2008/9/27 全日本実業団3日目
日本記録更新は2種目で4回
日本選手権優勝は2種目で13回
小島初佳がラストラン

 小島初佳(旧姓・新井)が全日本実業団を最後にスパイクを脱いだ。
 1990年代に女子短距離のレベルを押し上げた選手だった。日本記録は100 mで1回、200 mで3回更新している。日本選手権は100 mで7連勝、200 mで6連勝と、まれにみる勝負強さもあった。世界選手権にも4×100 mRで97・99・03年と3回出場。99年のセビリア大会は100 mも走った。
 07年の休養から今年4月に復帰したが、左脚のハムストリングを故障し、目標とした日本選手権を走ることができなかった。練習を継続することができず、今大会は「走りきること」が目標だった。
 20世紀末から21世紀初頭にかけ、日本のショートスプリント界を颯爽と駆け抜けた小島。その最後の100 mは12秒86(+0.6・予選2組で7位)だった。
 レース後の一問一答は次の通り。


「兵庫国体のリレーの後の方が感動はありました」
Q.今の気持ちは?
小島 「あっ、終わった」っていう感じですね。走りきれて良かったです。
Q.この大会の前のレースは?
小島 日本選手権の標準記録を切ろうと、6月に神戸、鳥取と記録会に出させていただきましたが、それ以来になります。
Q.どんな気持ちでスタートラインに?
小島 「最後なんだ」というのはなく、とりあえずゴールしようと。運動会のお父さんのように気持ちだけ前に行ってしまって、脚がもつれて転ぶことのないように、と。
Q.同学年の坂上香織さんがやめたときは、ウルウルされていましたが?
小島 一緒に走ってきた人がやめていくときは涙が出ますね。朝原(宣治)さんのスーパー陸上も、すごく感動的でした。自分自身のこととなると、それほどではありません。そういう意味では、兵庫国体のリレーの後の方が感動はありました(※地元の兵庫国体女子4×100 mRで4走を務め、大差を逆転して優勝)。
Q.区切りということでは兵庫国体の方が大きかった?
小島 勝負へのこだわりということでは、国体まででした。そのあとは33歳、34歳という年齢でどこまでできるかやってみたい、という気持ちの方が大きかった。

「全日本実業団が10回目の出場と区切り。やれることをやって終わろうと」
Q.休んでいたのは1年間ですよね。
小島 国体(2006年10月)でやめて、ちょうど1年間でした。去年の10月にもう一度やろうと決めました。日本選手権に出られればよかったのですが。
Q.全日本実業団を最後にしようと決めた経緯は?
小島 日本選手権に出られなかった時点で、この試合でと思い始めました。とても出られる体ではなくて、8月半ばまで迷っていました。でも、全日本実業団が10回目の出場と区切りとなることもあり、やれることをやって終わろうと。
Q.最後は満足できない走りだった?
小島 今回は走りきれるだけでよかったです。日本選手権までやることはやったので、悔いはありません。

「一番(印象に残っているのは)は坂上さんと同着優勝だった日本選手権」
Q.印象に残っているレースは?
小島 一番は坂上さんと同着優勝だった日本選手権(2004年)です。オリンピックには行けませんでしたが、同じ年で10年以上も一緒にやってきたライバルが引退する年に、それができたことが一番記憶に残っています。
Q.小島さんの頑張りが、福島さんの北京五輪出場などにつながったのでは?
小島 そう思っていただけたら嬉しいですね。
Q.道筋をつけた自負もあるのでは?
小島 私は自分のために一生懸命やってきて、結果的にそれが今の短距離界につながっているとしたら、それは嬉しいことです。一生懸命にやったという自負はあります。
Q.日本の女子短距離選手がオリンピックに出られたことは?
小島 自分が出られなかった悔しさもありますが、4年前にB標準を切った時点で、私の挑戦は終わりました。福島(千里・北海道ハイテクAC)さんは出るという気持ちで頑張った。それがよかったと思います。
Q.後輩へのメッセージは?
小島 100 mも200 mも、複数の選手がオリンピックや世界選手権に出られるようになってほしいですね。

「阪神大震災を経験して陸上競技ができる喜びを感じられるようになりました」
Q.競技人生を大きく変えたものが何かあったでしょうか。
小島 一番大きかったのは阪神大震災です。陸上競技ができることの喜びを感じられるようになりました。大学2年生の終わりですね。ストレスで痩せられたから、記録が伸びたのかもしれませんが(笑)。その後、原田(康弘)さんに出会って、陸上競技を教えていただいたことも大きかったです。
Q.美人選手と言われることについては、どういう気持ちだったのでしょう?
小島 嬉しいですけど、恥ずかしいところもありました。走っているときはグチャグチャ(の顔)ですし。
Q.今後の仕事などは?
小島 ピップフジモトに残って仕事をします。朝から晩までのフルタイムです。それに慣れることが大変かもしれません。10月に社長と話し合って、11月から新しい仕事を始めることになります。
Q.陸上競技とはどういう形で接していきますか。
小島 何かお役に立てることがあれば、関わっていきたいと思います。私は人に教えるのが苦手なんです。なんでも感覚的にやってしまうので。それを言葉にできるようになったら、指導をするのもいいかなと思うかもしれません。

「(夫には)陸上を一生懸命やることを貫いてほしい」
Q.今後は夫の小島茂之選手をサポートしやすくなるのでは?
小島 そうですね。自分が現役の間は、夫のグチを聞きたくないときもあります。やめたら、優しくグチを聞いてあげることもできますし。
Q.選手としてどんなところを期待しますか。
小島 自分に厳しく、死にものぐるいでやってほしいですね。成績はあとからついて来るものですから、陸上を一生懸命やることを貫いてほしい。
Q.初佳さんがそうしてきた?
小島 2004年まではそうでしたね。色々なものを捨てていました。「女を捨てている」とまで言われましたし。
Q.陸上競技人生を総括すると、どういう言葉になりますか。
小島 楽しかったな、と思います。


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