2011/10/23 2011実業団女子駅伝西日本大会
野口が復帰レースで区間賞の快走
レース後の会見を完全再現
「やっと自分らしい走りができるようになった」

「まさかという記録で。測り方を間違えたんじゃないか、と思った」
Q.10カ月ぶりのレースを振り返って全体的な感想は?
野口みずき やっと自分らしい走りができるようになったかな、という感覚をつかめたレースでした。
Q.具体的に言うと?
野口 スピードが戻ってきました。それと、思い切り脚を動かせるようになりました。去年のこの大会や全日本実業団対抗女子駅伝では、まだ不安があったので、思い切った走りができませんでした。今日は元気だった頃と同じような走りができ、良い感覚で終わることができました。
Q.思い切り走ったことが1km通過が2分59秒の入りになった?
野口 最初が下っているので、思い切り行けたのかな。そのくらいのタイムでは行くのではないかと思っていました。
Q.2分59秒は想定内だったと?
野口 想定内というか、自分の中ではそのくらいで行っている感覚でした。調子も良かったんじゃないかな。練習から良い感じで走れていたので。速いペースで行っているという感覚ではなく、もっと行かなきゃ、という感じで走っていました。
Q.タイムも……(質問不詳)
野口 無我夢中でした。2km以降もちゃんとタイムはチェックしていましたが、まさかという記録で。測り方を間違えたんじゃないか、と思ったくらいです。
Q.5kmは15分24秒、10kmは31分47秒でした。
野口 後半、落ちちゃいましたね、最初の5kmと比べると。途中、5km過ぎくらいからお腹が痛くなって、それがロスにつながってしまったと思います。

「苦しい中でも走れたのは、チームのみんなの顔が思い浮かんだから」
Q.10.2kmで32分25秒のタイムでしたが、これについては?
野口 苦しい中でも走れたのは、チームのみんなの顔が思い浮かんだから。それで残る力を振り絞ることができました。ラスト1〜2kmは海沿いですし、風もちょっと向かいだったのできつかったのですが、チームのみんなの顔を思い浮かべて走りました。
Q.タスキを受けたときは17秒差で、渡したときは1分05秒差。50秒近く貯金をしたことについては?
野口 嬉しいですね。なんとか、みんなに楽をさせてあげたいと思って走ったので。
Q.トップでタスキを受け取ったときの気持ちは?
野口 怖かったです、緊張して。とにかく詰められないように、詰められないようにと思って走っていました。沿道の拍手を(後続との差を測る)参考にして走っていましたが、なかなか差をつかめなくて、私の後ろはどのくらいの位置にいるのか気にしながら走りました。

「被災された皆さんにも、あきらめないでということを伝えたい」
Q.最後は逆転されましたが、チームが2位で仙台(全日本実業団対抗女子駅伝開催地)に行くことは?
野口 みんなよく頑張ってくれたと思います。昨年の3位を上回ったし、タイムも昨年を上回りました。みんなの力でです。この結果に満足せず、次の大会に向けてもっともっと盛り上がると思います。
Q.ランニングパンツにメッセージも記してありましたが、被災地でのレースということで特別な思いがありますか。
野口 宮城や東北へは、FRA(藤田ランニングアカデミー)の活動や仙台国際ハーフマラソンで何度も訪れています。被災された方たちに頑張ってほしいという願いを込めて、チームのみんなで“頑張ろう”というのを作り、祈りを込めました。
Q.被災地を勇気づけたいと?
野口 そういう意味もあって、元の走りに戻りたいと思いながら頑張りました。本当にあきらめないでよかったなと、自分の走りということでもそうですけど、被災された皆さんにも、あきらめないでということを伝えたいと思いながら走りました。

「マラソンは大阪。2時間20分とか21分で走らないと戦えない」
Q.マラソンの予定はどうなっていますか。
野口 はい。来年1月の大阪を狙っていきたいと思っています。
Q.ずっと大阪に照準を?
野口 そうですね。迷ってもいましたが、大阪かな、と。
Q.大阪に決めた理由は?
野口 やっぱり、2003年にパリ世界選手権を決めたのが大阪だったので。大阪は沿道の方のパワーもいただけるので、それもいいかな、と思いました。関西圏ですし。
Q.どんな調整をしていきますか。
野口 まだ調整っていうのは……駅伝に向けたトレーニングをしてきたので。本当に良いはずみになりました。良い感じでマラソン・トレーニングに入れる感覚があります。これからですね、調整は。
Q.今後の予定は?
野口 11月からアメリカのアルバカーキかボルダーで合宿に入ります。
Q.アテネ五輪や北京五輪と同じトレーニングになりますか。
野口 これから監督と相談しながらやっていきます。監督の頭の中にはプランがあると思うのですが、早く聞いてしまうと身構えちゃうので。いつも直前に、という感じです。
Q.テグの世界選手権では女子マラソンも、ケニアやエチオピアのアフリカ勢に押され気味でした。
野口 世界選手権を見てさらに燃えてきたので、復活する過程で良い刺激として見させてもらいました。私もさたにスピードをつけて、持久力もさらに高めて、負けないように頑張りたいと思います。
Q.代表になって目指すところは?
野口 まず国内選考レースに勝たないといけないので…。それからですね。
Q.思い描いているタイムはありますか。
野口 具体的なタイムはまだちょっと…。でも2時間20分とか21分とか、その辺で走らないと戦えないと思うので。

「何度も何度もあきらめかけていたのですが、私にはあきらめ切ることができなかった

「何回転んでも立ち上がろうと」
Q.あきらめないで、というメッセージは、ここまでの野口さんの競技人生と重なる部分がすごくあるのでは?
野口 本当にあきらめないでよかった。何度も何度もあきらめかけていたのですが、私にはあきらめ切ることができなかった。やっぱり走ることが好きだったので、何回転んでも立ち上がろうと思いました。でも、本当にあきらめないでよかった、と言えるのは大阪を走った後だと思うんです。それまでは、はい。

「スピード的にはある程度戻ってきています」(廣瀬監督)
Q.廣瀬監督にうかがいます。今日の野口さんの走りに、どのくらいの手応えを感じていますか。
廣瀬永和監督 想定しているタイムくらいでは走ったかな、と思います。練習の消化状況が昨年と比べて良かったので、3分10秒〜15秒くらいのところでは、しっかりと走れるという手応えは感じていました。しかし、実際のレースから遠ざかっていたので、どういう走りをするかな、というのをこの駅伝で見てみたかった。
Q.1月の大阪国際女子マラソンへ向けてはどんな手応えでしょう?
廣瀬監督 今は、スピード的にはある程度戻ってきています。これからマラソン練習のなかで距離を踏んだり、スタミナづくりをします。その準備という部分では、順調に来ているかなと感じています。
Q.監督から見て、以前の走りに戻ってきていますか。
廣瀬監督 動きの中でもそうですが、走りのリズムは戻ってきたと思います。
Q.いつ頃、そのきっかけがあったのですか。
廣瀬監督 7月にハーフマラソンを予定していましたが、それがケガをしてしまい、ちょっと休んだら良くなってきました。それからどんどん良くなってきました。本人のなかで痛みがなくなって、気にする部分が少なくなって、どんどん質を上げることができるようになりました。その辺からですね。

「ちょっとした気持ちの中で、マラソンにつながる走りができればと」
Q.今回の走りはマラソンを考えてのものなのか、マラソンはこれからという段階だったのか。この駅伝の位置づけや、マラソンにどうつながるかをお聞かせください。
野口 駅伝1本を考えて走っていましたが、つけ加えてというか、ちょっとした気持ちの中で、マラソンにつながる走りができればと思っていました。大阪までまったくレースを走らない、レース感覚がまったくないまま行くのは怖いです。今の力をがどのくらいのもかわからないままで行くのは嫌なので、ちょうどよかったです。この駅伝を走ることができて。
Q.走った感覚以外で、これからマラソン練習に行ける手応えというか、気づいたことなどはありますか。
野口 トレーニングの段階で行けるかな、というのはありました。不安なく練習が積めるようになってきたので。でも駅伝に向けてやって来たので距離はあまり踏んでいません。これからしっかり走り込めるように、気持ちも体も持っていきたいと思っています。

「全日本が終わってまた故障をしたときは、かなり辛かったです」
Q.去年のこのレースで2年半ぶりに復活しましたが、12月の全日本実業団対抗女子駅伝のあとにまた走れなくなりました。この10カ月間は、以前の2年半よりも辛かったですか。
野口 うーん、どれも辛かったのですが、全日本が終わってまた故障をしたときは、かなり辛かったです。何回も何回も故障してしまうことなど、それまでの経験でなかったことですから。本当にあきらめようかと思ったのですが…。
Q.こんな言葉をかけてもらったことを覚えているとか、特別なことはありましたか。
野口 応援してくれる人たちも、あきらめずに応援してくださいました。それがすごい支えになっていて、私はやめられないな、っていうのがありました。自分の中でもあきらめ切れない気持ちが強かったですけど。本当にいっぱいあって、どの人の言葉と絞りきれないです。皆さん、本当に色んな言葉をかけてくださいました。

「前と比べて変えたことは、抜く日はしっかりと抜くこと」
Q.3月の名古屋ウィメンズマラソンの方が調整できる期間は長いと思うのですが? 昨日、廣瀬監督は『本人がここと思って集中したら、期間は関係ない』ともおっしゃっていましたが。
野口 先ほども言いましたが、2003年に世界選手権を決めたところが大阪でしたから、ゲン担ぎというか…動物的な勘といいますか。それで大阪がいいかな、と思って。
Q.三条商店街の365日野口さんをずっと応援してますという垂れ幕は、今でも掲げられていますか。
野口 ずっと飾ってくれています。それもありますし、他の人もずっと応援してくれています。1回きりでなく、ずっと手紙を送ってくれる方がいて、ロンドンの地図のハンカチを送ってきてくれたりもしました。そういうのに励まされました。
Q.気づけば野口さんも33歳ですが、練習で長い距離を走ることなど、アテネ五輪の20歳台の頃と比べて変化がありますか。
野口 あまり変わらない気もしますが(笑)、前と比べて変えたことは、抜く日はしっかりと抜くことです。元気元気といっても33なので、どんどん疲労がたまって抜けきらない歳になっているのかな、と思っているので。

「11月20日のオランダの15kmレースを考えています」(廣瀬監督)
Q.ハーフマラソンやロードレースなど、大阪国際女子マラソン前に試合や記録会に出場する予定は?
廣瀬監督 大阪を目指すということで11月から高地トレーニングをしますが、その一環で11月20日のオランダの15kmレースを考えています。その結果によってまた、練習の中身とか立て直しを考えます。12月に全日本実業団対抗女子駅伝がありますが、チーム事情などを考えて、野口抜きでもメンバーを組めるようなら野口を外します。ただ、それもチーム事情との関わり次第なので、これからの練習も含めて考えていきます。


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