2011/12/25 全国高校駅伝
中学駅伝優勝5回の萩倉監督が高校駅伝初陣
山梨県勢過去最高の13位に
「見えないことが多かった1年でしたが、手応えはあります」
全国中学駅伝女子で5回の優勝を成し遂げた萩倉史郎氏が今春、山梨学大附高監督に転身。フィールドを高校に移してどのような手腕を発揮するかが注目された。
萩倉監督の全国中学駅伝で残した実績は下の表の通り。5回の優勝はもちろんだが、選手を集めることができない中学で、18回中16回も県の代表となったこと自体がすごいことである(2000〜01年の2年間は柔道部の顧問だった)。
全国中学駅伝静岡県代表校の成績。網掛けが萩倉監督の指導した学校
回数 |
年 |
女子 |
男子 |
第1回 |
1993 |
大淵 |
30位 |
御殿場西 |
3位 |
第2回 |
1994 |
大淵 |
37位 |
御殿場西 |
29位 |
第3回 |
1995 |
御殿場 |
18位 |
焼津 |
38位 |
第4回 |
1996 |
御殿場 |
2位 |
長田南 |
15位 |
第5回 |
1997 |
御殿場 |
1位 |
三方原 |
15位 |
第6回 |
1998 |
御殿場 |
1位 |
三方原 |
11位 |
第7回 |
1999 |
御殿場 |
1位 |
麁玉 |
7位 |
第8回 |
2000 |
御殿場 |
2位 |
麁玉 |
17位 |
第9回 |
2001 |
御殿場 |
7位 |
麁玉 |
6位 |
第10回 |
2002 |
長泉北 |
13位 |
湖東 |
37位 |
第11回 |
2003 |
長泉北 |
10位 |
長泉北 |
26位 |
第12回 |
2004 |
長泉北 |
10位 |
長泉北 |
9位 |
第13回 |
2005 |
富士岡 |
10位 |
御殿場 |
9位 |
第14回 |
2006 |
富士岡 |
2位 |
長泉北 |
16位 |
第15回 |
2007 |
富士岡 |
1位 |
富士岡 |
9位 |
第16回 |
2008 |
富士岡 |
8位 |
富士岡 |
22位 |
第17回 |
2009 |
富士岡 |
5位 |
麁玉 |
10位 |
第18回 |
2010 |
富士岡 |
1位 |
富士岡 |
13位 |
第19回 |
2011 |
富士岡 |
2位 |
小山 |
9位 |
「右も左もわからずに入ってきた生徒が、競技を通じて人間的な成長を見せてくれる。それが駅伝の面白さだと思っていました」
教え子では田顔朋美と勝亦祐太がトラック種目でも全日中に優勝。勝又美咲(現第一生命)と永田幸栄(現豊田自動織機)が実業団で活躍している。学校の垣根を取り払った練習会を土日や長期休みに行なっていたが、そこで佐藤悠基(現日清食品グループ)や堂本尚寛(現日大)、福士優太朗(現日体大)、上倉利也(現佐久長聖高)らを指導した。佐藤に中学時代を振り返ってもらったことがあったが、通常の練習も萩倉監督のメニューを中心に行っていたという。
「しかし、中学では時間的なことも含めて限界があります。高校になればもっと打ち込むことができる。バックアップ体制も違います」
今回2区を走った田中結女(2年)ら教え子が1年先に山梨学大附高に進学。2011年4月から勇躍、高校生の指導に乗り出した。
初陣となった全国高校駅伝は1時間09分45秒で13位。1区の鈴木千晴(3年)が区間9位と好スタートを切ったが、2区の田中が「12月初めに臀部を痛め本練習は再開して2週間」という状態で、15位に後退してしまう(区間25位)。3区以降は塩川結、野田友梨花、青葉愛と1年生がタスキをつないで12位、11位、13位。目標の入賞ラインに19秒まで迫ったときもあったが、最後は8位と33秒差でフィニッシュした。
「1区の鈴木はかなりのハイペースのなか、後半も粘ってくれました。上出来です。2区の田中は流れに乗れませんでした。一時は脚がまったく回らない状態で、東京の病院で診てもらってなんとか間に合った状態です。3区の塩川は血行障害に苦しんできましたが、京都に入って体が軽くなって走ることができました。4区の野田の区間2位は立派です。試合への集中力がある選手で、この2週間でグンと上げてきました。5区の青葉は前を走っているチームと遜色なかった。少々のとりこぼしもプラスアルファもありましたが、生徒はよく走ってくれました。この1年間、無理を承知でやってきたところもあります。生徒たちがよく耐えて、頑張ってくれました」
選手たちには「十分の結果だった」と労をねぎらったが、「僕はまだまだ合格点じゃない」と自身には厳しい採点。
「見えないことが多かった1年でした。1つ1つの大会がどんな感じかつかめず、何をしていくべきかわかりませんでした。でも、それらが全部、良い経験になっています。今は大会の様子も少しずつわかり、落ち着いて考えられるようになってきました。来年からはこんな感じでやっていけばいいのかな、という点もつかめています」
一番の収穫は? と問われて萩倉監督は「手応えがあったこと」だと答えている。「全国上位校の走りと比べて、リズムがようやく追いついてきました」
単純にピッチを速くする、ということでもないという。
「高校のトップには大きなフォームの選手もいれば、たたくリズムの選手もいる。自分は自分なりのものを目指そうと思っています。力強さを強調していくところと、スムーズさを強調していくころがある。それが良い流れの動きになれば」と説明してくれた。
萩倉監督が求めるリズムには脚力をつけることが不可欠だという。冬期練習を指導できなかった1年目はそこが不十分だったが、2年目からは冬期練習をしっかりと行える。
「中学で距離を走ろうとすると壊れてしまう危険があるので、ある程度スピードで作りこみましたが、高校生は体もタフになってくるので、じっくりと走り込むこともできます。短い距離で本数を多く行ったり、12〜13kmのペース走などでハムストリングを使う走りを覚えさせたい」
山梨学大附高の選手たちが4月以降、どのような走りを見せるか。楽しみが2012年につながった萩倉監督の初陣だった。
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