2010/3/14 名古屋国際女子マラソン
大塚製薬初マラソン選手がまたも好走
伊藤が2時間29分13秒の4位
“初マラソンの敷居”を低くしての成功

 初マラソンの伊藤舞(大塚製薬)が2時間29分13秒の4位と好走した。31kmまでは優勝した加納由理(セカンドウィンドAC)と2人で先頭争いを展開して、視聴者にも存在を印象づけた。
「今回はタイムや順位の目標はなく、行けるところまで積極的に行くことだけを考えていました。バテたらバテたときに頑張ろうと」
 伊藤は無欲の走りだったことをレース後に話している。

 初マラソンの大塚製薬選手が好走を続けている。2月の別大では井川重史が日本人トップの4位(2時間11分04秒)。過去にも細川道隆が04年東京国際で2時間10分38秒、岩佐敏弘も2時間12分35秒で走っている。初マラソンで成功するノウハウを持っているチームではないか、という声が名古屋のレース後に挙がっていた。
 だが、河野匡監督は初マラソンでの成功は重視していないという。むしろ「敷居を低くしている」のだと強調した。
「2回目、3回目で勝負をしていくことを考えたら、初マラソンは100%の練習ではなく9割くらいがいい。40km走を何本という練習をやって失敗したら、“次はもっとやらないといけない”と構えてしまう。マラソンをあまり難しく考えないようにしています」
 伊藤自身は「マラソン出場は1年後に」と考えていたが、全国都道府県対抗女子駅伝(1区区間4位)が終わった段階で河野監督からマラソン出場を持ちかけられた。伊藤は1週間考えた末に結論を出した。
「ニュージーランドの陸連合宿(2月4〜26日)に参加して、もしも練習ができたら名古屋を走ってもいいのかな、と決心しました」

 福士加代子(ワコール)や中村友梨香(天満屋)、赤羽有紀子(ホクレン)といった日本代表選手たちとの合宿。まったく同じようにメニューをこなせたわけではなかったが、気持ち的に前向きになることができた。
「そうした合宿に参加できるような選手ではありませんでしたが、実際に参加して頑張って、あの人たちみたいになりたいと思いながら合宿をこなすことができたんです」
 河野監督によればニュージーランド合宿で予定されていた40km走は1本だけで、それも35kmで中止した。最後の5kmを18分台に上げたかったが、19分台までしか上げられなかった。赤羽についていくこともできなかったという。
 だが、昨年まではつけなかった400 mや1000mのインターバルには、つくことができていた(「福士さんのリーダーシップがよかった」と河野監督)。帰国後の血液検査で疲労度をチェックすると数値が低く、マラソン出場にゴーサインが出た。

 伊藤が直前にマラソン出場を決めたのに対し、男子の井川は少し事情が違った。昨年の7〜8月頃から、12月の福岡国際マラソン出場を明確に意識していたという。それが9月に疲労骨折をしてマラソン出場は一度棚上げとなったが、わずか3週間という期間で故障を治し(犬伏孝行ヘッドコーチも驚いていた)、別大出場を河野監督に訴えてきた。
「狙ったうえで、きっちりやったマラソンだった」(河野監督)
 つまり初マラソンだからこの記録を、という考え方ではなく、その選手の能力、その選手の練習の状態を見て、初マラソンの目標が決まってくる。河野監督は「着地点」という言葉を使った。
「井川と伊藤は最終的に、ある程度は行ける選手という認識を我々は持っています。初マラソンである程度は行きたいのですが、“これだけは”とは考えず、このくらいの練習でこれだけ行ったら、次がまた行けるという考え方をしていました」
 伊藤自身も、ツル(エチオピア)と大南博美(トヨタ車体)に抜かれたシーンについて質問されたとき、次のような言葉で振り返った。
「マラソンのための練習ができていたとは言えません。35kmまでしか走ったことがなくて、残り7kmは精一杯の力で走るしかないと思っていました。次のマラソンを走るための経験として走りました」
 順位を落としたことよりも、苦しい状況でも走り抜く。その結果が、今大会の初マラソン選手のなかで最高成績となって表れた。


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