2010/10/24 かわさき陸上競技フェスティバル
川元が1分48秒46と、同郷の佐藤清治の高校記録を0.04秒更新
高校記録更新の要因は川元の“感覚”


 川元奬(北佐久農高)の高校新は、自己記録を2秒近く更新してのもの。「インターハイ、国体でも高校記録更新に挑んだ」(川元)というから、以前から出せる手応えを感じていたようだが、結果としてタイムとなって表れたのは高校最後のレースだった。

 シニアのトップレベルの選手と走るのは今回が初めてだったという川元。それはペースメーカーが引っ張るレースだった。「今日は先頭で逃げ切るプレッシャーがなく、後ろをしっかりと走り、抜く展開でよかった。リラックスして走ることができました」。その結果が表のような100 m毎のペースになった。記録を出しやすいイーブンペース。ペースメーカーの存在が高校記録更新を大きく後押ししたのは事実だろう。

川元奬の800m高校新ペース
距離 通過 100m毎 200m毎 400m毎
100m 12.70 12.70    
200m 25.51 12.81 25.51  
300m 39.30 13.79    
400m 53.08 13.78 27.57 53.08
500m 1:07.01 13.93    
600m 1:20.77 13.76 27.69  
700m 1:34.99 14.22    
800m 1:48.46 13.47 27.69 55.38
※佐久長聖高・両角速監督計測

 しかし、練習内容を聞くと、川元が自身の“感覚”に頼ったトレーニングも記録更新の背景として大きかったと思えた。グラウンドが狭くて走りにくいこともあり、川元のポイント練習は学校近くの緩やかな坂を使用して行う。平日は500m×2本&300 m×3本、休日は500m×3本&300 m×5本が基本で、「週に3日くらい」がポイント練習だ。それ以外の日は近くの神社周囲の起伏をジョッグする。
 今回、川崎まで川元に同行してサポートした名取和訓先生(阿南高教、長野陸協普及強化部中距離コーチ)によれば、インターハイまでは300 mまでしか行わなかったが、記録を伸ばすには500mまで行う必要があると川元が判断したという。
 坂上り走のタイムはその日の体調などによって川元自身が変更する。
「500mは体調が良ければ1分18〜19秒、体調が悪いと1分20秒〜21秒。300 mは良ければ45秒、悪いと46〜47秒です」
 500mを走った後はジョッグでスタート位置まで下ってくるが、そのタイムは決めていない。300 mの間は「ウォーキングでスタート位置に戻って集中する」という。

 名取先生によると500mのタイムは当初は「ばらつきが大きかった」ようだ。1分24〜25秒かかることも珍しくなかったが、「底上げだけはしておこう」(同先生)ということで、9月に入ってからは1分24〜25秒まではかからないようにし始めた。それでも、川元の感覚の範囲で練習する原則は崩さなかった。
「このタイムで行け、という感じでやると動きが悪くなってしまうんです。“なんで?”と思うくらいに走れない。それで散々な目に遭ったこともあります。細かい指示を出すよりも見通しを立てるといいますか、方針を定めてあげれば(長い目で見て)その通りにできる選手です」(同先生)

 500mを取り入れ、タイムのばらつきも極力少なくした。10月初めの国体では、インターハイ以上に記録更新の自信があった川元だが、独走になってしまいまたもや更新はならず。その後の練習でさらに設定タイムを上げたのだろうか。「覚えていません」と川元は言うが、実際に上がっていた可能性は高かったと推測できる。
 その根拠の1つはまず、川元がレースに限らず1本1本気持ちを込めて走るタイプだという点。座右の銘や競技哲学があるのかという質問に「覚悟を決めて走ることです。1本1本のレースを良い記録が出るように走ること。トレーニングでも1本1本に集中して走っています」と答えている。「
 そうした考え方の川元に、国体で記録を出せなかった悔しさが加わった。
「国体が悔しいレースだったので、川崎ではしっかり走れるよう、その後の練習では気持ちを高めてきました。(新記録を出せた要因は)日々の練習でしっかりと気持ちを入れて走ったことです。気持ちを継続して今日まで来られました」
 トラック練習ができず、上り坂で単調なメニューを繰り返すだけの練習でも、1本1本に気持ちを込めて走る。「淡々とやるところが川元の一番の強み」だと名取先生。

 自身の気持ちの高まりと身体の状態が上手く合致した。そこを川元が鋭敏に感じ取って練習した結果が高校新記録となった可能性はある。





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