2008/12/21 全国高校駅伝
男子初優勝の佐久長聖
両角監督へのレース後の一問一答
「多くの卒業生の頑張りが基礎になって、今の選手を支えています」
Q.14年間の思いもありましたか。
両角監督 ここまで来るまでに色々な方たちにお世話になりました。多くの卒業生がいて、彼らの頑張りが基礎になって、今の選手の走りを支えています。力のなかった頃の選手たちとの光景が、ゴールテープを切るちょっと前に浮かんできました。
Q.クロカンコースをご自身の手で作るなど、数々のご苦労があったと思いますが、何が一番大変だったでしょうか。
両角監督 自然環境の厳しいところです。冬は毎朝、マイナス10℃以下になります。そして、決して都市部ではありませんから、選手も集まりにくい部分もあります。それでも、学校が理解をしてくれて、選手は全員寮に入っているのですが、生徒の生活を見てくれる先生もいますし、食事を作ってくれる方もいます。多くの方の協力、支えがあってやってこられたことを改めて感謝したい気持ちです。
Q.今年の佐久の寒さはどうでしたか。
両角監督 12月に入ってからは、それほどでもなかったですね。11月は寒くて、雪も降って“早い冬だな。今年はやばいかな”と思っていましたが、意外に天候が味方してくれました。この1〜2週間は天候がよくて、追い風になりました。
Q.調整や直前の体調管理で難しかったところは?
両角監督 力のあるチームなので、出し切りたいという思いが強かったです。故障や風邪などの病気に気をつけて、慎重に、慎重にやってきました。大会が近づいてくるにしたがって調子が上がってきました。本当に残念だったのは、昨年の6区区間賞の佐々木健太が故障で使えなかったことです。それを2区の松下が見事に埋めてくれました。
「千葉1区、村澤3区は1月の男子駅伝でシミュレーションしていました」
Q.初優勝のプレッシャーはどうはねのけたのですか。
両角監督 特にありませんでした。3年生のまとまりがあって、つけ加えていうなら勉強の成績も良く、あえてそういう部分を心配する必要がありませんでした。佐々木寛文キャプテンを中心に、いいまとまり方をしていて、大人のチームでした。キャプテンはかなり苦労があったと思いますが、その分、自分は楽になっていたかな、という気がします。
Q.監督自身へのプレッシャーは?
両角監督 自分は挑戦者の立場ですから、プレッシャーとか守りの意識は持っていませんでした。ここまで何度も失敗し、つまずいてきました。佐々木の故障は予定外でしたが、子どもたちを信じるだけでした。
Q.西脇工が序盤からつまずいたことが有利に働きましたか。
両角監督 そういう意識はありませんでした。自分たちのレースをしようとだけ思っていましたから。確かに映像を見ていて、区間毎に離れていくのを見て勝機が近づいてきたな、とは感じましたけれども。1人1人がきちんと力を出してほしいと思っていました。
Q.1区に留学生選手が使えなくなったことが、全体の流れに影響したでしょうか。
両角監督 村澤を3区に使うきかっけにはなりました。留学生が1区に来たら村澤は1区だったと思います。そういう意味では影響があったといえますが、今年のチームは上位の選手が高いレベルで平均しています。村澤も千葉も、大差はないと思っていました。今回に近いシミュレーションを1月の全国都道府県対抗男子駅伝でやっていて、そのときは千葉が1区で区間3位でした。1位が柏原(竜二・東洋大)君、2位が八木(勇樹・早大)君で。村澤が4区を走って独走になって、長野の優勝を引き寄せました。この形はウチに来るんじゃないかと思っていました。今回の千葉1区、村澤3区ということが特段、大勝負を懸けたつもりはないんです。選手に区間配置を言ったのは2週間前でした。早くから言ってプレッシャーをかけたくなかったので。キャプテンに言ったら「サプライズですね」と言われましたけど。
「これまでも一生懸命にやってきたので、運が足りなかったと自分では思いたい」
Q.思い出された、力がなかった頃というと?
両角監督 本当に最初の頃です。全国大会に出られると思っていて、長野県大会で2位だったときなどです。コーチの高見澤(勝)が1年生のときですね。
Q.上位に定着してからもなかなか勝てませんでした。優勝してみて、何が足りなかったと思われますか。
両角監督 これまでも一生懸命にやってきたので、運が足りなかったと自分では思いたいのですが。それぞれの学校が、それぞれの環境の中で、やれることを精一杯やっています。そういう部分では悔いを残さずにやってきました。相手があるのが勝負ですので。先ほど(テレビ解説の)宗茂さんが「トラックのタイムが駅伝の強さに反映していない時期があった」とおっしゃっていましたが、そういう部分で悩んだこともありました。ただ、よそが何をやっているとか気にするよりも、自分たちができることを精一杯やろうと思っていました。不器用でも、一生懸命さが子どもたちに伝わればなと思ってやっていました。
Q.元々、能力の高い選手たちだと思いますが、これだけの数を高いレベルに引き揚げるには、どのような工夫をされていますか。どんなご苦労がありますか。
両角監督 1つには全員が寮に入って、生活と練習を1本化して取り組んでいることが大きいと思います。寮は、駅伝選手だけの寮ではなく、学校全体の寮です。色んな生徒がいて、東大を目指すような生徒もいます。色々な人間と関わりをもって、多くの経験から高校生としての力を伸ばしています。そこに、駅伝で日本一になるんだという質の高いトレーニングを積んでいる。ウチはクロスカントリーを中心にトレーニングをしていますが、トレーニングのベースとしてクロスカントリーが有効だと証明されてきているのではないでしょうか。
Q.留学生がいないのは両角先生の方針ですか。
両角監督 ウチには受け入れる環境がありません。留学生のいる学校は、国際交流をやっているところなのだと思いますが、ウチは交換留学生とかやっている学校ではありません。
「昨年3分台で負けたとき、勝つには2分台を出すしかないと、すぐに言いました」
Q.昨年2時間3分台で負けた初めての学校になって、今年2時間2分台を目指して、それを達成できた感想は?
両角監督 今日の区間、区間を見ると全員が100%の走りをしてくれました。昨年3分台で負けたときには、勝つには2分台を出すしかないと、すぐにミーティングで言いました。佐久に帰った後の最初のミーティングでした。来年は2時間2分台を目指そうと。直前に言ってできるものでもありません。1年間、そこを目指す意識でやっていこうと。そのためには1年間、さらに苦しさを、自分から求めていかないといけない。そういう覚悟でやっていこうと言いました。走った選手が5人残りましたから、それを実践していく形がありました。
Q.トレーニングの質を上げたのですか。
両角監督 質は上がってきました。量的には減ったのかな、と思うんですが。積極的に休養をとるようにしました。その分、質を上げました。選手たちも、力をつけるには必要だと理解して取り組んでくれました。
Q.精神的にも厳しさがあったでしょうか。
両角監督 特にがみがみ言ったりしたことはないのですが。伝統校はどこでもそうだと思いますが、授業を大切にするとか、掃除をきちんとするとか、まだまだ至らない点はあると思いますが、そういう点は厳しく言います。むしろ、練習の出来などはどうこう言いません。
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