2010/12/11 東洋大共同会見
話題を項目別に選手、スタッフのコメントで紹介

D設楽兄弟の起用区間
「6区の山下りを一度やってみたい。2区なら67分台で走りたい」(設楽啓太)
「アップダウンがなく走りやすいので3区を」(設楽悠太)

酒井俊幸監督「設楽啓太はチームの主力として起用できるかと思っています。関東、日本両インカレでの入賞はできませんでしたが、大崩はしませんでした。出雲、全日本とも臆するところがありませんでしたし、全日本では勝負所で思い切ったスパートをする度胸もある。ウチは往路(の4区まで)で後れることが多いですけど、往路での先頭争いに持ち込めるくらいの戦力になった。悠太はインターハイには出ましたが予選落ちで、全国的には目立った存在ではありませんでした。体つきも兄よりも3kg細く、まだ体ができていません。それでも秋のシーズンは、夏の練習の成果を出している。地元のハーフにも練習の一環で出ましたが1時間4分台前半で走っていて、スタミナ面の心配はありません。2人とも良いところで使っていきたいと思っています。上級生との兼ね合いもありますが、昨年にはなかったアクセントになる」
設楽啓太「(希望区間は)6区です。自分は下りが好きなんで、一度やってみたいと。下りは疲れませんし、(難しいということも)感じていません。でも、区間は自分が決めることではなく監督が決めることです」
設楽悠太「3区あたりです。ほとんどアップダウンがなく走りやすいと思うので」
設楽啓太「(兄弟リレーは)できたらいいな、くらいですね」
設楽悠太「もう1回くらいはやってみたいですね」
設楽啓太「(2区の印象は)後半3km上りが続くので、前半を飛ばすと後半3kmでペースダウンしてしまう。上りは苦手ではありませんが、好きでもありません。前回、村澤(明伸・東海大)さんが(1年生で)68分台前半で走っているので、もしも2区ならその記録を抜いて67分台で走りたい。そのためには、前半で突っ込みすぎないことです」
設楽啓太「一番の刺激は大迫(傑・早大)たち同学年の選手です。どの区間になっても(一緒に走ったら)絶対に負けたくありません」


E市川の下り対策
「今年はずっと上半身や腕振りを意識しています」
市川孝徳「(希望区間は)6区でリベンジをしたい気持ちもありますが、監督に言われた区間ならどこでも、そこでしっかりと走りたい。もしも6区になったら59分台で走らないとチームに貢献できません。そのためにも、最初の上りを16分30〜40秒くらいで行ければと思っています。17分かかったら、下りでかなり飛ばさないといけなくなる。上りの16分30〜40秒はかなり速い方で、それ以上で突っ込むと下りで差し込み(腹痛)が来てしまう可能性があります」
市川「下りのコツとかは特にありません。体が勝手に下りについていく感じです。ただ、今年はずっと上半身や腕振りを意識しています。後半になると腕を抱える動きになってしまいがちだからです。肩と肩を結ぶ軸を水平に保つことによって、腕振りが推進力につながるようにしてきました。その方が力まずに走ることができます。練習中もいつも、かなり意識してやってきました。これは平地でも後半の走りに役立ちます」
市川「(東洋大の6区は)上りで貯金を作ってくれますが、下りで貯金を使ってしまったらダメなんです。7区、8区に向けて流れを作らないと」

F田中の復路攻略法
「トータルタイムで他大学の選手を上回ればいい」
田中貴章「個人的には1月3日(復路)の方がタイプ的に合っていると思いますが、チームから任されたのであれば、1月2日(往路)でも、そこに行きます。自分としては、自分の考えで、思うようなペースで走れる方が向いている。(全日本大学駅伝は)自分の中ではある程度速く入ったんです。相手が落ちてくる勝手なイメージを持っていましたが、自分の方が疲れて離されてしまいました。(前回区間賞の7区は)後ろと差があったので、ゆっくり入って追いつかれない走りをしました。後半に上げて区間賞を狙って走ったんです。(希望区間の1つの9区は最初が下りだが)トータルタイムで他大学の選手を上回ればいい。23kmトータルで考えたいと思います」

G宇野の“戻しが早い”理由
「故障期間中も地道な練習を続けられたから」
宇野博之「3月から6月までふくらはぎ、アキレス腱、腓骨と故障が続き、8月、9月とまたケガをして、継続した練習がほとんどできていません。その間はずっとウォーク、バイク、プールでのトレーニングをやっていました。ポイント練習ができ始めたのは全日本大学駅伝の後からです。(戻しが早いのは)故障期間中も地道な練習を続けられたから。何も考えずに淡々とこなします。妥協してしまうときもないとは言えませんが、周りの選手たちが必死に練習していますから、自分も必死にやります。それをやればいいと思えたのは去年の経験から。去年は関東インカレの後10月くらいまでヘルニアで走れず、最初は何をやったらいいのかわかりませんでしたが、監督から歩こうと言われて始めました。故障中に何をやるかが重要、やることさえやればオマエは上がってくるからと監督から言われて、箱根を走ることができたのが良い経験になりました」


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