2008/7/6 南部記念
池田、1年2カ月ぶりの6m70台で圧勝
日本選手権の18歩助走から再度、20歩助走に


競技後のコメントを整理して紹介
●日本選手権後の1週間
「日本選手権が終わったときから、チャンスはあるかもしれないと思って、体を休めて、練習して助走を確認して、不安なく試合に臨めるようにしようと努めてきました。不安を打ち消すというよりも、信じたことを丁寧にやろうと。助走のスタートから着地までのやるべきことを、大学2年からつけているノートで見直しました。最初の5歩まではゆっくり大きく乗っていくとか。この1週間はそれを見直し続けて、自然と感覚が出てきました。夜は眠くなるまで見て、眠れないときは廊下を1人で走って。見なくなるとまた、(去年のように)感覚が戻ってしまうので。
 その間、JISSで末續君や澤野君たちに会って、色々と励ましてもらいました。この1週間の緊張感は、普通の人では味わえないものです。戦うか逃げるか、どっちか1つという状況で逃げずに来られました。陸上をやめるくらいの覚悟でした。
●試合直前
「(昨日は)不安ではないのですが、自信があるわけでもない。ドキドキ感がありました。年数が経つと(技術的に意識する)ポイントが違ってくるんですが、今日気をつけるべきポイントを選んで最後までノートを見ていました。試合前はずっとバクバクしていました。調子が良いときは“跳べる”っていうイメージがありますが、今日は“跳べる”でも“跳べない”でもなく、やるしかないというイメージでした」
●1本目(6m70)の跳躍
「練習試技は良い動きで、“周りは気にせずピットと砂場だけ見よう”と思いました。ここまでノートを見たり、口に出したりして、“やるべきこと”をやってきました。それをキチッとやれば良いと。1本目は手拍子なしで行こうと思っていたんですが、やりたくなってしまって。でも、“気持ち任せ”にならず、慎重に行きました。スピード感があって、そこそこ上手く乗れたと思います。速かったのですが、頭の中ではスローに感じられて。一歩一歩、こうする、こうすると、頭から指令が出ていました。
(2年前の6m80前後を跳んでいた頃と比べ)以前はもうちょっと余裕があったと思いますが、似た空中感覚はありました。でも、細かいことはあまりよく覚えていません。
(ガッツポーズが出たり、地面に突っ伏したのは)嬉しいというか、ワケがわからなくなって…。想定していないジャンプが1本目にできてしまって、ビックリしてしまって。でも、色んな思いが交錯して。心臓が出そうなくらいドキドキしてしまって、過呼吸になっちゃったんです。それで2本目をパスしました」
●助走歩数を20歩に戻した理由
「助走を(日本選手権の18歩から)20歩に戻すと決めたのは、ここに来る4日前です。(変えて、また変えたことになるが)特に不安はありませんでした。以前は20歩でしたが、跳べなくなってから20歩助走が、最初から走りに行かなきゃ、という助走になっていました。ラストチャンスの今回、新しい18歩でもよかったのですが、もう一度原点に戻るというか、“考えないといけない助走”ではダメだと思ったんです。
 でも、18歩にしたことで何か物足りなさもあったんです。18歩をやったから、20歩に戻したときに上手くできたのかもしれません。(マークからの切り換えも)いきなり上げていくのでなく、つなぎの部分も気持ちよく上げられました」
●為末のようなアスリートに
「男子の走幅跳が長引いて招集所で待っていたら、たまたま為末さんが前の椅子に座られたんです。日本選手権の為末さんの記事を読んでいて、究極のときに力を出せるのがアスリートだな、って感じていました。為末さんもずっとケガをされていて、追い込まれた状況でした。『日本選手権の為末さんと同じような状況です』と話したら、『久美ちゃんならできるよ』と励ましてくれて。私にできるのかな、とも思いましたが、ここまで誰よりも練習してきた自信もありました。池田久美子だから絶対にやってやる、崖っぷちに立っても走幅跳をやってやるという気持ちになれました。ここでやれなかったらアスリートじゃない、って」
●オリンピック
「前回は花岡(麻帆)さんと競っていましたが、肝心の日本選手権で負けてしまいました。小さい頃から父とオリンピックに出ると話をしていて、安易に考えてしまったのかもしれません。今回も、日本選手権の後は“オリンピックには運がないのかな”って考えてしまいました。でも、運があるかどうかは、自分で掴みに行って初めてわかるもの。最後の最後で、オリンピックの運を掴むことができました。オリンピック候補だった祖父の本籍地が函館でした(戦争で中止になった1940年東京大会)。これも巡り合わせだと思います。(亡くなった父・実さんと親友だった砲丸投日本記録保持者の森千夏さんには)やっと行けるよ、と報告します。森ちゃんは前回オリンピックに行っているので、やっと私も同じ場所に立てます。最後の最後でチャンスをつかめました。色んな人の思いを胸に跳びたいと思います」
●多くの人に支えられて強くなる
「今回のような試合に立ち向かうのは初めてでした。自信を持っていいのかどうかもわかりません。最後は自分がやるしかないのですが、色んな人が見えないところで応援してくれて跳べたのだと思います。声をかけて応援してくれた人もいますし、敢えて声を掛けないで応援してくれている人がいるのも、十分にわかりました。そういう人たちの気持ちに応えるために、脚がもげても跳ぶんだって思っていました。跳ぶことで恩返しができました。こうして乗り越えることができ、強くなれたような気がします。(北京五輪本番では)今はまだ整理できていないのですが、良かった点、反省点を自分の中で整理して、本番まで何をやるべきか、何を省くべきかを考えてやっていきます。アスリート池田久美子として、北京五輪を迎えたいと思います」


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