2009/3/22 東京マラソン
引退する弘山と高岡のレース後会見
「最後の直線だけは、トラックでそうしてきたように、スピードを出して格好良く走ろうとしました」(弘山)
「マラソンでは一度もやめようと思ったことはないのですが、今日は残り7kmがとても走れる状態ではありませんでした」(高岡)
Q.引退レースを走り終えた今の気持ちは?
弘山 今日は最初から、ペースメーカーBの方につこうと思っていました。10kmくらいまではよかったのですが、10kmから15kmの向かい風で力を使ってしまって、20kmくらいでバテてしまいました。とにかく完走しなきゃと思って走りました。練習ができていなかったので最初からきつくなるのはわかっていましたけど。自分なりに頑張って帰って来られてホッとしました。
高岡 前半、自分のペースを落としていって、後半上手く上げていければと思って走り始めました。あのコンディションだったので、その方がいいと思いました。でも、29kmの雷門あたりから左のふくらはぎに違和感が出て、それが痛みに変わってしまい、35kmでやめることになってしまいました。
Q.ゴールしたとき、弘山監督からはなんと声をかけられたのですか。
弘山 「お疲れさま」と言われたと思いますが…あまり、覚えていないんです。
Q.走っている最中に考えていたことは何でしょう?
弘山 長年お世話になった人たちに、感謝の気持ちを持って走りました。会社の人やチームメイト、競技をやめて会社で働いている人と、沿道から応援してくれて、わかったところは合図をして走りました。とにかく風がきつかったので、「ガマン、ガマン」と言い聞かせて走っていました。最後の直線は、トラックではいつもラストスパートをしていましたから、そこだけはスピードを出して格好良く走ろうとしました(笑)。
「トラックの走りをそのままマラソンに持ち込んだ方がいいのかな、と思いました」(弘山)
「40kmの中でスピード感、リズムを大事にしてやってきました」(高岡)
Q.2人に共通しているのはトラックのスピードをマラソンに生かしたことですが、マラソンに進出するときに何が難しかったのでしょうか。また、後輩たちに送る言葉があればお願いします。
高岡 難しかったのはトラックとロードでは違うので、マラソンの走り方が必要だったことです。それでもマラソンに向けてトレーニングをしているときも、スピードを殺さないようにしていました。スタミナが必要だからと50km走とかしていません。40kmの中でスピード感、リズムを大事にしてやってきました。後輩には、僕のやってきたことは決して難しいことではない、と伝えたいですね。多くの人に可能性があると思います。マラソンを好きになって、世界に挑戦する気持ちを強く持って取り組めば、チャンスはあると。
弘山 最初にマラソンをやるときに、ピッチでちょこちょこ走る方がいいのかな、と思ってやっていたら故障をして、トラックの走りをそのままマラソンに持ち込んだ方がいいのかな、と思いました。これまで成功してきたマラソンは、トラックや駅伝でスピードを上げておいた方が上手くいっているんです。私の場合はトラックをそのまま、マラソンに持ってきた方がよかった。後輩に言いたいのは、女子マラソンは世界のトップクラスと言われていますが、トラックは、5000mや1万mは世界との差が開いているのが現状です。もっと言うと3000mのレベルが上がっていません。その辺のスピードを強化して、トラックで世界にどんどん出るようにして、それからマラソンをやっても遅くないのかな、と思っています。
Q.最後のマラソンで足を止めないといけなかったときの気持ちは?
高岡 今までのレースはずっと、あきらめたらいけないと思ってやってきました。マラソンでは一度も、やめようと思ったことはないのですが、今日は残り7kmがとても走れる状態ではありませんでした。ここで終わりにしよう、と思ってやめました。
Q.弘山選手は今後はどんな活動を?
弘山 ゲストランナーもやると思いますが、体が元気なら、一番後ろの方でも競技会で走りたいな、と思っています。
高岡の囲み取材時コメント
「狙いは悪くなかったと思うのですが、脚が持ちませんでした」
「狙いは悪くなかったと思うのですが、脚が持ちませんでした。29kmの雷門のところで予兆なく、急に来てしまいました。今までの、ケガをするのと同じパターンです。2月4日にやったところです。そこから、ゆっくりとやりながら、上手く持って来られたと思ったのですが、持ちませんでした。35kmまで行くのが精一杯でした。(今の気持ちは)まあ、ここまで頑張って来られてよかったな、と思います。精一杯やれました。たくさん挑戦して来られたことは、すごく幸せだと感じています。今日もすごい応援をしてもらいました。沿道から言葉をかけてもらって、すごくご機嫌で走ることができましたね。ただ、練習をやって来られなかった分、脚がこうなってしまいました。それも、僕らしいといえば、僕らしいのかもしれません。これも試練ですかね。ホント、脚がもってくれなかったのが残念です。(フィニッシュしていないが、もう1回マラソンを走るのは)今は考えられません。マラソンの厳しさを感じられましたから、そういうことも伝えていけると思います」
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