2012/12/1 福岡国際マラソン当日朝
マサシ、来日10年目の初マラソン

 来日10年目のマーティン・マサシ(スズキ浜松AC)が初マラソンに挑戦する。
 マサシ自身はレース直前になった今、あまり具体的な目標を語らないが、記録よりもまずは勝つことが目標だと言い続けている(4月の兵庫リレーカーニバルなどの取材時)。福岡で勝って来春の海外マラソンにつなげたいという考えだ。
 2日前の会見では「良いパフォーマンスで歴史を作りたい」とコメント。駅伝とトラックを極めてきたスピードランナーが、新たな一歩を踏み出す。

 来日したのは2003年。04年のニューイヤー駅伝から4年連続区間賞と、駅伝本番に抜群の集中力を見せた。「マサシの責任感はすごかった」とスズキ浜松ACの三潟卓郎監督。前日まで歩くのに痛みがあっても、レース当日の朝には「大丈夫」と言って出場し、区間新で走ったこともあった。
 トラックではケニア代表として走ることを最大目標にし、05年のヘルシンキ世界陸上から代表入り。大阪世界陸上1万mでは銅メダルを獲得。ラストのスピードがないためエチオピア勢になかなか勝てなかったが、その一角を崩した。
 大阪に懸ける思いが強かったのだろう。レース後はナンバーカードの裏に張り付けていた紙(“神は大阪にいた”というニュアンスのフレーズだったと記憶している)を掲げてウイニングランを行なった。

 しかし、北京五輪は途中で転倒した影響もあって7位。北京五輪を境にマラソンを視野に入れ始め、朝練習で20km走、30km走などを行い始めた。
 09年には5月に1万mで26分59秒88をマーク。しかし、股関節を痛めていた時期で、レースをこなすことができなかった。
 10年に初めてハーフマラソンに出場。仙台で59分48秒をマークして圧勝した。北京五輪マラソン金メダリストのサムエル・ワンジルが出した大会記録(59分43秒=05年)に惜しくも届かなかった。風が強い悪コンディションで、スズキ浜松ACのスタッフは「無理だろう」とあきらめていたが、マサシは本気で狙って走った。
 11年はテグ世界選手権1万mにも出場したが5位。トラックの世界一は難しいと結論を出さざるを得なかった。
 その直後にイギリスのハーフマラソンに出場し、非公認の片道コースながら58分56秒で優勝。だが、そのレース後の疲れが大きく、福岡国際マラソンに出場するプランもあったが断念した。
 本腰を入れたマラソン練習は今年9月末から。40km走や30km走も行ってきたが「量は日本人の70%」と三潟監督。「でも、質は120%。150%かもしれない」

 今回の福岡は5km15分00秒ペースで進む。マサシにとってはスローに感じられる設定だろう。そこに苛立ちを感じるようだと失敗するが、マサシは30kmまでは出ないと決めている。ワンジルが初マラソンの福岡(2007年)で優勝したときも、「練習で我慢することを覚えたことが大きい」と、当時所属していたトヨタ自動車九州の森下広一監督は話していた。
 不安は終盤までスタミナが持つかどうか、という点。こればかりはやってみないとわからない部分だ。ただ、距離走のタイム実績からすると、三潟監督が自信を持つのはうなづける。
 マサシは普段の会話の中では、ワンジルが福岡で2時間06分39秒で優勝した話題になると、「(その記録を)上回りたい」と話している。兵庫リレーカーニバルのときに「世界記録は?」と質問した。
「走ってみたいです」


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