2009/5/17 東日本実業団2日目
アメリカで1万m日本歴代3位 佐藤が帰国後初レース
27分38秒25
@5000m大会新の価値
13分38秒31
男子5000mは4月にアメリカ遠征の1万mで27分38秒25の日本歴代3位で走っている佐藤悠基(日清食品グループ)が、13分38秒31の大会新で日本人トップ。ケニア勢3人には勝てなかったが、マカウ(JAL グランドサービス)には競り勝った。
大会記録はバルセロナ五輪代表だった浦田春生(本田技研)が1989年に出した13分41秒69。この日の佐藤もタイムはそこまで良いわけではないが、“今の状態”で大会記録を上回ったことに価値があった。
「帰国後に1回休んだ状態で、今は5000mを走る体ができていません。感覚が戻っていないし、今日走って再スタートした感じです。練習は十分じゃないけど、それなりに調子が戻ってきました。(遠征の)ダメージはそれなりに来ていたと思いますが、気持ちよく走れて、それほどでもなかったのかもしれません。練習でしっかり抜いてからやってきました」
過去の選手たちもそれほど、この大会に照準を合わせていたわけではない。春季サーキットなどで頑張った後、次のステップに向けて自由にチェックする目的で出ていた選手が多かっただろう。日本選手権の標準記録を狙う選手は別として。
そうではあっても、50回の歴史をほこる大会である。日本記録保持者や五輪代表も多数出場してきた。そのなかでの大会新を、1万mで大幅に自己新を出した海外遠征から帰国後に出したのは、佐藤の底力が上がっていることの証明だろう。
ケニア選手のハイペースを利用できたことも、佐藤が大会記録を破ることには有利に働いた。
「3000mくらいまでつければいいか、と思っていましたが、途中ペースが落ちて休めたので、最後までつくことができました」
だが、他の日本選手に、それができなかった。
A予想外だったアメリカでの27分38秒25だが…
アメリカ遠征は万全の準備ができて行ったわけではなかった。箱根駅伝だけは持ち前の集中力で好走したが、大学4年のシーズン自体よくなかった。1万mは29分03秒54がシーズンベストで、1万mを走り始めた高2以来、最低のシーズン記録になってしまった。
「冬期練習は継続して…はできていませんでしたね。2月は半分休みましたし、3月も用事が立て込んでいました。遠征前は28分30秒くらいの最低線を予想していましたが、1本目の5000mを13分48秒71で走ったときの感触がよかったんです。1周66秒で力まずに走れて、これなら28分00秒くらいは行けそうだな、という手応えを感じました。
静岡(エコパ)で27分51秒65を出したときも(2007年10月)、28分30秒くらいでいいと気負わずに臨みました。箱根駅伝など外せないレースとは違います。今回も(シーズン)最初のレースだからという楽な気持で臨めたと思います。
そのなかでもレース前に少しずつ体の状態が良くなって、トレーナーの方にケアもしてもらって、気持ちも盛り上がってきて。心と体が上手く合致してレースに集中できました。
1万mでも66秒ペースが安定していたので、リズムに乗ることができました」
同じ大会の5000mには佐久長聖高の1学年先輩である上野裕一郎(エスビー食品)が出場していた。「今回は力を認めるよ」と、レース後に声を掛けてもらえた。
「2年間ダメだった僕を知っていますから。やっと戻ってきたと見てくださったのだと思います。上野さんも世界選手権を狙っていますから、一緒に行けたらいいですね」
(5月30日のゴールデンゲームズinのべおか5000mでは上野が13分26秒31で初のB標準突破、佐藤は最後に引き離されて13分30秒46)
B中盤を66秒のリズムで押せる選手=ケニア選手について行ける選手
佐藤の特徴は中盤をハイペースで押して行けること。日本歴代3位の1000m毎のラップは以下の通り。
距離 |
通過 |
スプリット |
1000 |
02:46.07 |
02:46.07 |
2000 |
05:31.50 |
02:45.43 |
3000 |
08:16.34 |
02:44.84 |
4000 |
11:02.00 |
02:45.66 |
5000 |
13:46.92 |
02:44.92 |
6000 |
16:32.91 |
02:45.99 |
7000 |
19:19.40 |
02:46.49 |
8000 |
22:06.35 |
02:46.95 |
9000 |
24:52.68 |
02:46.33 |
10000 |
27:38.25 |
02:45.57 |
※日清食品グループ提供
2分44秒〜46秒台で押し切っている。“中だるみ”がまったくしていない。ラストでペースアップができていないが、裏を返せば、それまでに完全に力を出し切ることができる証拠である(女子マラソンの高橋尚子にもその傾向があった)。多くの選手は6000m、7000m、8000mあたりで一度、ペースが落ちる。佐藤の今回のラップでいうなら、2分47〜49秒の区間が生じていただろう。
それができる選手だから東日本実業団でもケニア選手について行くことができた。
「こういうときから外国選手について行かないと。世界を狙うときには必要なことですから。高校から、つけるところまでついて行く姿勢は続けています。そのときはダメでも、次につながっていくと思っています。(中盤の)2分45秒は大丈夫です。今日は久しぶりに2分38〜39秒で入りました。体ができていなかったのできつかったのですが、途中でペースが落ちて休むことができたので助かりましたね。以前は最初を2分40秒を切って入るのが当たり前という感覚がありました。それを戻して行けたらと思っています」
27分台はまだ2回目だが、400 m66秒(=1000m2分45秒)のリズムを身につけつつあると言って良さそうだ。
先ほど、大会記録を破るのにケニア選手のペースが有利に働いたと書いたが、有利にできる能力があったのが、佐藤1人だけだったともいえるわけである。
C社会人選手として
入社していきなり好記録を連発している佐藤だが、実業団選手としての意気込み、学生時代との違いなどを次のように話している。
「生活パターンは基本的には大学後半と変わりませんが、新しい環境で今まで以上に緊張して練習できます。昨年など記録は狙わず、しっかりと継続することを優先したからですが、少し楽をしていたところもありました。走ることを職業にしていくからには、今まで以上に結果を残さないといけないと強く感じています。(練習では楽をしたがトラックの成績が低迷し)去年1年間は本当につらかったです。苦しいながらも積み重ねたことが結果につながって、社会人として良いスタートが切れました。
大学では1年間を通じて箱根、箱根という感じでやってこざるを得ませんでした。それに対して社会人は、自分のやることが全てです。もちろん社会人選手としてやるべき責任もありますが、自分のやるべきことを思い切ってできる。自分の責任でやっていきます」
D日本選手権と、“その先”の目指すところ
日本選手権の抱負を「上位入賞して確実に(世界選手権の)代表を手に入れたい」と話す佐藤。だが、一定のリズム(=ハイペース)で押していくことは得意だが、日本選手権は勝負が最重要視される大会でペースの上げ下げが激しい。特に、松宮隆行(コニカミノルタ)は終盤の揺さぶりで、勝利を手にし続けている(それも、力がないとできない)。
「僕の場合はそこなんですよね。対応できる練習もそれなりに考えてやっていきたいと思いますが、基本的には速いペース感覚が、スピードを上げたときに役立つはず。自己記録を出したときの状態に戻しておけば、ペースの上げ下げがあっても大丈夫だと思います。ゴールデンゲームズinのべおかなど、試合のなかでそういうシーンもあると思います。試合を重ねていくなかでも身につけられる部分です」
現在は日本選手権で代表を手中にすること、その後は世界選手権が今季の目標となるが、“その先”についてはどう考えているのだろう。マラソン転向は視野に入れていると、以前から聞いていたが。
「日本記録とか色々と目指すところはありますが、日本記録というよりも27分20秒を目指したいと思っています。練習を自分の中で追い込んで、さらにレベルアップしていけたらと思います。
いずれはマラソンに、という考えも持っていますが、今はまだ考えられません。やることは山ほどありますが、今はトラックでスピードを研くことだと思っています。そこをまず極めてみたい。後に残るものを高くしておきたいですね。そのスピードを上手くマラソンに持っていかないと。
27分20秒はしっかり練習を積めれば不可能じゃないと思っています。ゲディオンが同じチームにいますから、夏場の鍛錬期とかに入ったら、無理をしてつくことも考えています」
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