが「競歩の真似をしていたら周りから“イケルよ”とおだてられた」ことをきっかけに始めた。2002年のことだ。先輩の川崎と、1学年下の渕瀬になかなか勝てなかったが、2011年以降は日本選手に負けていない。競歩始めて10年。ついに世界最高の舞台を歩く。
「入賞したいとはまだ言えません。少しでも上位に近づけるよう、こつこつと、ケガをしないように練習を積んでいきたい」


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