2008/2/17 東京マラソン
自己評価は「煮え切らないレース」
五輪代表争いから後退も評価を高めた
諏訪
史上2人目の“3大会サブテン”達成


「体調は良かったのですが、いつもと練習が違っていて、(その分)いつもより早く脚に来てしまった感じです。結果としてまた、煮え切らないレースになってしまいました。非常に残念です」

 諏訪利成(日清食品)は04年アテネ五輪(6位)、07年大阪世界選手権(7位)と入賞。力のあるところは万人が認めている。今回も32kmで後れ一時は6位(日本選手では4番手)に落ち、上位争いから完全に脱落したかに見えたが、その後に盛り返して4位(日本選手2位)でフィニッシュした。
「日本人1位を取りたかったというよりも、前に選手がいる限り、ゴールするまで追うのが競技者。あきらめなければ絶対に何か残るんじゃないかと思って追いました」
 自身の持ち味を発揮して見せ場を作った。
 2時間09分16秒と、びわ湖(2時間09分10秒・2002年)、福岡(2時間07分55秒・03年、2時間08分52秒・06年)に続いてサブテンを達成。国内3大マラソンでのサブテンは、今レースで引退する清水康次(NTT西日本)に続き、史上2人目の快挙である。

 ただ、すでに尾方剛(中国電力・世界選手権5位)、佐藤敦之(同・福岡国際マラソンで2時間07分13秒)が有力候補となっている状況で、今回も藤原新(JR東日本)に先着を許した。五輪代表争いからは後退したと、言わざるを得ない。
 最終的に代表入りに成功したが、4年前の五輪選考レース(03年福岡)は国近友昭(エスビー食品)に続いて2位。今回も日本選手権2位。諏訪はマラソン未勝利を脱することはできなかった。その点の感想を求められると、「煮え切らない、本当に中途半端なレースしかできない」と繰り返した。

 脚に来たのはどのあたりだったのか。
「銀座あたりですから、20kmからハーフで1回ペースが上がって、そのときに“もしかしたら”という感じがあって、25kmで上がったときに“脚に来ている”とわかりました。そこからは向かい風となるところもあって、脚がついて来ませんでした」
 終盤で脅威の粘りを見せるのが諏訪の特徴だが、その前に一度、ペースダウンすることが多い。その欠点が今回は、藤原の好走もあり、致命傷となった。

 30km手前でペースメーカーに話しかけたのは、福岡国際マラソンの佐藤のように、余裕があったからではなかった。
「ペースメーカーとの間隔がちょっと離れがちになっていたのに誰も詰めないので、ペースメーカーに何kmまで行くのか確認したんです。もう少し行けないか、という点も確認しました」
 ペースメーカーのケンボイ(ケニア)は結局、30kmを過ぎると頭の上で拍手をしながらリタイアしてしまった。

 冒頭のコメントにあるように、練習がいつものマラソンと違ったのが、早く脚に来た一因だったかもしれない。7位に入賞した世界選手権は爪がない状態で、ダメージが残った。会社の創立50周年ということでチームが一丸となってニューイヤー駅伝優勝を目指していたため、走り込む期間を設けることができなかった。
 びわ湖にした方が良かったのでは、という質問も繰り返し出たが、走り込み期間が少なかった以上、遅らせる方が調子が落ちていく可能性が高かった。ニューイヤー駅伝(7区区間3位)で状態を上げたからには、その状態を維持して、できるだけ早い段階でレースに臨む方が得策だったのだ。
「びわ湖にすれば良かったとは思っていません。今日も、練習が違ったなかで、最低のラインはクリアしています」
 諏訪にしては珍しく、自己を評価するコメントを口にした。周囲には理解が難しい状況だったことで、不本意ながら話すしかなかったのだろう。

 諏訪に選択の余地はなかった。世界選手権で五輪代表を取れなかったことで、不利な戦いを強いられる展開になったのが、そもそもの発端。その状況で2時間09分16秒は、諏訪の評価を高めることになったと思うのだが。

5位(日本選手3位)・入船敏コメント
「どこかで行かないといけない、と思って走っていました。それが30km過ぎで、体が動いてしまった。背中を何かに押された感じです。結果的に、それが響いて諏訪君にも最後で抜かれてしまいました。自分で前に行くことで集団の人数を少なくして、1人、2人、3人を相手の勝負に持ち込みたかった。35km過ぎの細かいアップダウンでは脚に来ていて、諏訪君の後ろに回ったときもリズムを合わせられませんでした。今回はタイムは考えていませんでしたが、優勝するには2時間7〜8分台が必要でした。出せないタイムではないのですが、あの展開で最後まで走れて自己新でしたから、少しは良かった。今持っている力は出し切ったと思います」


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