2011/11/18 横浜国際女子マラソン前々日
堀江と永尾、ユニバーサル・コンビが優勝に意欲
ヨコハマで交わるベテランと若手の軌跡

会見のコメントに表れた2人の違い
「オリンピックに出たいか、という質問に対してはもう、“イエス、イエス、イエス、イエス”」(堀江)
「行きたいかという質問に対しては“やるからには行きたい”です」(永尾)


 30歳の堀江知佳と、22歳の永尾薫。対照的なユニバーサルエンターテインメントのコンビが、横浜のシーサイドコースで五輪切符獲得に挑む。

 共同会見時に2人は、次のように目標を話した。
堀江 具体的なタイムは描いていませんが、4年前の選考会(2008年名古屋国際女子マラソン)では自分から仕掛けて逃げ切れませんでした。オリンピック切符が取れなかった。そのための4年間を、この日まで頑張ってきました。夢を叶えられるよう、優勝目指して頑張りたいと思います。
永尾 前回(今年2月の第2回横浜国際女子マラソン)は35〜36kmで離れてしまいました。そのときは(急きょ出場することになり)30kmまで先頭につくことが目標でした。30kmまでつくことはできましたが、自分の中でそこでゴールしてしまったんです。今回は42.195km、最後まで勝負に参加して、優勝を目指して頑張りたいと思います。

 オリンピックに出たいか? オリンピックへの思いは? という質問には次のような答え方をした。
堀江 オリンピックに出たいか、という質問に対してはもう、“イエス、イエス、イエス、イエス”という感じなんですが、4年前、北京オリンピックの選考レースで結果的にダメだったのですが、それまで夢だったオリンピックが、あのレースをきっかけに夢から目標に変わった気がします。でも、目標になってからの方が怖くなったというか、目標を達成しなければという思いが強くなりすぎて、空回りしてしまった部分もたくさんありました。だからもう一度夢に戻すかといったら上手く言えないのですが、夢だった頃の純粋さで素直に行きたい。そういう思いでやっていけたらと思っています。かといって、行ける自信があるかというと1%もありません。自信はないのですが、支えてくれているみんなのおかげでここまでやってこられている、という思いが29%くらいあります。あとの70%は気合いと行きたいという気持ちでやっていきます。
永尾 行きたいかという質問に対しては、“やるからには行きたい”と思っています。自分は入社当初、オリンピックのことは考えていませんでした。チームに残れるか、何年やれるかというレベルだったんです。ただ、マラソンをやりたいという思いはあって、前回の横浜で走れたことはすごく嬉しかった。オリンピックというと、次のリオデジャネイロもありますが、今回のロンドンもすごく大事かなという思いもあります。やっぱりオリンピックは4年に1回しかチャンスがありません。つかめるときに思い切って行きたい、と思っています。

 ロンドン五輪出場権獲得という目標は共通しているが、“思いの大きさ”というとどうしても競技歴の長さに左右される。2人のコメントに違いが出るのは当然だろう。

苦しんだエリート選手と
順風満帆の雑草選手


2人のマラソン全成績からも、そのあたりの違いが生じるのは見て取れる。

堀江知佳のマラソン全成績
回数 月日 大会 成績 記 録
1 2000 4.09 長野 4 2.29.12.
2 2001 8.26 北海道 14 2.49.24.
3 2002 8.25 北海道 1 2.26.11.
4 2003 8.31 北海道 2 2.36.03.
5 2005 8.28 北海道 3 2.29.15.
6 2006 3.12 名古屋国際女子 3 2.28.01.
7 2006 4.17 ボストン 11 2.34.40.
8 2007 8.27 北海道 dnf dnf
9 2008 3.09 名古屋国際女子 5 2.27.16.
10 2009 3.08 名古屋国際女子 2 2.29.09.
11 2010 1.31 大阪国際女子 7 2.28.29.
12 2011 1.30 大阪国際女子 3 2.27.26.
※堀江のマラソン出場回数は本人も覚えていないが、手元のデータで上記12レースが判明している。

永尾薫のマラソン全成績
回数 月日 大会 成績 記 録
1 2011 2.20 横浜国際女子 4 2.26.58.

 入社2年目の堀江が初マラソンの長野で出した2時間29分12秒は、ジュニア日本記録だった(片道&下り坂コースだったため現在は非公認)。2000年から2002年のマラソンは、シドニー五輪金メダリストの高橋尚子(当時2人とも積水化学)のパートナーとして練習を積んだ。2回目の北海道こそ14位と失敗したが、3回目の北海道は優勝と2時間26分11秒の記録を得た。須磨学園高ではインターハイの3000m優勝者。エリート選手の前途は限りなく広がっていた。
 しかし、その後は故障が多くなり、エントリーしたマラソンをキャンセルすることが多くなった。2年間マラソンに出られず、アテネ五輪の選考にも挑戦できなかった。
 2005年以降は年に1〜2本のマラソンに出るようになったが、会心のレースはできていない。本人のコメントにあるように08年の名古屋では31kmの上りでスパートしたが、34km手前で優勝した中村友梨香(天満屋)に引き離された。マラソンの自己記録も02年北海道の2時間26分11秒が今も残る。
 だが練習も含め、徐々に“自分のマラソン”という感覚が生じてきている。東日本実業団駅伝の際に次のように話していた。
「高橋先輩や千葉さん(千葉真子・2003年世界選手権銅メダル)の練習パートナーだった頃は、ついて行くのに必死でした。ただガムシャラにやっていました。ケガはあっちこっちで覚えていないくらい。でも、今は自分のために、自分の目的を持ってやっています」

 一方の永尾は市船橋高時代、エリートと言える実績はない。高校時代のベスト記録は1500mが4分28秒61、3000mが9分29秒98。ただ、3年間出場した全国高校駅伝の1区で2〜3年時は連続22位と振るわなかったが、1年時に12位となっている。そこに今日の萌芽が見て取れないことはない。高校を卒業して小出門下に入ったときは、大勢いる新人選手の1人というポジション。永尾自身、「最初は監督も、あまり私のことは見ていなかったと思いますよ」と振り返る。
 しかし、入社後の永尾は順調な成長ぶりと言っていいだろう。全日本実業団対抗女子駅伝は1年目が4区(4.1km)8位、2年目が1区(6.6km)8位、3年目の昨年が最長区間の5区(11.6km)4位と確実にステップアップしている。故障の多かった堀江とは対照的に「ここまで2回(疲労)骨折がありますが、それ以外は4年間でケガはしていません」と言う。
 今年2月の横浜国際女子マラソンで初マラソン。佐倉アスリート倶楽部の深山文夫コーチは「その予定はまったくなかったのですが、年明けの宮崎合宿で走れていたので、1回やってみよう、30kmまででいいから、と出場することになったんです」と説明する。
 そして今季は1万mで日本選手権4位と快走し、アジア選手権で日の丸も付けた(5位)。ベスト記録も32分10秒46と更新。まさに勢いに乗っている選手だ。
 しかし、永尾のなかでは今回のマラソンに至るまで、一足飛びに強くなったのではなく、しっかりとステップを踏んでいる感覚がある。
「マラソンは積み重ねです。トラックの5000mと1万m、駅伝の3km、5km、10kmが速く走れないとマラソンは走れません。2年目の全日本実業団ハーフマラソンも1つのステップでした。それほど重要視されていなかった大会ですが、そこでどうでもいいと思うのでなく、すごく練習をして出場して、思ったより走れました(1時間10分45秒)。初マラソンもそうです。大事なのは30kmまで先頭集団で頑張ることでした。30kmまででも高いレベルで走ることで、その先につながったと思います」

練習に手応えを感じている永尾
ベテランらしさをレースで表現したい堀江


 そんな2人が同じ横浜を走る。ここまでの練習過程はどうだったのか。
堀江 東日本実業団駅伝の前までボルダーで合宿して、走り込むことはできました。でも、毎日走っていて、今日はよくできたな、と思えたことはほとんどありませんでした。どちらかといえば不安の方が多かったと思います。しかし、横浜に来る前の最終刺激で、監督からよく仕上がったな、と言ってもらえました。現在の調子はちゃんと上がってきていると思います。
永尾 7月からボルダーで高地合宿を長期間してきて、走り込みとスピード練習と、今までにやったことのない練習をしてきました。最初は思うように走れませんでしたが、時間をかけた甲斐あって今は調子が上がってきています。

 永尾は東日本実業団駅伝の際にも「今回は初めて、駅伝をはさんでのマラソンです。マラソンにつながるように駅伝のスピードをやってきました」と話していた。練習内容の振り返りから推測すると、永尾の方が手応えを感じているようだ。
 中間点を1時間11分で通過するペースメーカーの設定に対しても、「スピードがある方ではないので、私のマラソンとしては速い設定になります。不安がないと言ったらウソになります」と堀江が不安を見せたのに対し、「前回もペースメーカーが上手く引っ張ってくれたので良い記録が出ました。そのときよりもちょっとだけ速い設定ですが、前回と同じように引っ張ってもらおうと思っています」と、永尾の方が若干だが積極的だ。
 トラックの成績など今季の流れからいっても永尾の方が勢いがある。ただ、レースで戦前の予測通りの結果が出るとは限らない。経験や思いの強さがどう表れるか。

 堀江は会見で、ベテランらしさを出せると思うか? という問いに対して次のように答えた。
「マラソン回数は覚えていないほど、経験をさせてもらっています。その中には優勝も途中棄権もあって、良いところも悪いところも全部わかっていると思っています。自分の信念としてはレースの中で必ずどこかで見せ場を作りたい、ということがあります。そして自分で楽しんでレースをつくれたときに、見ている人からも良かったよと言ってもらっています。今回もそういうレースができるようにしたいですね」
 もちろん、永尾にも思いの強さはある。
「前回は35〜36kmで離れてしまって、すごく悔しかったんです。この1年は1万mで日本選手権やアジア選手権にも出ましたが、ずっとマラソンのことを考えて過ごしてきました」
 気持ちがどのくらい走りに影響するか。簡単な比較はできない。だから、レースをする意味がある。
 ベテランと若手。2人の思いが好勝負という形になることを期待したい。


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