2010/1/31 大阪国際女子マラソン
日本人トップは3位の小崎
2年5カ月ぶりのマラソントレーニングに表れた“変化”は?


 小崎まり(ノーリツ)のマラソン出場は、表にあるように2年5カ月ぶり。2007年までのマラソンと、トレーニングはどういったところが違ってきたのだろうか。
回数 月日 大会 順位 記 録
1 2003 1.26 大阪国際女子 5 2.23.30.
2 2005 1.30 大阪国際女子 2 2.23.59.
3 2005 8.14 世界選手権 15 2.30.28.
4 2007 1.28 大阪国際女子 2 2.24.39.
5 2007 9.02 世界選手権 14 2.35.04.
6 2010 1.31 大阪国際女子 3 2.26.27.

 小崎は走り込む量が少ないタイプと自他共に認めていた。大阪世界選手権代表を決めた2007年の大阪国際女子マラソン後の陸マガ記事には、以下のように書かせてもらった。

 小崎は“今回も”練習が不十分だったという。距離走は「30kmが1回、40km走が1回」だけ。2年前(日本人トップの2位)も同じようなものだったが、そのときは積めていた夏の練習が、今回はできていなかった。
(中略)
 プラスに働いたと考えられる要因は、トラックや駅伝で鍛えたスピードと、それを可能にしている大きな動き。走る量は少なくても、補助トレーニングはしっかりやってきた。そして、調子が悪くても試合に対して積極的に臨むメンタル面。
「直前の練習が悪くても、試合には出場します。色んな選手と話をして、学べることが多いんです」
陸上競技マガジン2007年3月号から抜粋

 1年前の大阪にも出場予定だったが、体調が整わずに出場を回避した。「これまでのマラソンは練習量が少なくても、体は“元気”だったんです。今回はその“元気”がないのです」
 ここでも、練習量が少ない点は明言していた。

 今大会のレース前、森岡芳彦監督にその点を質問した。森岡監督が日本生命とセガサミーで指導した橋本康子は、豊富な練習量を誇るタイプだったからだ。
 森岡監督の答えは意外な内容だった。
「1カ月で1200から1300kmは走りました。(練習として出場した)加古川マラソンを入れて40km走を3本、30kmは6本やりました。加古川マラソンの次の日には3000m×3本をやっていますし、2000m×10本、1000m×15本というメニューもこなしました」
 ポイント練習のメニューは森岡が作成した。確かに「30kmが1回、40km走が1回」(小崎)だった頃よりも多く行っているが、走行距離が1200km以上はポイント練習だけでは届かない数字だ。
「40km走をやった日の午後に1時間ジョッグをしたこともありましたし、休養日に3回、80分ジョッグをやったこともあります。80分ジョッグが16kmなら、48kmになりますから」(森岡監督)
 森岡監督に変わって(昨年2月に就任)、小崎も練習に対する考え方が変わったのだと、この時点では思っていた。その結果、練習量を多くこなせるようになったと。

 だが、その認識は間違っていた。小崎自身にはそこまで大きく、トレーニングを変更した自覚はなかった。レース後の会見で次のように話したのである。
「以前から決められた練習でないジョッグをするクセはありました。距離走が最後までできなかったからジョッグをしておこうとか。森岡さんはそこまでしっかりと計算して、『何km走っているよ』と教えてくれたわけです。それまでは何km走っているから大丈夫と考えるのでなく、自分の感覚でこれなら大丈夫だと判断していました。ですから昔も、やっていなかったかかというと、やっていたのかもしれません。やっていたかというと、やっていなかったかもしれません」
 つまり自主的なジョッグは以前から相当に行なっていたが、“感覚派”の小崎が距離をまったく気にしなかったため、練習量を少ないと思い込んでいたのだ。

 とはいえ、今回のマラソン練習が以前よりも量を重視したのも事実である。
「マラソン練習を始めたのは、出場選手会見(12月14日)の次の日からで、時間がありませんでした。会見の前も転倒して、脚を痛めてジョッグもできていません。脚が痛いから質を求められず、体力でちょっとでもカバーしないといけません。日によっては歩くようなペースで量を追うようにしました」
 結婚生活も、練習量に少なからず影響していたと言えそうである。
「この1カ月、(合宿に行ったことで)家事をやらずにすんだので、走る時間が増えました。夕ご飯を作らないならジョッグに行こう、という具合です」

 小崎は2007年3月に結婚。同年の世界選手権までは競技中心の生活だったが、それ以降は家庭を中心に考えて競技を続けていた。合宿などもあまり参加しなかったという。森岡監督によれば、レース前日も「空き時間に家まで、洗濯をしに帰っている」という。
 その分、今回のように合宿続きの環境が、新鮮に感じられるし、感謝の気持ちをもって取り組むことができる。
「マラソンまで1カ月しかありませんでしたが、出ると決めた以上はしっかり走りたかったし、周囲のサポートや盛り上がりが、やらないといけないなと思えました。合宿という環境も普段との違いを感じられて、集中できたのかもしれません」
 以前は距離走になると苦手意識も働き、途中でできなくなっていた。それが今回は、前述のように40km走を3本、30kmは6本を行なっている。短期間にそれだけをこなすのは確かにすごいことだが、メニュー自体はそこまですごかったわけではない。それをこなすことができるようになった小崎の変化が大きかった。


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