2011/5/8 ゴールデングランプリ川崎
岡山が6m61wで優勝、公認では6m56の自己新
29歳で殻を破ったきっかけは“自信”と…


 180cmの長身ロングジャンパーの岡山沙英子(山口TFC)が、明らかにレベルアップしている。4月に29歳となったが、4月16日のマウントサックリレーで6m51と自己記録を3年ぶりに12cmも更新。5月8日のゴールデングランプリ川崎で見せた岡山の跳躍は、以前よりも高さが出て、滞空時間も違っていた。1回目から3回目まで連続で6m50台。3回目には6m56と自己記録を更新した。
 そして5回目には6m61(+2.3)を跳び、同記録の陸敏佳(中国)を逆転。一昨年の世界ユース金メダルの陸と、昨年の世界ジュニア銀メダルの王烏品。勢いのある中国若手2選手を抑えた点も評価できる。

「(この年齢での)自己新はビックリもしていますが、いつかはこのくらいをコンスタントに跳べると思っていました。私の一番のウイークポイントは“自信”でした。6m51を跳んだので“よし、行けるぞ”となれました。マウントサックは結構強い選手も出ていていましたから」

 気持ちの面が一番大きいのだろうが、岡山の伸び悩みは故障の連続にも原因があった。大きなケガは大学1年時の左足首の骨折から始まった。年次別ベストにもそれが表れている。
1999(高2)6m11
2000(高3)6m13
2001(大1)5m59
2002(大2)
2003(大3)
2004(大4)5m96
2005(社1)6m27
2006(社2)6m35
2007(社3)6m38
2008(社4)6m39
2009(社5)6m39
2010(社6)6m27
2011(社7)6m56
 前途洋々だったインターハイ・チャンピオンが、大学2年、3年と記録らしい記録を残せず、学生時代は6mを超えられずに終えてしまう。実業団に入ることができず苦労をしながら競技を続けた。社会人になって記録を伸ばしたが、やはりケガにつきまとわれ6m40を超えることができない。一昨年も東アジア大会で2位となったが右脛を疲労骨折。昨年のシーズン前半を棒に振るほどの大ケガだった。
 その間、「外人と同じような体格なのに、なんで私は記録を出せないんだろう」と思い悩むこともあったという。

 それでも、岡山の気持ちが切れることはなかった。海外にも積極的に出た。マウントサック(マウント・サン・アントニオ・カレッジ)に短期留学を繰り返し、2009年からは拠点を移すまでになった。
「ハードル・跳躍コーチであるグレゴア・コーチに教わっています。初めて行ったときに指摘された踏み切りのところとか、パワーがないところとか、スピードがないところとか、全部を見抜いてくれました」
 そのグレゴア・コーチから指摘されたことの1つに、地面反力をもっと使うことがあった。
「私はほとんど使えていませんでした。コーチから“use ground”と言われて大きなヒントになりました」
 その結果がスプリント力の向上につながったという。今年の織田記念では11秒81と、高校3年(11秒84)以来の自己新を出している。

 今季に入ってからは、マウントサックリレーに遠征してきた品田直宏(濃飛倉庫運輸)の言葉が参考になった。
「助走を自転車の重いギアから軽いギアに変えていくイメージで走るように、ということを話してくれたんです」
 岡山自身は「技術的にもそんなに変わっていないし、どこを中心にやったわけでもない」と、飛躍の原因を特定できていない。ただ、地面反力を上手く得ることでスプリントは向上したし、「筋力的にも力強くはなった」と感じているのも確かだ。この冬のトレーニングが近年では最も充実していたとも感じている。
 技術面、体力面で総合的に力が上がったことで、岡山の能力自体が高まった。そうなったときに人の話を聞くと“こういうことか”と理解度が高くなる。29歳と時期的には遅いが、岡山が良い循環に入っているのは間違いないだろう。今の状態が続けば、もうしばらく記録が伸びていくのではないか。


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