2009/1/11 全国都道府県対抗女子駅伝
京都が2度目の5連覇達成
前回との違いは
駅伝文化が地元に浸透した結果か

 京都が2度目の5連覇を達成した(23回〜27回大会・2005〜09年)。
 京都に続く優勝回数は兵庫と千葉の3回。あとは長崎、福岡、埼玉、熊本、宮城、大阪、神奈川、鹿児島が各1回だ。
 女子駅伝史上に残る偉業と言っていい。
 前回の5連覇は6回大会から10回大会(1988年から92年)。
 しかし、同じ5連覇でも、前回と今回では意味合いは大きく異なる。

 1990年代の5連覇は、日本の女子長距離が強くなる過程の初期に、京都が果たした役割を端的に示していた。
 今大会は実業団駅伝に先がけて始まった。もちろん大学、高校、中学よりも先になる。初代チャンピオンこそ増田明美を擁する千葉に譲ったが、地元の京都は当初から強化に力を入れ、第2回大会に優勝。
 しかし、そのときは実業団選手1人(藤田信之監督門下の柏木千恵美=ユニチカ)に大学生2人、高校生4人、中学生2人を動員した総力戦だった。
 90年代の5連覇は、88年大会のアンカーこそ猪ノ口真知子(武田病院)が務めたが、以後は李淳姫、石橋美穂、真木和、藤原恵、松本初美、太田利香といったワコール勢が原動力だ。
 そこに、吉田直美、志水見千子、岡本真貴子、早狩実紀、加藤明子というインターハイで優勝争いのできる高校生が脇を固めた。7回大会からは3区と8区が中学生区間になり、高校生も4人のエントリーが義務づけられたが、毎年、レベルの高い高校・中学生が現れた。
 “地元が常に優勝を争えるように”というコンセプトのもと、実業団を強化。その成果が、藤田監督が就任して強化に成功したワコールを中心とした京都チームだった。

 その点、2000年代の5連覇はチーム構成が若干異なる。
 実業団は永山忠幸監督体制になったワコール勢に京セラ勢が加わり、ふるさと制度で小崎まり(ノーリツ)や早狩が出場。高校は立命館宇治高勢に集中する傾向があるが、以前は同大在学中の早狩くらいしかいなかった学生選手が、小島一恵や昨年までの木崎良子、樋口紀子ら立命大や佛教大の選手が加わるようになった。
 実業団が存在する県だけが強くなった弊害をふまえ、ふるさと制度や中学・高校生のエントリー義務づけなどが導入された。京都&藤田ワコールの強化が招いた結果でもある。

 全部の優勝に名を連ねたわけではないが、前回の5連覇を経験した唯一の選手である早狩は、次のように話した。
「今は実業団、大学、高校、中学と、それぞれのチームで強くなって、そういう選手たちが集まったチーム。以前は年間を通じて京都チームとして強化して、その成果として高校生、中学生が強くなっていました」
 以前は春休み、夏休みと、学校が休みになる都度、強化合宿を行った。本番前の合宿も今は年明けからだが、当時は12月20日過ぎからだった。
「1つのチームとして、ガーっと集中していきました。試走で区間記録を上回るなんてこともありましたね」

 十倉みゆき監督はレース後のインタビュー中、何度も「京都には駅伝が文化として定着している」とコメントしていた。以前はワコールだけだった実業団は、京セラやシスメックスが加わり、福士加代子(ワコール)や野口みずき(シスメックス)らが中学・高校生の憧れの的になっている。
 大学も立命大や佛教大が強化に乗り出す。
 かつて吉田・志水を輩出した網野高や、久馬姉妹の綾部など、京都市以外の地域からの選手が育つ。
「町を歩いていても、駅伝やっていますと声を掛けられることもあるんです」と、十倉監督。

 90年代の5連覇は、陸協や藤田監督が積極的に強化を行った成果としての5連覇だった。
 今回の5連覇は以前のように“しゃかりき”になって勝ちに行った結果でなく、全体的に余裕を感じさせる5連覇だ。駅伝が京都という地域に浸透した結果の5連覇だったように思う。
 その余裕が野口や福士を輩出する背景にもなっているのではないか。


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