2008/3/2 びわ湖マラソン
一時は大崎に肉薄した大西が日本選手2位
東京の藤原に続き伏兵選手が
2時間8分台!
                 
      2時間08分54秒

 大崎悟史(NTT西日本)の終盤の粘りが素晴らしかったびわ湖マラソン。それに匹敵するインパクトを、大西雄三(日清食品)が見る者に与えた。25km手前で集団から遅れ、30kmでは100 m前後の差となったが、テレビ画面がロングショットになると、その後方でずっと粘っていた。
 落ちてきた佐藤智之(旭化成)をかわし、大崎とリオス(ポルトガル)を追い上げた。35kmではその2人に11秒差。一時は6秒差(テレビ中継による)まで差を縮めた。残り5kmから大崎がペースを上げたため最後は18秒差に開いてしまったが、2時間08分54秒と“サブナイン”に突入。
「自分のペースを守ろうと思って走っていたら、前の選手が落ちてきた。(大崎の)背中が見えていただけに抜きたかった」
 レース直後ということもあり、大西のコメントは自己記録を3分59秒も縮めた喜びよりも、大魚を逸した悔しさの方がまさっていた。

 大西のマラソンは7回目で、その全成績は以下の通り。
1 2001 3.04 びわ湖 15 2.14.12.
2 2002 12.01 福岡 29 2.25.52.
3 2004 3.07 びわ湖 19 2.12.53.
4 2005 3.06 びわ湖 22 2.16.48.
5 2005 10.16 北京 6 2.15.03.
6 2007 3.04 びわ湖 20 2.19.44.
7 2008 3.02 びわ湖 4 2.08.54.

 初マラソンで2時間14分台を記録し、2度目のマラソンの福岡が期待されていた。レース前に話を聞かせてもらった記憶がある。だが、その福岡で2時間25分台と失敗し、その後は1シーズンに1本の割合でマラソンに出てきたが、2時間10分ラインに迫ることはできなかった。
 ニューイヤー駅伝は以下の区間成績。それなりに安定しているが、大きく期待される選手ではなかった。距離走などを途中でやめることもあり、スタッフも外部に対して強くプッシュできなかった。

2001年:7区4位
2002年:不出場
2003年:7区5位
2004年:不出場
2005年:7区4位
2006年:7区6位
2007年:7区10位
2008年:6区11位

 だが、白水昭興監督によれば、快走への伏線はあったようだ。
「マラソン前になるといつも、練習はできるようになるんです。ただ、それを試合で出せなかった。なかなか、調子を合わせることができませんでした。起伏のあるコースを走って脚をしっかりつくるのが、彼のトレーニングの特徴です。(あそこまで粘れたのは)練習をそれだけやっているから。今回行ききれなかったのは、成功体験がなかったから。でも、今回のレースのようなことを覚えたら、まだまだ行く選手です」

 1回のサブテンで終わってしまう選手も多い。東京マラソンで2時間08分40秒をマークした藤原新(JR東日本)同様、“次のマラソン”でしっかり走ることが、本当の意味でブレイクしたことになる。


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