2008/12/21 全国高校駅伝
創部3年目の豊川が初V
伝統のなさをカバーした森監督の工夫


 第20回の記念大会である女子で、大会史上11校目の優勝チームが誕生した。
 歴史が浅い女子だけに、歴史の浅いチームが多いのは当然だが、過去の優勝校には“名門”“強豪校”のイメージがあった。
 その点、豊川は本当に強くなって2年目というイメージである(男子では3000mSC日本記録保持者の岩水嘉孝を輩出している)。
 伝統のないチームが勝つにはどうすればいいか?
 この問いに対する答えは多岐に渡るだろう。これをやれば良い、と特定することはできない。強くなるには? という質問と、ほぼ同じになる。
 ただ、本番での戦い方、気持ちの持っていき方など、伝統校の強みといえる要素も確かにある。難しい質問に対し森安彦監督は次のように答えてくれた。
「エースはいないけど5区間平均して走れるチームを目指してきました。この1年間、誰でも、どの区間でも走れるようにしようと。4区の下村(環加)がアンカーでもよかった。伝統の力では負けると思ったので、5人の、いえ、6人7人の力で戦えるチーム作りをしてきました」
 ワイリムの8分58秒77を筆頭に、日本選手の9分10秒台が4人。二宮悠希乃は5000mで15分45秒10の記録を持つ。エースがいないのではなく、“1区で絶対に区間1〜3位になれるかどうかわからない”という意味に受け取った方がいいだろう。
 実際、区間7位だった1区の二宮以外は全員が区間1〜3位で走っている。5区ワイリムの区間3位(15分52秒)はむしろ、予想をかなり下回って森監督ヒヤヒヤさせたと思われる。

 ここまでのチームを短期間で作り上げられたのはなぜか。
 これも1つだけこうだ、と断定することは難しい。レース前日にも森監督の話を聞くことができたので、考えられる理由を以下にピックアップしてみた。
(1)中学の指導者から転身
(2)環境整備
・寮
・クロカン・コース
(3)練習の特徴
・ロードを走らない
・朝練習速い
・追い込まない
・試合が多い
・選手に考えさせる

 豊川には、2006年の全国中学駅伝5位となった沓掛中から、有力選手が進学して中心選手となった。それが短期間で強豪校の仲間入りできた要因である。
 それができた理由を説明するには、森監督の経歴を紹介する必要がある。
 森監督は中央発條、続いてホシザキ電機で競技をしていた。35歳の1996年まで現役を続け、マラソンのベスト記録は95年の防府で出した2時間16分19秒。
 縁あって2003年から沓掛中の指導を手伝うようになり(最初の1年目はメニュー作成のみ)、同中を短期間で全国的な強豪に育て上げた。森監督は仕事があるため、17時から練習を始めるなどしていたという。ただ、当時から、朝練習を重視していた(詳しくは後述)。
 その手腕を買われ、2006年4月から豊川の監督に就任。沓掛中でエースだった加藤麻美ら2人に加え、愛知県内でトップだった二宮も一緒に入学。強い中学生が入るようになるまで何年もかかるケースが多いが、豊川は1年目からそういう状況になった。今回4区の下村(1年)も、沓掛中5位のときのメンバーだ。
 中学で実績を残した指導者が高校の指導者に転身する。それが急成長の要因だった。

 豊川は岩水嘉孝の出身校で男子は陸上部があったが、女子はなかった。男子で毎年のように都大路で活躍している豊川工高が同じ豊川市にあることもあり、学校も女子の強化を重点的に行う方針にした。
 現在、寮には7人の選手が入っている。寮が珍しいわけではないが「伊澤(菜々花・2年)などは通学もできるのですが、高いレベルでやりたいと1年前の11月から寮に入りました」と森監督が言うように、選手が強くなる方法としっかりと意識できている。
 2007年にはケニア人留学生も入学。
 2008年1月には6レーンの全天候舗装400 mトラック(ブルートラック)が完成。トラックの外側に約500mのクロスカントリー・コースも整備された。
 優秀な指導者の招聘を含めた環境整備は、豊川躍進の原動力だろう。

 だが、より大きな要因は、環境などハード面よりもソフト的な部分、つまり森監督の指導法にあるように感じられた。
 練習の特徴としてはロードを使用しない。1年前までは豊川市や豊橋市のグラウンドを使用していたが、前述のように自前のトラックとクロスカントリー・コースができた。故障を防ぐ意味が大きいようだが、「高校生の6kmくらいの距離までなら、ロードを使わなくても十分にやっていける」という考えだ。

 本練習にかける時間は少なめだと森監督。「15:50に開始したら17:30には終わっています。30分も走りません。ジョッグなら45〜50分くらいですが。補強とマッサージに時間をとります」と言う。本練習という言い方よりも、夕方練習といった方が適切かもしれない。
 夕方練習の日毎のメニューは以下のパターンだ。
ジョッグ
ジョッグ
スピード系
ペース走
ジョッグ
ジョッグ
ペース走
スピード系
 2日続けてジョッグをしたら、2日続けてポイント練習。スピード系とペース走のセットは、1回毎に順番を逆にする。これの繰り返しだという。ペース走もそれほど速い設定ではなく、「ポイント練習と呼べるのはスピード系の日だけかもしれない」と森監督。
「中学生を指導した1、2年目で上手く結果が出ず、色々と考え、工夫した結果、追い込まない方が結果が出るとわかりました。ポイント練習もそれほど追い込みません。レースの2週間前から上げるくらいです。追い込むときもありますが、ガンガンやることはありません」
 その分、朝練習のペースは速い。
「10kmをけっこう速く走ります。4分00秒で入って速いときは3分45秒ペースまで上げます。朝練習を速めにやれば、夕方は追い込まなくてもいい」

 追い込まないこととも関係するが、豊川では集団で走ることはあまりしないという。朝練習も、夕方の練習もだ。
「体調管理は自分でできないといけない、ということです。集団でやると体調が少し悪くても一緒に行ってしまいます。無理をして故障をすることにもつながります。そこで頑張るのでなく2日間のポイント練習に合わせてほしいわけです。つねに試合にもっていくことをイメージしてほしい」
 エースの二宮にジョッグのやり方を質問すると、次のような答えが返ってきた。
「レースに合わせるのと同じように、ポイント練習に合わせて行きます。(体調を上向かせるために)ダラダラやるのでなく、リズムを考えて走ります。変なところに力が入ると良い感じで走れません。リズムがつかめれば、どこまでも行けそうに思えます」
 将来を考えてのことでもあると、森監督。
「すべて監督任せでは卒業後に伸びません。高校から社会人になって伸びない選手も見受けます。自分でジョッグができないと」

 練習を追い込まないのは、試合でしっかりと力を発揮するのも狙いである。インターバルは1000mを3分5秒から3分10秒で行うことが多いが、3分5秒とペースを厳密に設定しているわけではない。
「インターバルは刺激が入ればいいわけで、タイムはアバウトです。それに練習のための練習になっていてはイヤですから。練習で100%を出す必要はなくて、練習で70〜80%、試合で110%を出せればいい」
 その分、試合は多くなる。
「試合で積み上げながら調整していきます」
 県予選2週間前の10月18日には、静岡県長距離競技会で前述の9分10秒台が続出した。ただ、これは「たまたま」(森監督)だと言う。全国高校駅伝2週間前には大阪で記録会に出て、16分20秒台と9分20秒台、9分30秒台、9分40秒台だったという。
「一番悪い状態の時に出て、しかも、いきなり寒くなった日でした。1つのバロメータですが、記録はまったく気にしていません」

 自主性を養うということは、放任主義とは異なる。選手の自主性は、指導者が積極的に働きかけることで初めて養われる。それが簡単なことではない。実業団の指導者ですら、その部分で苦労をしている。
「指導者としては難しいとは思いますが、真剣に、それだけのことをやれば、選手もついてきてくれる」
 森監督の情熱と工夫した練習こそが、短期間で優勝まで達した原動力だったように思う。


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